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「おいでやす彦根市へ」そうか、ここはもう関西なんだ。
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| 実は、摺針峠の手前の名神高速トンネル付近で彦根市には入ったのだけど この国道沿いに立派なモニュメントが有りました。彦根市と言えば井伊の殿様が 居た彦根城なんだって。姫路城・松本城・犬山城と並んで国宝四城の一つなんだよ。 このモニュメントはもう一つ彦根市の京都側の入口にもあって、みんなで六人の 人達が居ます。こっちのは、旗を持って駕籠を担いだ商人風のおじさん・なんだか 偉そうに座っている人・虚無僧みたいな人がいます。何をする人達なんだか 説明が見つからなかったので分かりませんでした。12時33分 |
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| このモニュメントは国道八号から鳥居本の旧道に入る入口に有ります。 旧道にはいると、いきなり江戸時代風の町並みに変わるから驚きますよ。 ここには復原された松並木が少しだけ有りました。ここから大津迄は琵琶湖に 沿って平らな道が60kmほど続くんだよ。本当にいよいよ京都だね。 12時38分 |
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| 鳥居本宿の見処は下の有川薬局だけど、その手前に面白い屋根の家が 有りました。こうやって写真にすると、まるで草山みたいでしょう。街道沿いに あった茅葺き屋根の家なんだけど、屋根に綺麗な苔が生えて凄く素敵です。 |
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| 赤玉神教丸は、江戸時代からのお腹の薬で、この有川製薬が本家で300年も この薬を作っているんだよ。面白いことにこの家の右側の大きな門の前に 明治天皇鳥居本御小休所の碑があります。ここには近くに本陣や脇本陣も 有るのに、なんで天皇はこの薬屋さんで休んだんだろう?もしかして 急にお腹が痛くなっちゃったのかなぁ。それとも有名な薬を買っていったのかなぁ。 12時41分 |
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| 左の写真が上と同じ有川製薬だけど、こうしてちょっと離れてみると その屋根の大きさが分かってまたビックリしました。この薬屋さんは 国道8号線から旧道を曲がりながら進むこと490mの場所にあって ここで中山道は直角に曲がっています。きっと枡形なんだね。そして この先は右の写真のように真っ直ぐで、宿場の出口まで900mほど続くよ。 12時43分 |
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| 鳥居本のもう一つの名物に合羽があります。左の看板は、昔合羽を作っていた 家の古い看板です。ボクは合羽っで何だか知りません。パパに聞いたら ボクたちが雨の強い日に着るカッパのことなんだって。ボクたちが今日も持っている カッパは黄色のビニール製で、実は東京ディズニーランドで買ったものなんだ。 たたむと手の中に入ってしまうほどコンパクトだけど、昔はそうはいかなかったみたい。 じゃあどんな合羽なんだろう。早速パパが調べてくれました。和紙を32枚又は56枚 接着して形を作り、渋や油の吸収を良くするためクチャクチャに揉みます。 そして、その上に青柿を石臼で挽き、水を加えて桶に入れて発酵させた 柿渋を塗ります。それを乾かした後、更に油を塗って乾かすことを繰り返します。 最後に留め具を付けて完成です。紙でできているのに丈夫で雨から身体を 守る立派な合羽が出来るのですが、昭和17年頃、滋賀県油紙工業組合は解散。 今では作っている店は無いのかなぁ。どんな合羽なのかボクは見たかった。 12時46分 |
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| 鳥居本の街で気が付いたのは、2階の窓の形です。殆どの窓が塞がっているので きっと飾り窓なんでしょう。一つの宿場で古い窓がこんなにたくさん有ったのは ここが初めてです。どれ一つ取って同じ形のものは有りませんでした。でもそれぞれ 特徴があります。あの有川製薬の窓が真ん中の一番上なのですが、あの枡形付近の 窓は横の格子が入っています。街道が直線になってからの窓は縦格子だけの 窓でした。もう一つ発見したのが、縦格子は全て3,5,7,9と奇数で、横格子は2本です。 そして窓の下のひさしとの間の模様も4タイプあってそれぞれ特徴的です。 こんな面白い窓について解説しているサイトがあったら教えてください。 早速、 この窓は、虫籠窓(むしこまど)といって通風口なんだって、 江戸時代のものは角が丸く小さいんだって、時代と共に角張って大きくなりました。 本数の方は、奇数のが当たりが良かったのでしょうねと言うことで、 別に決まりはなさそうですと教えてくれました。有り難うございます。 |
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| 右に広くなった道があったので覗いてみたら、鳥居本の駅が見えたよ。 街道からは70mほどだから、街道歩きに利用すると便利な駅です。 そしてまたあの合羽の看板を見つけたけど、今度は合羽じゃなくて 商号松宇 包紙紐荷造材料って書いてあります。昔は合羽の留具を 造っていたお店なのかな。商品を変えて今でも頑張って居るんだね。 12時52分 |
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| 宿場の真ん中には小さな交差点がありました。右へ進めば国道を越え 近江鉄道を越え、新幹線を越えて佐和山へ、左に進むと鳥居本小学校の 前を通って、名神高速です。次の彦根道追分けとの丁度中間点です。 12時53分 |
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| 宿場の南には聖徳太子ゆかりの専宗寺があったよ。番場の蓮華寺もそうだったけど どうしてこの辺りに聖徳太子が出没したんだろう。そして最後は彦根道追分けです。 ここで中山道は真っ直ぐ進むけど、彦根道は右に折れるよ。彦根道はもちろん 彦根城の城下町へ行くんだけど、これは朝鮮人街道と言って江戸時代の 朝鮮通信使が歩いた道なんだ。参勤交代の大名達は彦根城から遠く離れた 中山道を歩かせて、彦根城を守ったのだけど国の大切なお客様であった通信使達は この城下を通る道を利用したんだよ。宿場の北側では北国街道の追分けがあって この鳥居本の宿は、交通の分岐点だったんだ。戦国時代にはこれから行く 小野の街に宿場があって、 によると慶長八年に地割りを行うために江戸から来た役人が小野から宿場を 鳥居本へ移すように命じていって、それから鳥居本が中山道の宿場になったんだよ。 13時00分 |
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