蝉丸神社に旅の無事のお礼を絵馬にして奉納しました


第45日目 2005年10月22日

平均気温14.1℃ 最高気温17.7℃ 最低気温9.4℃ 平均湿度--% 風速2.5m/s 降水.0mm 日照時間0.9時間
気象庁電子閲覧室より引用

 此附近露國皇太子遭難之地

 
 いわゆる大津事件はこの場所で起こったんだよ。大河にとってロシアと
 言えばシャラポワ選手ぐらいしか思い浮かばないかもしれないけど、
 今から114年前の春、この場所でとんでもない事件が起こったんだ、
 ロシアの皇太子のニコライさんが日本に遊びに来て、その日は京都から
 琵琶湖を見物に行った帰り道、この場所へ通りかかったところ、警備を
 していた警察官の津田巡査が、刀で斬りかかったんだ。
  幸い怪我で済んだんだけど、大人と子供ほど違ったロシアと日本。
 そのロシアを怒らせたら、日本は属国か植民地にされてしまうと、
 政府は大慌て。明治天皇まで東京から汽車に15時間も揺られお見舞いに
 駆けつけ、事なきを得たんだ。
  その後、津田巡査を死刑にしようとする政府と、法律は曲げられないと言う
 司法の争いがあったけど、法律は国家の精神なりと、児島大審院長が
 司法を守ったんだ。
  それから10年後に日露戦争でニコライさんは日本に負けて、更にロシア
 革命でレーニンに処刑されてしまうんだ。何とも気の毒な皇太子だったけど、
 そんな彼がこの同じ空間に居たなんて不思議な気がするだろ。
  
ちょっと難しい話だったけど、面白かったよ。この辺にはお茶屋さんやすだれ屋さんも
有って、昔から商店街だったのかなぁ。そんな道を人力車に乗って進むニコライさんが
今にも現れそうな気がしました。しかし、何で津田巡査は斬りつけたんだろうね。
9時27分
近江八幡の街には、色々なモニュメントが道路を飾って楽しかったけど
ここ大津の街にも
水が出てくるモニュメントがたくさんあって楽しいよ。
佐武はモニュメントが大好きで、ここでも見せろ見せろと大騒ぎでした。
大津は古い町だけど、新しいマンションも建ち始めています。古い蔵の
向こうにお寺の屋根、そして遠くに近代的なマンション大津ならではの風景です。

9時27分
あっと驚いたのが、この路線バスです。こんな可愛い路線バス見たこと有りますか?
ボクの街にもシャトルバスという小さなバスは有るけど、このバスは小さすぎるよ。
近江鉄道の路線バスで、大きなワゴン車と言った感じで窓が大きくて
とっても乗り心地が良さそうなんだ。それでこのバスは、石山駅から浜大津へ向かう
路線で、赤十字や市民病院、滋賀病院を経由するお年寄りが便利なバスみたい。
乗り降りも楽で、汚した人やお年寄りに優しいバスなんだ。
今度来るときは、ボクも絶対乗ってみたいな。

9時31分
バスが止まっていた交差点が札の辻でした。ここで東海道は直角に左折。
ここには昔
人馬会所もあって、大津の中心地だったんだ。真っ直ぐ進むと
北国海道で、七里半を越えて小浜へ行くよ。また、ここには大津市道路元標
有ります。栗東のページに大宝村大字綣元標というのが有って、この大津元標まで
四里十八町三十間五尺(17,370m)って書いてあったのを思い出しました。
札の辻は京町1と言う信号で、そこから170m登ってゆくと、右の写真、京阪電車が
路面電車から普通の線路入ってゆくところが見られるよ。
電車が車で、ボクたちは歩道に座って待っていました。
みんな道路を電車が走るのを見たこと無かったので大喜びで手を振りました。

9時41分
大津の本陣跡は、この坂の途中にあるんだよ。ボクたちは道路の
右側を進んでいたから反対側にある碑が良く見えなかったでど、
千寿美容室の前に洒落たモニュメント風の碑があるから見逃さないで。
パパの東海道のサイト風の便りepisodo8に出てくる小町湯は、今も健在でした。
隣の家の屋根には守り神の鍾馗様が、ボクたちの行く手を見守ってました。

9時47分
東海道を歩いている人にはなじみの東海道線の上を京阪電車が通る
煉瓦造りの橋だよ。今は国道の橋に、投げ入れ防止の柵ができて
写真を撮るのが大変なんだ。この橋は大正10年できた橋で、通称
蝉丸跨線橋って言うんだ。その向こうに東海道線の逢坂山トンネルが有るよ。
この逢坂山トンネルは、新しいトンネルで最初の
逢坂山トンネルは、
蝉丸神社の先、大谷加圧ポンプ場の隣にあるんだ。
明治13年にできた、日本人技術者だけによって建設された初めての鉄道トンネル
なんだよ。たった664mのトンネルだけど、西洋の技術者に頼らず
日本のトンネル技術の出発点といえる貴重な遺産なんだ。
ボクたちは見過ごしちゃったけど、時間のある人は是非見ていってください。

9時49分
頭に角が有るのが狛犬で、無いのが獅子ってパパが言ってましたが、
この
蝉丸神社の狛犬には立派な角が生えています。神社の中には
いくつか狛犬がいますが、この狛犬が一番古く、左は1823年、右は1818年の作品です。
ボクは右の笑っている狛犬?が気に入っています。可愛いと思いませんか?
9時50分
関蝉丸神社は、盲目の琵琶法師を祀った音曲芸道の神社なんだ。
その琵琶法師の名前が関蝉丸といって平安時代の人だよ。
百人一首でも和歌を詠んでいて、
 これやこの ゆくもかえるも わかれては 知るも知らぬも 逢坂の関 
が彼の作品さ。世阿弥の謡曲『蝉丸』では、生まれたときから盲目の蝉丸は
逢坂山に捨てられて、琵琶を慰めとしていたところ、その音色に惹かれた
前世の業により狂女になった姉と再会するというお話になっているんだよ。
ボクたちは、そんなことを聞いてもさっぱり分からず、境内で遊びます・
音楽の神様だから、みんな絵馬に、「今度のコンクールで入賞しますように」とか
「今度、発売するCDが売れますように」なんて書いてあったけど、ボクたちの
パパは、「
中山道を無事ここ迄歩くことができました ありがとう」って書いたよ。
パパが前回、この神社へ来たのは2001年4月13日12時56分。そのときボクたちは
北浦和まで進んでいたんだ。「これから長い中山道を無事歩いてここまでこれますように」
パパはそのとき、ここの神様にお願いしたんだって、でも本当に無事これたので
今日はそのお礼に
絵馬を奉納したんだよ。実はこの神社は無人で、台の上に
新しい絵馬とマジックが置いてあって、絵馬1枚500円って書いてあるけど
お金を入れる箱がなかったから、新しい絵馬の置いてあるところに百円玉5枚
置いてきたんだけど、ちゃんと神社の人、持っていってくれたか心配になりました。
日本橋から530km

10時00分
 逢坂(おうさか)

  「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・武内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと 
 出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の 
 要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され 
 和歌などに詠まれる名所として知られました。

右へ消えた京阪の線路は、蝉丸神社の前を通って、今度は踏切を経て
左へ進路を変えます。その踏切から30mの安養寺境内に
逢坂の碑が有ったよ。
説明には
武内宿禰と忍熊王はばったりと出会ったって書いてあるけど、
武内宿禰とは忍熊王を殺そうとして京都から追っかけてきたんだよ。
忍熊王は第14代仲哀天皇の皇子で、大仲媛がママなんだけど、神功皇后に
腹違いの兄弟である皇子(応神天皇)が生まれ、仲哀天皇亡き後朝鮮から
凱旋したのに危機感を覚え、兄の香坂王と一緒に神功皇后と赤ちゃんを
亡き者にしようと企んだんだ。それに怒った神功皇后が部下の将軍武内宿禰に
忍熊王討伐を命じ、ここ逢坂で追いつかれ、瀬田の渡しで殺されちゃった。
かわいそうな皇子さまだったんだね。

10時05分
ボクたちが歩いてきた道は国道161号線で、逢坂の碑から少し行くと
左から
国道1号線がに合流します。ここで左側に渡らないと、歩道のない
怖い国道になるので、みなさんも信号長いけど絶対に道の左側へ渡って
歩道を歩いてください。上に見える橋が
名神高速で、左には京阪電車
通っている交通のにぎやかな谷を、逢坂の関に向かって登ってゆきます。

10時13分
名神高速をくぐって50m行くと右手に蝉丸神社の上社があるよ。
ここには国道1号線を渡れる横断歩道と信号があるから、無理して
右側を歩いてこないでね。さっきの蝉丸神社は下社で、分社が他に大谷駅
のそばにあるんだよ。ここを中社と呼ぶ人もいるね。
ボクたちは、ここの舞台でゆっくり休んでゆくことにしました。

10時16分
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