地裂けを防ぐための植林が広大な老蘇(おいそ)の森を形成した

五個荘清水鼻から国道8号線に出ると、両側に広い田んぼが山の方まで
続いているよ。ここでもおばちゃんが一人で田植えの後片付けをしてます。
今日は一日中快晴で気温も24℃まで上がったのでとても暑く、涼しい木陰が
欲しくなりますが、国道にはなかなか木陰が無くて参ったよ。

11時27分
そろそろお昼ご飯の時間で、お腹が空いたボクたちのためにパパは地図から
大衆食堂おいそを探してくれました。でもまだ準備中でがっかり、新幹線のガードを
くぐって、新幹線の土手に小さなトンネルを見つけたので、この木陰?で
今朝コンビニで買っておいたおにぎりを食べました。昔通った埼玉県の本庄でも
ゴールデンウィークで、何処のお店も閉まっていてお腹が空いたことを
思い出しました。そんなこともあるからと、パパはいつもおにぎりを用意してます。

11時32分
清水鼻から国道に出ると、国道の右側の歩道714mを歩くよ。反対側には
歩道がないからしかたないよ。左の写真の場所で国道を横断するんだけど
信号も横断歩道もなくてとっても危ない道なんだ。苦労して渡ってみたら
地下に歩道があるって向こう側に行って分かったんだ。京都から来た人は
真ん中の写真の
地下歩道を行けばいいけど、東京から来た人には看板も
見あたらないので、ボクたちみたいに危険な横断に挑戦しちゃうね。
日本橋から490km
国道から直角に南にはいると老蘇の集落だよ。150m進むと右の写真みたいな
案内標識が出てきて「
老蘇の森・奥石神社」って書いてあります。
ここは裏口だけど、ボクたちはここから老蘇の森に入りました。

11時42分
奥石神社の裏口は駐車場になっていて、左側には水路があって
水車があるよ。そこから50m進むと裏口にも立派な鳥居がありました。
中にはいると、公園になっていて池や石舞台がありました。

11時45分
公園にはボクたちが喜ぶ遊具があったので、またここでも遊んだよ。

「大人の旅では考えられないことが起こる。公園にも寄らないし
ましてカエルなんて興味もない。ところがボクたちに付き合って
中山道を旅すれば、公園博覧会だ。目聡くどんな小さな公園も
見逃さない。バギーに乗って眠り掛けていた佐武でさえ、カラフル
な遊具をその目に捕らえれば最後、降りる降りるのコール。
公園に降り立てば、お辞儀をするように地面とにらめっこ。
哀れなカエルは、そうして彼らの餌食となってしまった。
中山道が、何だかを分かり掛けているのが唯一大河のみ、
後のちびっ子達にとっては、家族全員で一日中野外活動できる
のが最大の楽しみなのだ。そんな彼らの楽しみは奪えない。
かくして、公園が有る度にボクたち家族は、大はしゃぎで遊ぶ。」
水路が近いせいか、周りが田んぼのせいか、この公園にはアマガエル
たくさんいて、ボクたちは触ったことが無かったので大騒ぎ。パパには
珍しくないカエルも、ボクたちの町にはほとんどいないので、みんな興奮したよ。
虫を捕まえるのが得意な平次が、早速カエルを捕まえたんだ。
ボクは虫やカエルが苦手だから手で触れないんだ。だから平次は面白がって
カエルを持ってボクを追いかけてくるんだ。パパは4歳児に6年生が
追いかけられてるなんて、情けないと嘆いていました。佐武もカエルは
持てなかったけど、チョウチョウを持って、ボクを追いかけるんだ。
二人ともそりゃ〜いじめだぞ〜
(^_^;)
公園内には立派なトイレもあるから、中山道の旅人には便利です。
12時08分
    おいそ          おいそ
    老蘇の森(国史跡)と奥石神社(延喜式内社)

   今から約2250年前、孝霊天皇のとき、この地一帯は、地裂け水湧いて、とても人の
  住むところではなかったが、石辺大連という人が神の助けを得てこの地に松・杉・桧を
  植えたところ、たちまち大森林になったと伝えられています。又、この森は、万葉の時代
  から世の移り変わりとともに数々の歌に詠まれている名高い森であります。
   この森深く鎮まります奥石神社は、由緒ある名社として延喜式神名帳に載せられている
  のは、繖山を御神体とする最も古く原始的、根元的な神社であったため、と言われています。
   現在の本殿は、天正九年(1581)に建てられたもので、安土桃山時代の豪華さの中に
  優美な落ちつきをもつ建造物で、安土町の国指定の重要文化財の中では、唯一の
  神社建築であります。
   老樹の茂る深い参道をもつこの社は、中世より鎌宮神社といい、これは「蒲生野宮」が
  なまって名付けられたものと考えられています。
 
                                     安土町
孝霊天皇といえば、欠史八代の天皇の一人、第七代の天皇なんだって。
まだ、邪馬台国の時代の話じゃん。
そんな昔からこの森が有ったなんてとても不思議だね。
東京方面から歩いてきたボクたちは表参道を通って奥石神社を後にしました。
こっちの方がやっぱり立派な鳥居もあって凄いや。京都から来た人は
この鳥居から入って、中を見学していってください。

12時14分
奥石神社から200m進むと、洒落た小さな橋があったよ。この橋は轟橋って言うんだ。
正面に見える白い建物は、「ここは中山道」という看板を出している
杉原医院だよ。
右下の写真は奥石神社にあった旧轟橋の橋石で、昔はこの石三枚だけの橋
だったんだって。左下が今の橋で、「創意と工夫の郷づくり事業」で作ったんだ。
橋のたもとには
轟地蔵跡という碑があって、近くのお寺にある中山道分間延絵図
にはこの場所に地蔵が有ったって描かれているんだよ。轟地蔵というのは
小幡人形の千体仏で安産のお地蔵様なんだよ。でも今は何処にあるの?

12時22分
信号のある交差点の角には、「中山道大連寺橋・内野道右八日市左安土」という
新しい道標がありました。交差点から少し行った左には「
奥石神社御旅所」という
石碑が有ったけど、御旅所って何だろう。パパに聞いたら神様の別荘じゃないって
言いました。神様が町の人達は楽しく暮らしているか見に来るときにやってくる場所が
御旅所なんだって。でも奥石神社からここまで700mしかないのに近すぎない?
御旅所の隣には、門の上に可愛い人形が逆立ちしている家があって
中を覗いてみたら、
安土町立老蘇幼稚園でした。中も凄く可愛く出来ていて
とても公立の幼稚園には見え無いなぁってママがぼやいています。
老蘇幼稚園の隣は、
老蘇小学校がありました。でも小学校のページで紹介します。
12時28分
小学校の先には鎌若宮神社があって、その先に自動販売機がたくさん置いてある
お店を発見。お茶を買って飲んでいたら、パパが中を覗いて、お寿司なんかも
売ってるよみんなお腹空いたから何か食べようと言いました。
このお店は
フードショップ治兵衛といってスーパーマーケットでした。
お店の前のベンチに座って、パンとかお寿司を買って食べたので元気が出たよ。

13時05分
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