三条大橋は時代祭の真っ直中で、素晴らしいゴールを迎えられました。

三条神宮道交差点って知ってますか。右へ曲がると正面に赤い大きな鳥居が見えるところ、
そう、
平安神宮の表参道だよ。その交差点まで来たボクたちは、時代祭のスケールに
圧倒されました。お約束の時刻まで時間があったのと寒かったので、ボクたちは喫茶店に
入って休むことにしましたが、この信号の先はもの凄い人波で、とても喫茶店に席は無いと思い
交差点の角にあった
ローソンの前の椅子とテーブルが一つ空いていたので休むことにしました。
14時51分
真ん中の信号機の下がボクたちが休んでいるローソンだよ。車はこの先通行止めで、
お巡りさんが八坂神社の方へ迂回させています。時代祭の行列は、ここで左折して
終点の平安神宮へ向かいます。パパは交差点のそばをあっちこっち移動して写真を
撮りました。佐武は寝ちゃったけど、平次とボクはローソンでおやつを買ってもらい
行列を見ながら椅子に座ってゆっくり休みます。

時代祭

京都三大祭りとは、葵祭・祇園祭り・時代祭ですが、その中でも比較的新しい祭りで
起源は、平安遷都1100年にあたる明治28年の10月25日です。最初はその年の3月に
創建された平安神宮へお参りするというスタイルで行われましたが、その後は桓武天皇と
孝明天皇の神霊が京都御所から巡行して平安神宮へ向かわれるということになりました。
10月22日は桓武天皇が新都に行った日とされ、その神幸列にお供をするのが時代行列です。

時代行列は、幕末の維新勤王隊に始まり、江戸時代、安土桃山時代、南北朝時代、
鎌倉時代、藤原時代、延暦時代と、時代を遡り平安時代まで行われる。それぞれの時代
には、その時代を代表する人たちが登場します。中山道に縁の深い人たちとしては、
桂小五郎(中津川)、和宮(各地)、静御前(寝物語の里)、巴御前(宮ノ越)、常磐御前
(寝物語の里)、小野小町(小野)などが華麗な衣装で参加しています。

時代祭の行列が通るコースは、12時に京都御所を出発し、烏丸通から御池通、河原町通
を経て三条通へ入ってきます。この神宮道へは14時10分の到着となっていますが、
最後の隊列が通過したのは15時30分を過ぎていたので、1時間以上かけて進みます。
実は時代祭が始まるのは、10月15日の時代祭宣状祭(小祭)が最初で、その後
10月20日の鳳輦、神幸列祭具飾立、10月21日の時代祭前日祭併献花祭、当日は朝7時の
時代祭(大祭)から始まり、8時には神幸祭、9時に御鳳輦出発行在所、10時30分に
建礼門前で行在所祭を行い、正午の行列出発となります。16時30分には還幸祭、
そして翌日の時代祭後日祭(小祭)をもって終了します。

時代祭の行列が通り過ぎていった三条通は、急にひっそりとしたよ。行列は西から東へ進み
それに併せて見物の人波も舗道を移動してくるので、ボクたち東から西へバギーを押しながら
進むのは、本当に大変だったんだ。ビルの陰に隠れて大きな人波を避けたり、
祇園町道標のある白川橋では、一時祇園側に入ってみんなが通り過ぎるのを待ちました。
空が開けたら左におじさんが謝っているような大きな銅像があって、パパが「
着いた〜」って
言いました。このおじさんは、高山彦九郎といって江戸中期の思想家で、明治維新の先駆者
なんだ。でも何で寛政の三奇人って呼ばれていたんだろう。詳しく知りたい人は記念館

15時44分
日本橋から540km、とうとうボクたち5人は京都の三条大橋へ着きました。
通算4年半、
250時間26分歩いて本当に京都まで来てしまいました。
もの凄く遠いようで、歩いてみたら短かった気もします。
日本橋は全く人がいなかったのに、三条大橋は時代祭の影響で、人でごった返しています。
いろいろな思い出をたくさん作った中山道の旅でしたが、ボクはもうすぐ中学生。
家族で、こんな旅をするのもこれで最後だと思い、嬉しいような悲しいような気持ちです。
次の旅は、平次を隊長にして出発したいとパパは言ってます。
それでは、ボクの中山道はこれで終わります。
大勢のみなさん、応援を本当に有り難うございました。
15時47分
三条大橋には、やじきた街道を行くのやじさん、鵜沼宿の富貴子おばちゃん
京都のお友達、茄子川ですれ違った札幌のユキおばちゃん達が出迎えてくれました。
また、ボクのおじいちゃんとおばあちゃんも新幹線に乗って駆けつけてくれたんだ。
おじいちゃんは身体の具合が少し悪いのに、遠いところまでありがとう。
そして、出迎えてくれたみんな、メールで祝福してくれたみんな、有り難うございました。
次は平次の旅、またみんなで応援してくださいね。
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