朝から病院、高宮の街道を満身創痍の佐武が行く


第40日目 2004年11月22日

平均気温11.9℃ 最高気温16.8℃ 最低気温8.0℃ 平均湿度74% 風速3.0m/s 降水量1.0mm 日照時間8.8時間
気象庁電子閲覧室より引用

おはよ〜と言って、今日はいきなり長浜市立病院から始まります。
子供達の行動は、全く予期せぬ事が起こるものです。今朝も米原のかめや
旅館
で順調な朝がスタートしたかのように思ったのはつかの間、もう一人で
カップヨーグルトを食べられるようになった佐武は、いつものようにプラスチック
のスプーンで食べようとしていました。ところが何を思ったのか馬鹿力の佐武
はスプーンを折ってしましました。しかも運悪く3分割に折れたので、その
真ん中のピースが顔を直撃、異常な泣き方に目を点検したところ、瞳が
凹んでいました。今日は、もう中山道どころではと、宿のおばあちゃんに
聞いて救急のある長浜の日赤病院に向かいました。6.5km行ったところで
見つけたが、この長浜市立病院。思わず飛び込んで救急扱いで目を見て
いただきました。精密検査の結果、裂傷ではなくへこみのみで軽傷でした。
保険証も持たず旅に出たことも後悔したところです。その間、不安ながらも
大河と平次は宿で、どうなるかと心配しながら待っていてくれました。ありがとう!
8時44分〜9時41分
今日は、朝からビックリしました。パパとママは、ボクたちを置いて
車で病院へ行くと言ったまま1時間以上も帰ってこなかったので不安でした。
帰ってきてからも、パパは中山道行こうか迷っていましたが、佐武も
調子良さそうなので出発する事になりました。天気も良いし短い距離なら
大丈夫だとボクも佐武のことを心配しながら思いました。
今日は、米原から近江鉄道に乗って昨日のゴールの高宮駅へ向かいます。

10時32分〜10時55分
高宮の駅から中山道までは260m。今年最後の旅が始まります。
高宮の町は駅入口を過ぎると、旧道らしい密集した古い家が続きます。
佐武は、ちょっと涙目ですが機嫌は良くなり、大丈夫そうです。
11時02分
高宮宿の中心地は、この先の郵便局のある交差点付近だと思うけど
ここ高宮神社周辺も旧家が多く、昔の感じがします。路地が多くその一つ一つが
みんな素敵な感じ、お菓子屋さんの看板も古いんだけど、菓子の上に洋の字が
小さく書いてあります。堂々と
洋菓子って書いてないところが、不思議です。
ばかもん!日本人は和菓子だろ!って怒られるのが怖かった、ような看板です。

11時04分
高宮は室町時代から布の産地でした。それは高宮布といわれた麻布で
貴族達が愛用しました。江戸時代になっても高宮細美とか近江上布と呼ばれ
売れまくったので、この高宮は布の集積地として大変栄えました。
そんな布を取り扱っていたのが布惣で、
倉儀という、この家もその一つだったのです。
11時04分
伊邪那岐大神は淡海の多賀に座す」と古事記に記されたのは715年。
それ以来、奈良・平安時代は公家、鎌倉・江戸時代は武家の信仰を集め
今日でも莚命長寿の神様として全国的に有名なのが
多賀大社だよ。
ここ中山道には、その大社の
大鳥居があります。この鳥居をくぐって
3.5km行くと大社なんだけど、ちょっと寄り道するには遠すぎるので
諦めました。今日は11月22日だけど、明日は新嘗祭の日だから、きっと
賑やかなんだろうな。鳥居の右下に常夜灯があるのが見えますか。
この常夜灯には、ちょっと変わったところがあります。紹介は七不思議を見てね。

11時07分

左の家は、芭蕉の紙子塚がある小林さんちです。1684年の冬、芭蕉はこの家に
泊めて貰い、自分が寝ている絵を描いて、この句を詠みました。小林さんは
紙でできた着物(紙子)を芭蕉に贈り、古い紙子を埋めて塚にしたんだよ。
右の家は、
本陣跡です。今では門しか残っていませんでした。11時12分
本陣の前には明治天皇も立ち寄った圓照寺があります。
みなさん「
ラストサムライ」見ましたか?あの中に出てきたのが明治天皇。
オールグレンや勝元も中山道を通ったのかなぁ。勝元の村のお寺は
とても立派でしたが、あのお寺は姫路の書写山圓教寺です。
このお寺は圓照寺。何となく似ているように思って、映画を思い出したよ。
高宮宿は、本庄宿についで中山道では二番目に大きな宿場だったんだ。
家が八三五軒、人口は三千五百六十人もいたんだよ。
だからお寺も街道のそばに六つもあって、この寺が一番大きいんだよ。

11時13分
本陣から200m足らずで犬上川です。ここには無賃橋という変わった名前の
橋があります。本当の名前は高宮橋なのですが、江戸時代から無賃橋の名で
みんなに親しまれていました。元々橋は無かったのですが、増水すると
渡れなくなり、困った彦根藩は高宮布で有名な豪商の藤野・小林・馬場さんたちに
橋を架ける費用を一般から募集するように命じました。そして出来た橋がこの橋。
普通は橋は全て有料だったのに、お金を取らなかったので庶民から
無賃橋といって喜ばれたのです。パパもやけに感動して、これは江戸時代の
PFIだな、自治体の民間活用によって市民の負担を軽減したんだ、今の
役所も見習わなければいけないと言っていました。
力持ちの佐武ちゃんは、関ヶ原の葉っぱ取りゲームの時転んで怪我したほっぺの
傷や、今朝の目の怪我で涙が止まらない左目が痛々しいよ。でも殺菌の
目薬付けているから大丈夫なんだって。本当に
満身創痍って感じです。
11時16分
無賃橋の上からは、振り返ると遠く伊吹山が見えるよ。左手には鈴鹿の山。
この橋の上はとても眺めがいいんだ。みんなも天気がよいと良いね。
橋を渡ると、もう高宮の宿はおしまい。
11時18分
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