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おッ母さんに逢いたくなったら瞼をとじ合わせ、じっと眼をつぶります。
やっと探し当てた母である料亭「水熊」の女主人におさまっているおはまの
背中に向かって「兇状もちの兄貴がいては、妹のためになりません。
このままお別れします。」と言って再び旅の空へと帰ってゆく忠太郎が悲しい。
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| 番場と言えば、何と行っても番場の忠太郎だなってパパは言いますが、 ボクは全然知らない人なので、歩きながらお話を聞きました。どうしてお母さんが 自分の息子に逢えたのに知らんぷりしたり、逆にお母さんが探しているのを 知りながら逢わずに去っていったのか変な話だと思いました。 とても静かな番場の町へ入ってゆくと、面白い道標が有りました。指の形をした レリーフがあり、米原汽車道と読めました。汽車が開通した頃、中山道から米原へ 向かう人のための道標みたいだよ。右の写真は明治天皇が休憩した場所だって。 10時05分 |
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| 蓮華寺下っていうバス停から左に曲がって200m、名神高速の下をくぐると 見事な楓がボクたちを迎えてくれました。周りにはこの風景を写生している おじさんやおばさんがたくさん居ました。境内に入るところに血の川という 気味の悪い川があってビックリしました。昔大勢のお侍さん達がここで切腹 して、その時この川が血で染まったって書いてあります。何か入るのが 怖くなってしまいましたが、平次たちは喜んで行っちゃったのでボクも しかたなく後を着いて入ってみました。10時10分 |
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| これは一向杉といって蓮華寺を開いた一向俊聖上人が亡くなられ 荼毘にした場所に植えた杉です。樹齢は700年くらいで幹の周りは5.53m 有るそうです。やっぱり気味が悪いお寺です。 |
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| お寺の裏にまわると忠太郎地蔵尊があります。そこへ行く途中の楓も とっても綺麗で良かったよ。ちょっと急な坂なんだけど上りも下りも 佐武はじゅぶんの足でしっかり歩いてゆきました。パパは冷や冷やしてました。 |
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| この本堂の前で432人も死んじゃったのかと考えたら、とても怖くなりました。 でもパパは、お腹もすいたし、ベンチもあるからゆっくり休んで行こうと言います。 頼むから早く食べて早く出発しようよとボクはいらいらしました。 |
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| 北条仲時以下432名墓所 足利尊氏に攻められ六波羅探題北条仲時は鎌倉へと逃げるため番場宿まで来たが佐々木京極 道誉らに行く手を阻まれ奮戦むなしく元弘3年5月9日(1333)この寺で自刃した。憐憫の情をさそ われた当時の住僧同阿はこれを丁重に葬り、法名を授けその姓名を陸波羅南北過去帳で蓮花寺 過去帳として書き残したが、これが現在重要文化財としてこの寺に伝わっている。 |
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| そのお侍さん達のお墓は、右の山の中にあります。ちょっと薄暗くて怖いので ボクは行きませんでした。この写真はパパが一人で行って撮ってきました。 なんでパパは平気なのか不思議です。10時33分 |
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| やっとお寺を後にして、番場の町を進みました。途中に綺麗な蔵があったよ。 普通蔵の壁は白いけど、この蔵の壁は右の写真のように茶色で藁も見えます。 それがとても綺麗なので、通る人は見て行くと良いよ。10時53分 |
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| ここは番場宿の南の外れだよ。名神高速のすぐ下に新しい石碑がありました。 この先はもう家もなく高速道路に沿って田圃の脇を山の中へ入って行きます。 11時02分 |
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