元禄二年三月二十七日、深川の採荼庵を出た芭蕉は、隅田川を船で上り、
ここ千住に降り立ちました。全行程600里、約150日を掛けて東北から北陸、
大垣まで進み、元禄四年、江戸に戻ります。奥の細道のスタートは日光を目
指すので、我々は弘法大師ではなく、芭蕉と同行二人といったところであります。
彼が詠んだ句を感じながら進みます。


行く春や 鳥啼き魚の目は泪


このモニュメントは、芭蕉生誕360年を記念して平成16年に作られたものです。
敷かれた御影石はやっちゃ場のせり場にあったもので、芭蕉と曽良の旅立ちを見
送った石があるかも知れないと書かれていました。


足立市場の先は元やっちゃ場になります。セリの掛け声が「やっちゃい、やっちゃい」と
聞こえることから市場のことをやっちゃ場と呼んだそうで、ここは戦国時代から続く日本最古
の専門店街とのこと、街道の両側に三十数軒の青物問屋が並び、毎朝威勢の良いセリ声が
響き渡っていましたが、太平洋戦争の空襲で焼失した後、閉鎖となり足立市場に代わって行
ったのです。写真右は、
千住宿歴史プチテラス、地漉紙問屋横山家の蔵を移築しギャ
ラリーとして利用されています。

 
   

どこかの宿場街のように、家々にはその由来が記されており、一つ一つ読んでみると面白い。
殆どが青物問屋ですが、それぞれ専門があり、谷塚屋は土物ということから、大根や人参などを
扱っていたことがうかがえます。栗や柿を扱った店など、仕入れの得意先も幅広くあることが
分かります。また、セリの後、時間があることから店主たちの俳句も盛んだったようです。


こちらは青物問屋の中で目立つ川魚問屋の鮒与、2004年に放送された「ぶらり途中
下車の旅」でも紹介された元禄時代から続く、都内で一番古い川魚問屋です。昔の千住は、
綺麗な井戸水が豊富だったことから川魚問屋が多かったのですが、今は数軒とのこと、この
鮒与は、フナを扱っているのかと思ったら、うなぎ専門店で国産の愛知や九州のうなぎを扱っ
ているそうです。大量に積み重ねられた器に天井に配管されたパイプから大量の水が流れる
風景は珍しく、思わず中を覗いてしまいました。また、明治五年この問屋の長男に生まれた
内田銀蔵は、弟に家督を相続させ学者の道を進みます。東京専門学校(後の早稲田大学)
から東大の国史科に進み、更に3年半のヨーロッパ留学を経て29歳で文学博士、36歳で京都
大学教授となり経済史のバイブルといわれる「経済史総論」を著します。


やっちゃ場を抜ける交差点には、千住高札場跡碑一里塚跡碑、その先の左には問屋場跡
貫目改所跡があり、公園になっています。貫目改所はボクたちが歩く中山道・洗馬でも
藤村の夜明け前に出てくる貫目改所を紹介しましたが、ここの説明板にも賄賂の話が出てきます。

 

 旧日光街道の西側にあたるこの場所には、江戸時代に千住宿の問屋場と貫目改所が
 置かれていました。宿場は、幕府の許可を得た旅行者に対して、人足と馬を提供するこ
 とを義務づけられていました。千住宿は、50人、50疋です。この問屋場で、人馬の手配
 をしました。街道の向かい側には、馬寄場がありました。問屋場は元禄8年(1695)に
 設けられました。また、寛保3年(1743)に貫目改所が設けられ、荷物の重量検査のた
 めの秤が備えられました。馬に積める荷物には制限があり、40貫目(150kg)を積むと
 本馬、20貫目あるいは人が乗って5貫目の手荷物を積んだものを軽尻と呼び、次の草
 加宿までの運賃が定められていました。貫目改所は、ここを出ると宇都宮宿までありま
 せんので、重い荷物を制限内と認めてもらえるよう、賄賂が飛び交ったとの話もあります。
 



北千住の日光街道は、やっちゃ場通り(334m)に始まり、仲町商店街(357m)、一里塚の先の
本町センター
通り(422m)、駅の先の宿場町通り(609m)の4つに分かれていました。
合計すると1722mも続く商店街です。中山道の板橋商店街より少し短いですが、この賑や
かさシャッター商店街にならないのはどうしてなのでしょう。


この交差点を右へ進むと、200m足らずで北千住駅です。この駅は、JR常磐線、
東京メトロ千代田線、東京メトロ日比谷線、東武スカイツリーライン、そしてつくばエ
クスプレスが止まる、とんでもない駅です。また、足立学園、東京電機大、東京芸大
のキャンパスもあり、その乗降人員数は、乗り換えを含めると1日100万人を越える
ようです。この先は宿場町通り商店街で、右側には旅人の休憩所、
街の駅があり
ます。

 

この辺りに本陣跡があるはずなのですが、その碑を発見できません。代わりに向かいにあった
のが
千住ほんちょう公園、高札場跡碑があり、街道の説明板の周りで休憩も出来ます。
入口の戸板に奇妙な絵が描かれた家を発見、いったい何の店なのでしょう。


商店街も外れにやってくると、横山家住宅があります。やっちゃ場にあったプチテラスの
蔵はここから移築しました。横山家は「松屋」という屋号、江戸時代から続く商家で地漉紙問屋
を営んでいました。入口が街道より少し低くなっているのは、街道を嵩上げしたのではなく、
伝馬屋敷の特徴でお客様をお迎えする心の現われが、一段下げていることなのだそうです。
住宅のすぐ先の信号機のある交差点は旧水戸佐倉道の追分(写真下左)で、その先110mの
Y字路が、旧下妻道追分です。


左が水戸佐倉道追分碑、つまり水戸街道への分岐です。五街道に準ずる脇街道で
道中奉行の管轄にありました。右が
下妻道追分碑で、八潮・野田・下妻を通り栃木県
さくら市旧喜連川町の連城橋で奥州街道と合流する脇街道です。最初の追分は直進し、
次の追分で左へ進みます。兎に角旧日光街道を目印にしてください。


道は100mで土手沿いの道に合流します。ここで土手へ上り、千住新橋を目指しても良い
のですが、我々は
足立区立中央図書館を目指すため、下の道を行きました。左手に
現れた高いビルがそれです。このビルは学びピア21といい、7階にある
レストランさくら
が、今日の昼食ポイントです。レストラン前はウッドデッキになっており、素晴らしい眺望が広
がっていました。

 
 
レストランさくら前のウッドデッキから、これから進む日光街道を眺めたところです。
千住新橋を渡り、対岸の土手を左へ410m
善立寺先を右折するのが旧日光街道です。
遠くに見える
清掃工場の煙突までは5500m、その先2500mで今日のゴールの
草加です。


サービスもメニューも価格も、かなり良いのがこのレストランさくら。私はピリ辛冷やし麺
を頂きましたが、そのボリュームに、びっくり。ショーケースにある見本より大きいではないです
か。このチキンカツの下に冷やし中華があるのですが、カツが大きすぎて麺が見えません。
味も最高で大満足でした。みなさんも、数々ある北千住の食事処を我慢して、ここまで来る
価値はあるので、寄ってみてください。右は千住新橋から振り返った学びピア21です。6階建
ての大きなビルに高層マンションが載っており、その間の7階にレストランはあります。


荒川を千住新橋で渡ります。と言っても江戸時代に、この川はありませんでした。
大正十三年、隅田川を岩淵水門で分流した人工の河川です。つまり荒川放水路という
ことです。明治四十三年、非常な長雨の為隅田川などが氾濫し、浸水家屋27万戸と
いう関東大水害を引き起こしました。これにより放水路の建設を決めたのですが、
幅500m延長22kmの工事は難航し10年の予定が17年も掛かり完成しました。
昭和40年には正式に荒川本流となり、完成後は水害に見舞われることが無くなりま
した。この橋の上に設置されているのが国道4号線
9kmポストです。やっと草加ま
での半分を過ぎました。


橋を渡りきった場所で、土手を行こうか側道を行こうか悩みました。結局お寺で右折するので
側道の右側を行くことになり、歩道橋で向こう側へ渡ります。しかし土手を行っても右折交差点
に降りる階段があったので、気持ちの良い土手を行くことをお勧めします。写真右は、千住新
橋から400m程行った
川田橋交差点で、ここで日光街道は北に向かって右折します。


川田橋交差点の角には善立寺があり良い目印になります。お寺の正面に回って驚きました。
総ガラス張りの近代的な建物で、とてもお寺に見えません。美術館と見紛うほどです。
お寺から280m進むと小さな
石不動尊の祠があります。ここには子育八彦尊道
是より二丁行くという道標と、綺麗な服をまとった
お地蔵様がありました。この地蔵はかつて
荒川土手にあったものを道路拡張によりここへ移されたいいます。ですから今でも荒川方面に
向いています。

 
 
少し行くと右側にガードマンを配した賑やかなマーケットが、ここはショッピングタウン・
カリブといい、色々な店舗が入っています。エルソフィア前という横文字の交差
点を通過すると、東武スカイツリーラインの
梅島駅です。ここから北へ向かう一直線
道路が2.6km続きます、途中環七を横切る島根交差点、その先には
将軍家御成橋
御成道松並木跡碑
があり、直線道路は渕江小学校まで続きます。ちなみにエル
ソフィアが気になったので、歩いていたおばちゃんに聞いたところ、足立区の施設で区民
の共同参画を支援する施設だそうです。交差点名に横文字は、甲州道中の甲府にあった
アリア入口以来です。


島根鷲神社という交差点手前で左を覗くと、鷲神社が見えました。20分ほどの場所です。
その先30分ほどで、あの煙突が見えた
足立清掃工場。附帯施設としてスポーツセンターが
あったので、早速中で休憩。この日は
最高気温32.3度、平均気温28.3度、湿度72%
非常に蒸し暑く、へろへろのおじさんたちは冷房の効いたロビーでダウンしてしまいました。


元気になって出発すると、直線道路も終わり、道に変化が出てきました。国道4号線
バイパス下をくぐると
毛長川を水神橋で渡り、いよいよ東京都ともお別れで、埼玉県
草加市へと入りました。


東武スカイツリーラインの谷塚駅前には富士浅間神社があり、木陰で再び休憩します。
500m進むと
吉町5交差点で、左角ダインフォトの店先には、紺浅跡地の石碑が、
紺浅とは?


同じ交差点の右角には火あぶり地蔵尊があります。そこにはこんな伝説がありました。
昔、病身の母を残し奉公へ出た娘に、母危篤の知らせが入ったのですが、暇をもらえず、
考えた挙句、家に火を放って奉公先が無くなれば帰れると思い、放火してしまいます。
捕らえられた娘は火あぶりの刑に処せられたのですが、村人が哀れに思い、ここに地蔵尊を
祀ったというわけです。またこの附近には昔、刑場もありその供養の為とも言われています、

 
行くこと8分で、路面に大きな進入禁止のマークが書かれたY字路になります。ここを左の
狭い道を行くのが旧日光街道です。Y字路から75m行った左側にあるのが
旅館埼玉屋
本日の宿です。街道沿いにあり草加駅も近く、非常に便利なのでこの宿に決めました。
夜は、宿の勧めで近くにある
車屋で旨い酒と肴を頂き、暑かった一日を振り返りました。