広重が描いた武佐は横関川の舟橋だった


第42日目 2005年5月5日

平均気温18.9℃ 最高気温26.8℃ 最低気温12.5℃ 平均湿度57% 風速1.5m/s 降水量0.0mm 日照時間10.9時間
気象庁電子閲覧室より引用

伊庭貞剛翁 生誕の地
今回の二日目は、近江八幡のホテルを出発し、近江鉄道を一駅乗った武佐駅
から出発だよ。駅のところで中山道は枡形になっていて踏切を渡ると西宿の
集落に入ります。ここで目立ったのは、一本だけそびえていた大きな木。
7時57分

伊庭貞剛の話
その下には伊庭貞剛翁生誕の地という看板が有りました。
この人は明治時代に活躍した人で、この地に生まれ剣道を習い、裁判官に
なって函館や大阪で活躍し、でもお役所仕事が嫌で32歳の時村長にでも
なろうと故郷に帰ってきたんだ。でも叔父さんに勧められ住友に入社し大活躍。
明治34年に公害問題でもめていた足尾銅山を見て、住友家が200年も銅を掘り続け
木が無くなって荒れ果てた別子銅山を伊庭貞剛の判断によって
製錬所を、新居浜から瀬戸内海の無人島に移し、鉱山に植林をして
緑を復活させたことが高く評価されたんだ。しかし無人島からの亜硫酸ガスが
周辺の島々へ流れ再び公害の問題が発生したけど、ドイツやアメリカから
化学者を招き、亜硫酸ガスを除去する装置を開発したんだ。
58才になったとき「事業の進歩発展に最も害をするものは、
青年の過失ではなくて、老人の跋扈」だと云って早々と引退していったんだよ。
今でもこんな人がたくさんいたら日本も良くなるかもね。


踏切から550m西宿の町を進むと国道8号線に合流するよ。
8時10分
国道は左側を歩いてきてね。690m進むと六枚橋という信号が有ります。
ここで中山道は左に曲がります。真っ直ぐ50m行ったとこにはコンビニ
が有るので、お腹が空いたり飲み物が心配な人は寄り道してください。

8時11分
国道を左折して六橋亭の前を過ぎて94m行くと今度は直角に右折します。
そして330m進めばまた国道に戻るよ。ちょっとした
クランクだけど、この短い
道にも、
悲しいお話が伝わっているんだよ。
8時14分
住蓮坊
京都に安楽寺というお寺があって、「松虫鈴虫寺」って呼ばれているんだ。
後鳥羽上皇に可愛がられていた松虫と鈴虫の姉妹は、とても美人だったんだって。
浄土宗を開いたのは法然だけど、その弟子に住蓮と安楽というお坊さんがいて
松虫と鈴虫はそのお坊さん達のお説教を聞いてすっかり気に入って
後鳥羽上皇が熊野詣での留守中に髪を切って尼さんになっちゃったんだ。
帰ってきてそのことを知った上皇はカンカンに怒って、安楽は京都の六条河原で
そして、住連はここで首を切られたんだ。法然もその罪で四国に流され
四年後に戻ったときに住蓮山安楽寺というお寺を造って二人の弟子を
弔ったんだよ。今でも二人の弟子と松虫鈴虫のお墓が有るんだよ。
安楽寺は東海道が三条大橋にゴールする手前、蹴上浄水場から北へ1.5kmの
所だから、ゴールしたら是非訪れて見たいねってパパが言いました。
クランクを過ぎて再び国道に合流し、国道を400m行くと白鳥川です。
橋を渡った右側には
高野山世継観音道の道標があったよ。
8時24分
白鳥川から続く町は馬淵町でフジファミリーショップ前の信号を渡って
国道の右へ入ってゆく旧道に進みます。ここは、前に紹介した
東近江エコ・サイクルコースの「
まちなみ・水郷・中山道コース」だよ。
この写真のボクの頭の右上の所に看板があるから確認してね。
ここから西横関までの3000mは旧道を行くから車の心配が無く安心だよ。

8時32分
馬淵町から旧道に入って280mの所にある大黒屋本店は、とても楽しみに
していたお店です。それは近江牛で作った甘くて美味しいコロッケが有るからです。
パパが下調べして「中山道山あり谷あり二人旅」さんのサイトから
ここのコロッケが美味しそうだから、今日は絶対食べるぞって言っていたのです。
なるほど
コロッケ揚げてますってガラスに書いてあるぞ。
でも
大失敗です。このお店の開店時間は10寺から19時。今は8時36分。
まだやってないじゃん。ってボクはがっかりしました。
余りの落胆で、みんな進む元気がなくなって、その先の田圃の交差点で
座り込んでいたら、自転車にトウモロコシの苗を積んだおばさんが
この人達、どうしたのだろうと心配顔で話しかけてくれました。
東京から歩いてきたことを言ったらおばちゃん驚いて「ボクたち偉いね」
って誉めてくれました。おにぎり食べてやっと元気が出たのでまた出発です。
みんなは、10時過ぎにここを通過するようにスケジュール立てて
絶対、美味しいコロッケを食べていってください。

8時43分
休んだ場所からは、畑の向こうに遠く、夕べボクたちが泊まった
近江八幡の町が、霞んで見えました。
東横関の町は、広い田圃の中にあります。何処の田圃も今は田植えの
真っ最中だよ。みんな機械で田植えしているけど、このおじさんたちは
昔ながらの手で
田植えをしていました。この道は車がほとんど来ないので
佐武も安心して歩けます。
8時57分
東横関町を抜けると、道は登り勾配になって大きな川の土手へ上がるよ。
ここで中山道は川に阻まれ進めなくなります。

9時11分
昔はここで川を渡っていたんだけど、今は橋が無いから450m土手を
歩いて上流の国道の橋まで行かなければならないんだ。ちょっと
遠回りだけど、仕方がないんだ。でも
遠いなぁ国道の橋
9時15分

中山道六十九次の内・武佐

中山道は別名「木曽海(街)道」とも呼ばれていた。その中山道六十九次の第六十七番目が
武佐宿である。この絵は浮世絵師安藤広重が武佐の西にある日野川(横関川)の舟渡しの
様子を描いたものである。文化三年(1806)幕府が作成した「中山道分間延絵図」には「平常
渡し場、小水之節ハ舟二艘ツナギ合セ舟橋トナシ往来ヲ通ス」と注記されていることから、
平常旅人はこの川を舟で渡り、水量が減ると川に杭を打って止めた二艘の舟の舟の上に板を
渡して作った舟橋を渡っていたことになる。そうして広重は、大助郷の東横関村をあえて武佐
としたと考えられる。日野川のこの場所に、橋が架かったのは明治8年(1875)のことであり、
明治19年(1886)には無賃通行となり、それから明治26年(1893)に新調されたが、道路は中山
道から国道8号となりその新道として昭和12年(1937)近代的な横関橋が、この上流に架橋され、
旧い橋はその2年後に撤去された。現在もここから日野川をはさむ両側には、かつての中山道
の道筋が旧道として残っている。また、河原に下りれば、かつての旧道の橋の名残も確認出来
るので、往古の情景を思い浮かべていただきたい。

国道で日野川を渡りきった所に、右に入る小径があるよ。車止めがあって
車は行けないけど、人間は入れるから進んでね。入口にはゴミの不法投棄禁止
の看板があるからそこを入ってね。中の道は車が来ないので佐武も一生懸命
歩いたよ。先に進んでいた平次が「虫見つけたよ〜」って言うと
佐武は慌てて走り出しました。もう走れるくらい大きくなりました。

9時30分
道は分岐が多くなって、どの道を行こうか心配になるけど、とにかく
真ん中の道を進んでね。そうすると橋から1000mほどでまた国道8号に
出ます。そこには信号があって
西横関って書いてあるよ。
今度は344m先で左にはいるから、ここで信号を渡って左側に行きましょう。

9時46分
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