| となりの小学校 | 赤坂小学校 | 2.6km | 青墓小学校 | 12.9km | 今須小学校 |
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| 赤坂宿から昼飯を過ぎてJRの線路をくぐると小さな集落があります。 その中ほど、中山道からは25mほど離れたところにあるのが青墓小学校。 周囲は田園風景で山あり川ありの羨ましい環境の中にあります。 |
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| ちょうどこの日は、地区のサッカー試合がありました。たくさんの車が 泊まっていて、のんびり見学はできません。ボクもサッカークラブに入っていて いつも練習や、こうして他のクラブと対抗試合をしているんだよ。 日本中にボクたちと同じサッカーをやっている小学生がいるんだね。 |
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| 中山道の途中に、照手姫などの案内板があったけど、普通は教育委員会が 建てたものが多いのに、この青墓は、この学校の名前が入った看板が多いです。 きっとこの学校の先生は歴史が好きで熱心なんだね。ホームページを見て 驚いたのは、この学校とボクが生まれた神奈川県相模原市の 照手姫の縁で学校間交流をしているんだよ。何か不思議な気持ちになりました。 |
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| 東海道一人旅のHat'sさんはこの小学校出身という紹介は本文でさせて いただきましたが、その彼から当時の貴重な写真と、青墓小学校に関する 面白い逸話をいただきましたので、このページでご紹介させていただきます。 「青墓小学校百年史」によると、歴史は、明治6年1月16日 から始まっています。 但し、これは 青野村 に設立した青野学校で、後に、明治7年8月25日に設立された 青墓村の青溪学校らと合併して明治19年に青野簡易小学校、明治23年に 青野尋常小学校、明治27年に組合立青墓尋常小学校、明治30年 に、村立青墓尋常小学校、という流れになっています。 実は、この小学校には、私が通っていた当時、校庭のど真ん中に、 巨大なケヤキの木が生えていたのです。 信じられないかもしれませんが、野球をやればセカンドの後方、 サッカーをやればセンターサークルの中心、キックオフが少し横から しかできない、という面白いグラウンドだったのです。 このケヤキが、校庭中央にある理由は簡単で、学校の拡張が行われた からなんです。ケヤキと反対側は道路に押さえられているため、ケヤキ 側への拡張しかできず、巨木を切るのは忍びないとのことから、残って しまい、数十年間、校庭のど真ん中に鎮座したそうです。 私が卒業して数年で、枯れてしまい、台風の日に倒れたとか聞きました。 70年程度の樹齢だったとか。 ボクたちが撮った校舎の写真とHat'sさんの写真は、ほぼアングルが一緒。 確かに青墓小学校と分かります。大きなケヤキのある校庭って見たかったなぁ。 ホームランボールも木に引っかかったりして面白そうですね。 Hat'sさん面白い話と、写真どうもありがとうございました。 2005年1月2日 |
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