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東門院の仁王様が、御輿で賑わう宿場を見守っていた。
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| 野洲川橋を渡ると、もう守山宿にはいるよ。560mで県道1号吉見三丁目交差点だ。 右に真っ直ぐ行くと琵琶湖大橋、左に行けば5km足らずで、東海道石部の 和中散本舗なんだ。東海道と中山道が、もうこんなに近づいたから草津は近いねと パパは感慨深そうに、南の山並みを眺めていました。この交差点から167m進み もう一本の広い道路を渡ると、守山宿の加宿である吉見に集落に入るよ。 また、この交差点の東側100mの位置に昔、益須寺(やすでら)が有りました。 このお寺は日本書記に出てくるんだけど、江戸時代から何処にあったか 分からなかったんだ。でも昭和40年以降の調査で法隆寺式の瓦などが発掘され 場所が分かったんだよ。日本書紀によると奈良の都から二人のお坊さんを送って 醴泉を飲ませたことや、この醴泉を病人に飲ませ益須寺で治療したことが出てるんだ。 14時51分 |
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| ここは、守山宿の加宿である吉見宿の入口で、高札場跡だよ。このY字路には 伊勢戸川という小川が流れていて、それが本宿と加宿の境なんだ。吉見とは 古くは吉水郷と呼ばれ、豊かな森林と綺麗な水に恵まれた天下の景勝地 だったんだよ。野洲川の伏流水だった伊勢戸川も、もの凄く綺麗で旅人の 飲料水になっていて、里中では珍しく流れも速かったのでいろいろな魚や ゲンジボタルもたくさんいたんだって。でも昭和30年代以降水が汚れて螢は いなくなっちゃったんだけど、市や町の人達が頑張って、最近又川をきれいに したら螢が戻ってきたんだって。こんな町中に螢がいるなんて凄いことだね。 また、この場所は追分になっていて、Y字路を京から来て右に進むと石部道だよ。 14時56分 |
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| 高札場から守山川の吉見加宿、そして守山宿本宿への街道は稲妻型道路と 言って、街道沿いの民家が、直線ではなく一戸毎に段違いの屋敷割になってるよ。 現在は道路整備で分かりにくくなってるけど、所々に残っているのが分かるよ。 木曽の本山や平沢に、斜交屋敷と言うのがあったけど、似ているね。 そんな町並みを見ようと進んでいったら、道一杯にお祭りをしていてビックリ。 ボクと同じ小学生のお友達が、御神輿を担いだり、道に座って休憩したり、 バギーを押して進むのが大変でした。そういえばお祭りは群馬の板鼻宿以来だね。 あの時は、屋台が出ていたので楽しかったけど、ここはちょっと恥ずかしかったよ。 14時59分 |
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| 街道沿いにある ここからは、守山宿の本宿なんだ。川は小さいけど川の中に守山川起点という 石柱が建っていました。交差点にはおそろいのユニフォームを着た、街の人達が 大勢いて、これからやってくる大人御輿の警備をしていました。 15時03分 |
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| 裃を着て馬路石邊神社の旗を守ったおじさんが先ずやって来て、 その後に黒い烏帽子を被った四人の白装束のおじさんが小さな御輿を 担いで来ました。そして、この大人達が担ぐ大きな御輿がやって来たよ。 ボクたちの他にも、カメラを構えた街のおじさんがたくさんいました。 この御輿の後は、巫女さんの装束をした、小学生の女の子達が 続き、あっという間に通り過ぎてゆきました。 15時05分 |
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| 新善光寺道の追分を過ぎると、いよいよ守山宿です。 和中散本舗と共に石部宿にあるんだよ。本宿はここと、この先錦織寺道追分の 間の233mだよ。ここに本陣・問屋場などが有ったんだけど、今は無いんだ。 15時08分 |
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| 左が本陣の甲屋(かぶとや)跡だよ。ここは謡曲望月の舞台なんだ。 謡曲望月 それは仇討ちの物語で、信州に住んでいた安田さんが、望月という人に 殺されて、それを悲しんだ安田さんの家臣の小沢さんが、望月を捜すために 人通りの多いここ守山で旅館を経営して待っていると、安田さんの奥さんと 子どもが、偶然泊まるんだよ。そしたら更に思いがけず、当の望月も やって来たんだ。小沢さんと安田さんの奥さん達はチャンスとばかり策を練るよ。 奥さんは物語を語り。子どもは太鼓を演奏し、そして小沢さんは舞を踊って 望月を安心させて討ち取るんだ。めでたしめでたしと言うのがこのお話。 右は町屋ふれあい館の筆忠だよ。筆忠というのは屋号で、明治時代からの 商家「山中油店」のことなんだ。それを町と住民そして滋賀県立大学の学生達が 整備して市民の憩いの場としたんだよ。15時11分 |
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| 筆忠の隣で、古い家をパパが撮っていたら、隣の洋品店のおばちゃんに 声を掛けられました。「あんた、目の付け所が良いねぇ。あの家は古い家だけど 近々取り壊されるんだよ。今、撮って置かないともう見られないよ。」だって そして、おばちゃんはパパを捕まえて昔話をたっぷりしてくれました。 15時13分 |
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| 守山宿の外れにあったのが、この東門院です。最澄が793年に比叡山延暦寺を 建てたときに、このお寺も建てられたんだよ。比叡三千坊の中の東の端にあったから 東門院と呼ばれるようになったんだよ。また、比叡山延暦寺を守る寺と言う意味から 守山寺と言うんだよ。守山宿もここから来たんだね。江戸時代には朝鮮通信使の 宿になっていたんだ。特に驚いたのはこの仁王門だよ。中山道沿いのお寺で 仁王様がいる門を見たのは初めてなんだ。とても怖い顔でビビリました。 上の門の写真で、仁王様のところにカーソルを合わせてみてください。 15時15分 |
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| どばしを渡れば、守山宿ともお別れで、吉見と同じく加宿の今宿に入ります。 600mほど進んだ、守山会館の前には、江戸から128番目の あります。ここは南塚だけが残り、昭和中頃に枯れた榎の脇芽が成長して 今ではこんなに大きく立派になっているよ。 15時29分 |
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