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中山道最後の旅は、近代的な南草津から野路へ向けての旅です
| 第44日目 | 2005年10月21日 |
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| 昭和55年にさかのぼる第2次草津市総合計画の副都心構想によって 生まれた新しい街「南草津」が今回の旅のスタートだよ。駅も平成六年開業と ボクより若いんだ。パパが初めて東海道を歩いてきた平成二年には まだこの駅はなかったんだね。草津が昔からの宿場町で、この町は 立命館大学があって新しい文教の街。洒落たお店もたくさんあるし 街全体がバリアフリーなので、バギーでもとても歩きやすいと パパは感心していました。東名高速から名神高速を夜通し走って、 今朝、石山寺の旅館に着いて車を置いて、電車でこの駅にきました。 前回のゴールデンウィークから暑かった夏を過ごし、半年ぶりに 帰ってきたという感じがします。じゃあ元気に出発だ〜! 9時46分 |
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| 東海道のスタートは、野路の一里塚跡がある上北池公園だよ。 新しい南草津の街に分断されちゃった東海道だけど、ちょっとした あづまやもあって、休憩するにはもってこい。ボクたちもちょっと 休憩してから出発したよ。駅からこの公園までは512m。 出発するには、前方に大きな道路があって渡れないから、 またちょっと駅の方へ戻ってから信号のある交差点を渡り東海道へ 戻ります。すぐ左にののみち保育園がある路が旧東海道だよ。 ボクの小学校シリーズをまねて、実際に保育園児の佐武と平次が きれいな門の前で記念撮影です。 9時53分 |
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| 保育園から2分ほど進むと、右側にアベマキエノキという草津市の 指定保存樹がこんもりと現れます。ここは遠藤権兵衛家で、代々 平清宗の胴塚が保存されています。清宗って覚えていますか、 ここの看板の説明によると、宗盛は確かに野洲の大篠原で殺され たんだけど、息子の清宗はこの地で父の斬首を聞き潔く堀弥太郎景老の 一刀に倒れたと書いてあるんだ。でも野洲市の大篠原での説明では、 親子仲良く胴は大篠原に埋葬されていると書いてあって、どっちが 正しいのかボクには分からなくなってしまいました。誰か教えて? 新宮神社の鳥居を左に見て進みます。 9時58分 |
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| 静かな住宅街の路を緩やかに下ってゆくと、名神の草津田上ICへ向かう 交通量の多い道を横断するよ。信号も無いので怖いなぁと思っていたら 親切にトンネルで横断できました。パパは3回ここを通ったけど、 こんなトンネル初めて気が付いたと妙に感動していました。やっぱり 街道歩きはゆっくりキョロキョロじゃないとだめだなぁって嘆いてます。 交差点の左にはセブンイレブンがあるから、飲み物とか買えます。 佐武ももうすぐ3才になるので、車の少ない道は良く歩くよ。 10時10分 |
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昔、京都御所では小正月の日に小豆粥を食べるのが習わしでした。しかしその粥を作る ための水は、伊勢神宮の境内を流れる五十鈴川を使うことになっていました。その水で 小豆を炊くと美しく、やわらかく炊きあがるからです。ある年、その水を汲みに行く使いの者 がこの野路の玉川で休憩したとき、あまりにここの水はきれいなので、愛しい妻子の元へ 早く帰りいたいばかりに、嘘を言ってここの水を汲んで帰りました。しかしその年の小豆は 美しく炊けず、嘘がばれてしまい使いの者は島流しとなり、一生妻子と会えなくなってしま いました。「あの玉川の水がこんなにきれいでなかったら」と使いの者は恨みで濁らせて 見せると言ったのですが、玉川は濁るはずも無く、いつまでもきれいで旅人を慰めて きました。 滋賀の民話より |
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| 今日は、幼稚園児たちがいっぱい来て、おじさんの説明を聞いていたよ。 おじさんの話は、きっと上に書いた民話なんじゃないかと思いました。 再現された野路の玉川は、きれいな水が泉からあふれています。 平次は同じ年頃の子供がたくさんいるのではしゃぎまくっていたら、 おじさんの話を聞いていた子供も気が散ってざわつきだしたので 早々に引き上げ、次のグループとすれ違いながら西へ進みました。 10時12分 |
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| 370m程進むと、右側に大きな池が現れます。池の真ん中には 浄財弁財天が奉られているんだけど、子供が入って池に落ちたら 大変なので、入り口に鎖がかかって入れないようになっています。 白い建物は、1990年に雨の中、やっとの思いでここまで来た パパが、休んだ喫茶店ですが、今は普通の民家になっています。 10時23分 |
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| 池のはずれには狼川を渡る橋があって、ここからは緩やかな登りが 続きます。右に 並木になっていて気持ちがよい道です。この辺りはず〜っと住宅地なので こんな土手と並木が現れるとほっとするよ。この黒鉛工場は昭和18年に できて、今では鉛筆の芯からプリント基板まで作っているんだって。 10時35分 |
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| 犬夜来のある古風な家を過ぎ、名勝月輪大池の碑を左に見て緩やかに 坂を下ってゆくと、明治天皇の碑がある月輪寺の前に出ます。すると突然 道が開け、どれが東海道だか分からない所に出ました。この左の池が どうやら月輪池らしいのですが、そんなに大きくはないよ。現在は21,000m2の 池だけど、地図から想像すると昔は、96,000m2くらい広かったみたいだね。 月輪寺の境内の前全てが池だったんじゃない。するとそこに月が写って 名勝だったんだね。そんなことを考えながら、ここは右の太い道じゃなくって 山が正面に見える、左よりの細い道を進んでください。 10時53分 |
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| 池の前には東海道立場跡の真新しい碑が建っていました。そこから昔の 池沿いの道と思われる場所を300mたどると信号のある交差点に出ます。 昔は池の中じゃなかったのかなぁという角にはガーデンスクエア瀬田という マンションが建っていて、その前には東海道が分かり易く道標があるよ。 11時02分 |
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| 桜の木がすばらしい一里山橋を渡って、5分ほど歩くと、瀬田の駅から 真っ直ぐ延びる大きな道の信号のある交差点に出るよ。左の写真が その信号を渡り損ねたボクたち、でも渡り損ねて正解。振り返ったら左手前に 見えるから見逃さないけど、東京から来た人は信号が青で慌てると 見逃してしまうから気をつけてね。クリーニング屋さんの角にあるよ。 日本橋から520km 11時09分 |
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| 一里塚から坂を下ってゆくと左に大津市東消防署の訓練施設が見え 317mで「大江4」の交差点。更に瀬田小学校の裏門を右に見て緩やかな 坂道を下ってゆくと左の写真の交差点に出ます。写真の上にカーソルを 会わせてみて!電信柱の上の方に東海道はここを左に曲がれって 書いてあるでしょう。うっかり見落とさないでしっかり曲がってね。 間違えて真っ直ぐ行くと160mで国道へ出ちゃうから確認してね。 次が右の写真の角。左の写真の左折ポイントから433mの場所です。 途中小さな橋を渡って、左に土手と川を見ながら進むと左に初田仏壇店の 看板、正面にカーブミラーのあるここで東海道は右に曲がります。 気が付かないで真っ直ぐ進むと110mで近江国庁跡だから、間違った 人はついでに見学してゆくのも良いかもしれないね。 11時29分 |
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| 仏壇店を曲がって570mで瀬田の唐橋へ向かう旧国道へ出るよ。 正面にも仏壇屋さんがありました。何かこの辺仏壇の街なのかなぁ。 平次は東京では珍しいカタツムリを見つけて大喜びです。 11時37分 |
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