日光街道は、私の測定で146.74kmと五街道では一番短い街道です。
1泊2日の旅で30km歩けば、5回ほどでゴールとなるでしょう。
今回は知らない街に泊まり土地の酒と肴を堪能することを楽しみとして、
旅を進めます。もちろん、しっかり旧街道をレポートし、中々発見できない
ものにも迫ってみたいと思います。神奈川県民の我々には、まったく
馴染みのない街々を行くことになり楽しみです。

 
こうして日本橋に立つのは、6度目になりました
1986年12月9日:東海道へ  1997年11月13日:東海道へ
2001年2月11日:中山道へ  2006年4月15日:甲州道中へ
2007年4月29日:東海道へ そして 
2012年9月15日:日光街道へ
33歳で始めた街道歩きも26年経ってしまいました。
日本橋には色々な史蹟がありますが、同じことを紹介しても仕方ないので
過去のページに任せるとして、得意のポーズで、先を急ぐことにしましょう。

 
これは、日本橋の西にある西河岸橋から見た日本橋です。江戸時代には無く明治24年の架橋
です。江戸時代左側の岸は、品川町裏河岸と呼ばれ、釘や金物を商う店が並んだことから、
釘店
とも呼ばれていました。通常、日本橋から街道へ向かう時は、半蔵門線三越前のB5出口を利用
するのですが、天気も良いことから千代田線大手町駅から貨幣博物館の前を通って、歩いてみま
した。こうしてみるとやはり上の首都高が気になります。いつの日かすっきりとした日本橋を
見ることが出来るのでしょうか。

   

日光街道は中山道と同様、日本橋を北へ向かいます。この日も日本橋の上には中山道へ向かう
グループが集まり、記念撮影をしていました。今日は蕨宿までの18.5kmとのこと、我々も
草加宿までの17.7kmですから同じようなものです。ちなみにボクたちは蕨まで2日半かかって
進みました。若い頃は1日30kmほど歩いたものですが60歳になると1日15〜20kmが良い
ところでしょう。日本橋から中山道を400m進むと、
室町三丁目南という交差点があります。
写真左の
日本橋三井タワーを過ぎた交差点です。ここで右折するのが日光街道となり
ます。次の室町三丁目という交差点が現在の国道4号線、日光街道ということになりますが、
旧道は手前になります。

 
 
右折して260m進むと、昭和通と首都高上野線に行く手を阻まれます。右を見ると地下
横断歩道の入口がありますので、これを利用してください。地下にはホームレスたちのハウスが
多数並んでいますので、女性軍は、国道6号線の交差点に迂回したほうが良いかもしれません。

   
 
地下道を出ると、昭和通沿いに小津ギャラリーがあります。ここは伊勢商人の小津清左衛門
長弘が承応二年(1653)創業し、幾多の事業の変遷を経て「紙商小津」として現在に至る
場所です。中は資料館とギャラリーになっていて、和紙を作る道具や、作り方の展示がされて
いました。また、販売も行っていたので、こちらで調べてみては


  
 
 
街道の角度が北へと傾くと大伝馬本町通り、正面にスカイツリーが見えてきました。
右側には
旧日光街道本通りの石柱があります。ここはホテルギンモンド東京があったの
ですが、今は空き地となり駐車場の片隅に石柱はありました。

 
 
新宿線の馬喰横山町駅前後は、アパレルストリート、入口には横山町問屋街の看板が
あります。街道の両側には400mに渡って所狭しと洋品問屋が並びます。中にはハングルの店
もあり女子チームには時間を掛けたい街道ではないでしょうか。

   
 
問屋街を抜けると、清杉通りに合流し(写真左)すぐに浅草橋交差点(写真右)です。
左へ行けば靖国通り、右へは国道14号で千葉街道、我々は、真っ直ぐ進み、
浅草橋南交差点で
江戸通り(国道6号)に合流します。

 
浅草橋から右を望めば、眼下には屋形船の繋留場所、その向こうに柳橋と首都高向島線の
高架が望めます。柳橋と浅草橋の間左側、柳橋一丁目が旧浅草旅籠町で、料亭が軒を連ね
柳橋芸妓で有名でした。その芸妓を乗せて遊んだ屋形船の鈴木屋(右の店)は、18人集まれば
今でも、料理・お酒・コンパニオン付で舟遊びを楽しませてくれます。

 
前方に見えてきた高架は、総武線ですぐ左が浅草橋駅になります。この周辺は
人形問屋街
で写真の久月総本店のほか、秀月・吉徳・野村・はせ川・まるぎん・
寿幸・原孝州・三桜・蔵前人形社と日本のほとんどの人形問屋が軒を連ねています。
我々が気になったのは、蔵前に有ったウォーキングシューズ専門店
楽闊歩です。
オーダーメードで自分にあった靴を、元大手靴メーカーの職人だった長谷川さんが
作ってくれるそうです。私も街道歩きにはメレルのカメレオンを愛用してますがオー
ダーメードはとても気になります。

 
 
駒形で人目を引くのはこの駒形どぜうでしょう。創業1801年ということで210年の垂れ幕が
誇らしげにはためきます。どぜうは、本来どじょう・どぢやう・どじやうと表記するものですが
江戸の大火にあって縁起を担いだ初代越後屋助七が奇数のどぜうにして繁盛したとのこと。
今でもどぜうとくじらで繁盛しているようです。

 
 
駒形橋西詰交差点には都営浅草線の浅草駅があります。右は隅田川で駒形橋、正面(写真右)
にはDYNACITYという大きなビルがあり、右には駒形むぎとろのビルが、この間が
江戸通りで、街道はここで離れ、左へ入り雷門を目指します。


 
旧日光街道は
浅草寺の雷門に突き当たります。休日は大変な賑わいで、街道ウォーカーは
とても近寄る気になれず、歩道を渡ってすぐ右折します。日光街道は100m遠回りしてこの雷門
前を通るのですが、江戸の旅人にとってはお参りが必須だったのでしょう。人ごみを掻き分けて
行くのが苦手な我々にはここから手を合わせます。

 
 
 
雷門を右折して、吾妻橋で左折し再び江戸通りへ。右側は水上バス乗り場のある墨田公園
ここからのスカイツリーがダイナミックだったので、静かな公園でやっと休憩です。隅田川に
沿って600m進むと
言問橋西交差点で、日光街道はこの五差路を斜め左前方、吉野通り
へと入ってゆきます。
進んで次の信号に、右待乳山聖天の案内板があったので、寄り道します。
街道から50m入ると石段があり、登ったところが
待乳山聖天です。

 
    待乳山聖天
                 
台東区浅草七丁目四番一号 本龍院
  待乳山聖天は、金龍山浅草寺の支院で正しくは、待乳山本龍院という。その創建は縁起に
 よれば、推古天皇九年(601)夏、旱魃のため人々が苦しみ喘いでいたとき、十一面観音が
 大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し、人々を救ったため、「聖天さま」として祀ったと
 いわれる。
  ここは隅田川に臨み、かつての竹屋の渡しにほど近い小丘で、江戸時代には東部随一の
 眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっている。とくに、江戸初期の
 歌人戸田茂睡の作、

       
 哀れとは夕越えて行く人も見よ 待乳の山に残す言の葉

 の歌は著名で、境内にはその歌碑(昭和三十年再建)のほか、石造出世観音立像、トーキー
 渡来の碑、浪曲双輪塔などが現存する。また、境内各所にほどこされた大根・巾着の意匠は、
 当寺の御利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表すという。一月
 七日大般若講大根祭には多くの信者で賑う。
  なお、震災・戦災により、本堂などの建築物は焼失、現在の本堂は昭和三十六年に再建され
 たものである。
       平成十一年三月
                                            台東区教育委員会



 
 
次に現れたのが山谷掘公園、地図で見ると日光街道を切るように北西から南東へと
緑地帯が続きます。ここは昔、二本の堤防があり、二本堤と言っておりました。これが
日本堤となるのです。その大堤防の目的は、隅田川の上流が荒川だった頃、氾濫した
荒川を、この日本堤と対岸の墨田堤で食い止め、下流の江戸の町を守ったと言われてい
ます。日本堤は先ほどの待乳山聖天から三ノ輪の上野台地まで続き、浅草への水の
浸入を防ぎました。当然、堤の外は水没ということで農村が広がっていたのですが、
中山道そばの北区浮間や、王子の北にある足立区新田では、土地を嵩上げした上に
住居を築く方法で水害を逃れていました。日光街道も当寺は、この堤を上り下りして進
んだことでしょう。



日本堤から1kmほど進むと泪橋交差点(写真右)です。泪橋は東海道の鈴が森刑場手前
にも見られました。ここは同じく
小塚原刑場へ行く道にあったもので、思川を渡るもので
したが、現在は暗渠となり川はなく、この交差点に名が残りました。鈴が森と同じく、家族は
ここで罪人と別れ涙を流したといわれます。その小塚原刑場はここ南千住にあり、この線路
を渡る歩道橋左の常磐線と日比谷線に囲まれた延命寺境内に首切地蔵が残っています。
あの吉田松陰もここで処刑された一人で、南千住駅そばの回向院に埋葬されました。歩道
橋の上からは広大な隅田川貨物駅が望めます。
 
 
 
吉野通りは、南千住駅前を通って南千住交差点で国道4号と合流します。交番横には、
芭蕉奥の細道矢立初めの句がありました。この句碑は北千住の荒川沿い安養院にあります
が、見逃してしまいます。

   
 
大橋の手前に千住宿の案内板があります。千住宿は北千住の本宿、南千住の下宿の別れ
繁栄していました。車道は高架になって大橋を越えますが、歩道は土手まで進み、
階段登らず
左に進み高架の下をくぐって、大橋の南詰に出ましょう。

 
ここが千住大橋の南詰となります。この橋は石川島造船所が昭和2年に造った鋼タイドアーチ
橋です。
この橋は文禄三年(1594)家康が江戸で初めて架けた橋で、隅田川最初の橋でした。

 

橋を渡り新橋の下をくぐり。この先で右の旧道に入るために街道の右側を進みます。
すぐ右側にあるのが中央卸売市場
足立市場で、この前から真っ直ぐ北へ向かう旧日光街道へ
入って行きましょう。やっちゃ場の案内板が出てきたら正解です。