田圃に中に浮かんだ武佐宿は鎌倉時代からの宿場だった

中山道の両側は、広い田圃になって、その向こうに小さな
山が見えたよ。家並みが始まったら、もう武佐宿だよ。
昔は、武佐駅の南の広大な東海カーボン滋賀工場の隅にある長光寺が武佐寺と
呼ばれ、宿になっていたんだよ。江戸時代になって、山の際に散在していた家を
街道沿いに集めて、今の武佐宿が出来たんだって。だから空から見ると
広い水田の中に浮かんでいるような町なんだ。弟の佐武は佐武と市捕物控の佐武
なんだけど、佐武って逆さまにすると、武佐になるって初めて気が付きました。

13時33分
老蘇町から西生来町に入って411m。武佐小学校からは771mの所に小さな川が
流れていて、その川の中を見ると不思議な石碑が建っていました。
泡子延命地蔵尊御遺跡って書いてあるよ。これには不思議な伝説があるんだ。
13時38分
 泡子地蔵のいわれ

 昔この地に村井藤齊という者が茶店を構え、妹が茶を出して旅人を休ませていた。
 ある日一人の僧が来てこの茶店で休憩をしたところ妹はすぐに大変深くこの僧に恋をした。
 そしてこの僧が立ち去ると、僧の飲み残した茶を飲んだ。すると不思議やたちまちにして
 懐妊し、男の子を産み落とした。それから三年して、その子を抱いて川で大根を洗って
 いると僧が現れて嗚呼不思議なるかな、この子の泣き声が、お経を読んでいるように
 聞こえると言う。振り向いてその僧を眺めると、三年前に恋をした僧であった。
 妹が前年の話をすると、その僧が男の子にフッと息を吹きかけたとたん、泡となり消えて
 しまったと言う。僧が云うに、西の方にある「あら井」というところの池の中に貴き地蔵が
 あり、この子のために、お堂を建て安置せよ。現在は西福寺の地蔵堂に祀ってある。
 このことは西生来の町名の由来でもある。
本当に不思議な話だね。泡になって消えた男の子と、池の中にあった
お地蔵さんはどんな関係だったんだろう。また周辺に東生来町とか
南生来町が無いから西生来は西から僧がやって来たという意味なの
かな?そんなことを話しながら100m進んだら右側に例の
地蔵堂
あったよ。そして更に670m行くと右側に牟佐神社、左側に武佐小学校
が出てきて武佐宿に入ったようです。
13時49分
牟佐神社
牟佐神社は、平安朝の時代からの神社で、諏訪大社みたいに上社と下社が有ったんだ。
ここの牟佐神社は下社なんだよ。広い境内の奥にはとても
大きなケヤキがそびえてるよ。
ここには武佐小学校の生徒が作った
高札場跡の看板もありました。
14時06分
武佐宿は江戸時代の台帳によると900mあった書いてあります。すると牟佐神社から
武佐駅までが江戸時代の宿場だったんだね。真ん中に国道421号が横断してるけど
そこまでの間には
明治天皇御聖蹟脇本陣跡が有りました。
14時23分
この古い建物は、明治19年に建てられた、旧八幡警察署武佐分署庁舎だよ。
玄関の上には、今の警視庁と同じマークが付いているからビックリしました。

そしてすぐに国道421号線との交差点だよ。その右手前の角に宿場を紹介した
看板と新しい常夜灯がありました。

14時25分










多摩動物園にて
象さんのお話
看板にはこの武佐宿に江戸時代に象が泊まった事が
書いてあったよ。この象さんは、第8代将軍の徳川吉宗が
中国の商人に注文して輸入したんだよ。1728年6月13日。
牡と牝の象2頭がベトナムからやって来て長崎に上陸し
たんだけど、3ヶ月後に牝は死んじゃったんだ。
それから牡は江戸をめざして翌年の3月に陸路を旅立ったんだ。
4月28日には京都に着いて、5月25日に江戸に着いたから、
その間の5月の連休頃に武佐宿に来たのかも知れないね。
今から丁度277年前にこの道を通ったんだね。その後江戸に
着いた象さんは、現在の浜離宮恩賜庭園で飼育され10年ほど
江戸の町の人達の人気者だったんだよ。でも最後は中野区の
見晴らし茶屋の源助さんが引き取り象小屋を造ってみんなに
見せたんだけど1742年12月に病気になって死んじゃったんだ。

国道との交差点の角にある大きな蔵のある家は、ボクたちのファンの
園田さんちだよ。おじさんはいつもボクたちのサイトを見ていてくれて
今回、武佐を通るときには是非遊びによって下さいってメールが来たから
お邪魔しちゃったんだ。おじさんちはとっても大きくて、この写真の建物
だけじゃなくて、奥には住んでいる家も有るんだ。ボクたちはお花が一杯の
綺麗な中庭で、冷たい飲み物やおやつをご馳走になりました。
武佐宿の事もいろいろおしえて貰ったよ。おじさんの話を聞きたい人は
是非メールを出してね。昔から住んでいる人だから何でも知ってるよ。
おじさん本当に突然お邪魔しちゃって有り難うございました。
メールアドレス聞きたい人はボクたちまでメール下さい。

14時25分〜15時16分
おじさんの家の向かいは大橋家だよ。この家は昔、宿場の伝馬取り締まり役人
だったんだよ。裏庭は立派だって書いてありました。右の家はその先の中村屋
という
旅館です。今でも旅館をやっているんだよ。ボクたちみたいに車を使わない
人は街道沿いにあって情緒があって泊まってみたらいいね。

15時17分
中村屋旅館の向かいが武佐宿の本陣跡です。いまでは門しか残って
いないのがちょっと残念だったね。
15時17分
本陣の先の交差点が昔の国道421号線。つまり八風街道です。
近江を制する者は天下を制す、道の国近江と云われるくらい近江は
交通の要所だったんだ。右は
安土浄厳寺道で左が伊勢に続く八風街道
こうして地図を見てみると、東海道や中山道そして北国街道や鯖街道と
みんな近江を通って各地に延びていたんだね。ここを押さえれば
誰も何処へも行けなくなるから、昔は特別な所だって事が分かるよ。
あっという間に武佐宿は終わってしまいました。今日のゴールは宿場の外れの
近江鉄道武佐駅です。ボクたちの宿は近江八幡のホテルだから、ここから一駅
電車に乗って、宿に向かいます。駅まで来たら本数の少ない近江八幡行きの
電車が来てしまいました。次の電車はいつ来るのかなぁ?ゆっくり缶ジュースを
飲みながら、次の電車を待つことにしました。

15時23分
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