間の宿の鏡宿には、16才と25才の義経がいた。

国道8号から再び旧道にはいるところは、遠くに鏡山が見え、左に
日本ペイントの大きな看板がある、このポイントだよ。たった400mで
国道8号の
「鏡口」の交差点に出てしまいます。国道を真っ直ぐ行っても
30mしか変わらないから、静かな旧道を歩いた方が良いよ。
ラーメン屋さんの看板が見えたら、もう国道へ戻るよ。
10時00分
この、緩い登り坂が鏡の宿だよ。まずは、旅籠吉田屋跡、旅籠吉野屋跡、
鏡郵便取扱所跡と看板だけの旧跡が続きます。鏡の宿は16kmあった武佐宿と
守山宿の中間の間の宿です。また、ボクたちの歩いた中山道では、
この写真の位置が、
日本橋からちょうど500kmなんだよ。
10時02分
左は、源義経宿泊の館跡だよ。承安4年3月3日、京都の鞍馬寺から奥州へ
向かう途中、元服したときに泊まった家で、宿駅の長であった澤弥伝の「
白木屋」と
いう旅籠が有った場所なんだ。昭和30年に台風で壊れるまでは茅葺きの家が
有って、毎年12月第二の午の日に行われる「
とらがい祭」はこの家が行われて
いたんだって。今では鏡神社で行われているんだよ。子ども達が鐘と太鼓を打ち鳴らし
「とうがらい、まあがらい、まあがあったらとうがらい」と大声で囃し立てるんだけど
これは、「泊まらい、まあ上がらい、まあ上がって泊まらい」が訛った言葉で、
旅籠であった白木屋の客引きの言葉から来たんだ・その隣に有ったのが
間の宿である鏡宿の
本陣跡だよ。間の宿にも本陣があったんだね。
10時06分
少し進んで同じ右側にあるのが、鏡神社だよ。垂仁天皇の時代に新羅から
やって来た王子様の
天日槍(あめのひぼこ)を祀った神社で、陶芸、金工の
神様なんだ。近江源氏佐々木氏の一族鏡氏が守って来た源氏ゆかりの
神社だったので、この地で元服した
義経も、源氏の再興と武運長久を祈願
したんだよ。ちなみに源氏は新羅系、平家は百済系と言われているんだよ。
日本の偉い人達は、みんな朝鮮半島から渡ってきたんだね。でもボクたち
の家は、家紋がオリオン座なのと、火と水をみて興奮するから、きっと
ポリネシアから来た人達なんだよとパパは言っていました。

10時08分
鏡神社の参道には、鳥帽子掛けの松があるよ。義経がたった一人で元服し
この神社に参拝したときに烏帽子を掛けた松なんだって。でも明治6年の台風で
折れちゃったので、切り株だけが残っているんだ。
鏡神社の本殿は三間社流造り、
こけら葺で南北朝時代の建築で国の重要文化財に指定されているよ。
参道の脇には小さな公園があって木陰が涼しそうだったので休みました。
ここは徳化学校跡という石碑があったけど、何の学校だったのかなぁ。
遊具もあったので、チビどもは楽しそうに遊びました。また国道を歩き始めると
義経元服の地という大きな看板が有りました。ここ鏡の宿は竜王町なんだけど
この元服の地を巡って町の人達は大変でした。というのも、今
NHKの大河ドラマ
義経をやっているんだけど、放送では元服の地が尾張・内海庄になっちゃたんだ。
そこは、義経の父・義朝が殺された場所で、NHKは物語に躍動感を与えるため、
父の最期の地で元服する設定にしたんだって。でも鎌倉時代初期の平治物語
では、ここ竜王町が元服の地と書いてあるので町の人達は怒っています。
大河ドラマを見た人達が大勢やって来て町の観光が潤うと期待していたのに。

10時43分
国道の反対側に見えるのは道の駅「竜王かがみの里」だよ。公園で喉が渇いた
ボクたちに、パパはここまでやって来てジュースを買ってきてくれました。ここでも
大河ドラマにあやかって義経元服料理を売りだしたのに、客足はさっぱりのようです。

10時43分
この石碑のあるところは、義経の「元服池」だよ。鞍馬をこっそり抜け出した牛若丸は、
奥州の金売り吉次と下総の陵助頼重を同伴して奥州へ向かいました。しかし平家の
追っ手が稚児姿の牛若丸を捜していると聞いて、今のままでは見つかってしまうと思い、
ここで元服することにしたんだ。そこで鏡宿の
烏帽子屋五郎大夫に源氏の左折れの
烏帽子を作らせ、鏡池の石清水を使って前髪を落とし、大人の侍の姿を池の水に映して
元服をしたと伝えられているんだ。そして無事に奥州まで行ったんだよね。
ボクは
タッキーがここを通って岩手まで歩いていったと思い嬉しくなりました。
道は、ここから250mほど国道を離れ左に入ってゆきます。

10時45分
静かな旧道を進むと、明治天皇聖蹟という大きな石碑が左側に有りました。
ガソリンスタンドのところで国道に合流すると、
平宗盛胴塚という小さな看板が
有りました。時間がある人はこの看板に従って、左の小径を進んでみてね。

10時57分
こんな細い道を、100mほど入ってゆくと林の中にひっそりと現れたのが
平家終焉の地です。平家が滅亡したのは壇ノ浦だと思っていたけど、
実はここ野洲市の大篠原だったんだよ。壇ノ浦合戦で義経に敗れた平家は
ことごとく入水戦死したんだけど、平家最後の最高責任者だった平宗盛父子と
平時忠だけは捕まって、義経が連れて鎌倉へ向かったんだ。
しかし、勝手に官位をもらった者は、鎌倉に入ってはならないと兄の頼朝は命令を出し、
義経は仕方なく腰越から京に引き返すことになったんだ。
その途中、あと京都まで一日というこの場所で、義経は首を京都へ持ち帰るため
平宗盛父子を処刑したんだよ。そして義経のせめてもの配慮で父子の胴体を
ここで一つの穴に埋葬したんだ。それが右の写真の場所だよ。
義経は何度も鏡の宿を通ったんだけど、自分が元服した土地を汚すのが嫌で
ちょっと離れたこの場所を選んだよ。そんな訳でここが平家終焉の地なんだ。
今は狭くなったけど、胴塚の前には大きな池があって、この池で父子の首を
洗ったので、
首洗い池と呼ばれています。それがあまりにも哀れだったので
その後、カエルが鳴かなくなったので
蛙鳴かずの池とも呼ばれているよ。
この写真の真ん中より少し右の山の麓に胴塚があり、首洗い池の一部が今でも
山裾に広がっていました。この時義経は25才。元服から9年後のことなんだ。
この写真に写っている同じ場所で2つの事件が有ったなんて夢のようです。
今までの義経に関するお話は竜王町のHPに詳しく載っています。

11時02分
国道8号の大篠原交差点の手前で、今度は右側の旧道を進みます。
533mの旧道で特に名所は無かったけど、お祭りの提灯や
大きなタニシ
ボクたちを迎えてくれました。特にタニシを初めて見た佐武は興味津々

11時18分
旧道から国道8号に合流するところにファミリーマートが有りました。
この辺には食堂やレストランも見あたらないし、天気も良かったので
ここでお弁当を買って、建物の影で食べました。ボクたちはアイスを
買ってもらってご機嫌です。オートバイのお兄さんが来て、ボクたちが
地元の人だと思って道を聞かれたけど、パパは地図を見て正確に
道を教えていました。ボクも地図が分かるようになると良いと思いました。

11時33分
ファミリーマートの前には。大きな土手があってその向こうが見えなかったので
気になったパパは国道を横切って土手の上に登りました。そしたら
西池という大きな池が
あって、その後ろに
鏡山(384.6m)が見えたよ。鏡宿から随分遠くまで来たんだね。
12時00分
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