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遠く鈴鹿を望む地は、不思議な「びん細工手まり」の里。
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この分岐には、分かり易い看板が有るから、みんなも迷わないで右の愛知川宿へ 進んでね。左はるーぶる愛知川って書いてあるけど、これは近江鉄道本線の 愛知川駅が中山道愛知川宿をコンセプトに小さな美術館になっているんだよ。 ここに行くと、最初に書いた「びん細工手まり」も展示してあるんだって。 びん手まりというのは、よく見る手まりがガラスのびんにすっぽり入っている 不思議な工芸品なんだよ。どうやってびんの中に入れるのかとても不思議です。 みんなも、363mあるけど駅まで行って観ると良いよ。 13時53分 |
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ここでちょっと寄り道という人は、Y字路の77m手前の交差点を右折して、 国道の長野という信号を渡ってすぐの所に藤居本家という造り酒屋が 有るから寄ってみてはいかがですか。総ケヤキ造りの酒蔵があり見学も 出来ます。銘柄は旭日といって全国地酒百選に選ばれて居るんだって。 さて、元に戻ると大きな愛知川宿のアーチに迎えられて宿場に入ります。 左側にある白い立派な蔵のある家の前には、料理屋さんの看板が有りました。 14時02分 |
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愛知川宿の北入口は地蔵堂の前にあります。その隣は創業慶応元年の お菓子の老舗「しろ平老舗」だよ。本当はお店に入ってゆっくりお菓子を食べながら 休憩したかったのに、どうもパパは先を急ぎすぎるから嫌いです。 東海道を歩いたときのパパは、しっかり色々なお菓子を食べているくせに(-_-) 14時04分 |
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宿場に入って二つ目の交差点には、無賃橋を描いた浮世絵の石碑があって 木曽海道六拾九次之内恵智川って書いてありました。愛知川は昔は恵智川 だったんだ!でも、青墓のぺージで紹介したポリネシア語だとエチは、 脅迫している(洪水を起こすと)という意味なんだって。また、大日本地名辞書 によると市だそうです。さて、どっちが納得ゆくでしょうか? 次は書状集箱だよ。愛知川郵便局長さんが、中山道の宿場を記念して 作ったポストで、明治4年当時と同じデザインで、実際に使えるポストなんだ。 ボクだって、友達に手紙を出すのは年賀状だけで、あとはメールなんだけど こんなポストがあったら手紙を入れてみたくなるね! 14時07分 |
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何にも看板が無いので、何の建物か分かりませんが、とても立派な建物です。 パパは東海道を歩いたとき、岡崎と言うところで見た岡崎信用金庫資料館が 大正ルネッサンス様式で素晴らしかったと言っていたけど、これまたビックリ と言っていました。中山道で江戸時代の建物の他に、こんな近代建築も 少なからずあったけど、これは凄いとカメラを構えます。どう見ても銀行だと 言っていますが、本当の歴史を知っている人が居たらまたまた教えてね! 14時10分 |
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続けてあったのが、高札場跡と脇本陣跡の碑です。脇本陣にあった建物も 昭和の初期の建築かなぁ?とパパは興味深げに見ていたけど、こんな建物 東京の白山辺りにいくらでもあったので、ボクは驚きませんでした。でもここにも 看板がなくて、今は何の家なのか分からないのはとても不思議でした。 14時11分 |
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問屋跡を過ぎると、道は緩やかに右カーブして宿場もそろそろおしまい。 新しい建物だらけの宿場ですが、このカーブには少し雰囲気があったよ。 14時13分 |
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宿場の西の外れに有ったのが、竹平楼だよ。この店は元々旅館で もう開店して240年も経つんだ。明治天皇の碑がったっているのは、明治11年に 北陸東山道を旅した時に泊まったんだって。その時一緒に居たのが 岩倉具視や大隈重信、井上馨、山岡鉄舟という、そうそうたるメンバーだったと 言われているんだけど、ボクにはよく分かりません。パパは凄く感心してました。 今では料理屋として有名で、特に鯉のあめ煮というご馳走が名物なんだよ。 大津に鮒寿司というお酒の肴に良い食べ物があるんだってパパが言っていたけど ここも川の魚が名物なんだね。ボクは釣りが好きで遊漁船にカワハギなんか 釣りに出かけるんだけど、川の魚も料理の仕方で美味しいらしいよ。 14時14分 |
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たった15分で駆け抜けてしまった愛知川宿。京都側の入口にもこんなアーチが あったから、京都から来た人は、ここで右に入ってください。ここは国道8号線の 不飲橋という信号です。ここから中山道は、無賃橋こと御幸橋を渡るまでの 840m国道を歩きます。歩道が無くて狭い国道に大型トラックもいるから気を付けてね。 途中に常夜灯もあったよ。それよりボクは橋の手前にあった看板 ![]() の方がとても気になりました。後で調べたら、これは第1次南極越冬隊の隊長だった 西堀栄三郎さんという人の記念館で、ここから6kmほど行った湖東町の役場そばに あります。夏でもマイナス25℃の南極体験ゾーンというのがあって面白そうです。 14時27分 |
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愛知川は恵智川で、ここにも無賃橋があったことは浮世絵のところで 話しましたが、この御幸橋を渡れば次は五箇荘町へ入ってゆくよ。 左の山は箕作山、右の山が繖山(観音寺山)で東海道本線の通る北腰越を 隔てて織田信長の安土山につながっているんだよ。いつか旅のついでに 是非寄ってみたい所なんだ。隣の鉄橋は近江鉄道だよ。 14時28分 |
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橋を渡ったら、すぐ左に曲がって近江鉄道の踏切を渡って、真ん中の写真の 太神宮と書いた常夜灯の所を右に入ってね。この常夜灯の辺りが無賃橋の 南詰だったのだろうね。もう一つ常夜灯を左に見て谿潤堂というお店を過ぎると 屋根に菊の御紋ががついた立派な家の前を通ります。14時38分 |
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東嶺禅師御誕生地という碑が有りました。東嶺禅師は9才でお坊さんになり 静岡の白隠禅師の弟子になった臨済宗の偉いお坊さんなんだよ。 特に有名なのは習字だよ。人とは違うとってもダイナミックな禅書を残したんだ。 もう一度近江鉄道の踏切を渡れば、五箇荘の駅は近いよ。 14時40分 |
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駅入口のちょっと手前にあったのがこの道標です。左伊勢道、右京道って 彫ってあるけど、それらしい道は有りません。昔の場所と違う場所に 移して置いたのかなぁ。とにかく、今回の旅は、近江鉄道の五箇荘駅で おしまいです。近江商人発祥地てんびんの里の案内は次回まで待ってね。 14時47分 |
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