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一またぎで行けた滋賀県は紅葉の真っ盛り。![]()
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| 今須の宿を過ぎて、車返し坂を越えると、国道21号線と東海道本線の 踏切を渡ります。正面には 何だか道はそのまま工場へ入っていくように見えるけど、中山道はしっかり 左にカーブして有るから安心してね。この工場は車の内装用の布を 造っている工場だよ。ちっちゃいけど航空写真に中山道が写ってるから 参考になるかも知れないね。工場を過ぎると右側に芭蕉の句碑があったよ。 正月も美濃と近江や閏月 この歌は、貞享元年十二月二十三日頃、野さらし紀行の芭蕉が ふるさとで年を越すために、熱田からの帰路、ここを通ったときに詠んだ歌だんだって。 12時06分 |
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| いよいよここで美濃の国ともお別れです。美濃の国に入ったのは確か 馬籠の国境は、杭が一本有っただけだけど、ここには小さな小川があって それぞれに県の名前の杭があるから、国境という感じがして面白いと思いました。 アップのお写真が 12時07分 |
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寝物語の由来 近江と美濃の国境は、この碑の東10m余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の 番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が生ま れたと言われています。また、平治の乱(1159)後、源義朝を追って来た常盤御前が 「夜ふけに隣の宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも 「源義経を追ってきた静御前が江田源蔵と巡り会った」所とも伝えられています。 寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌等にもこの名が出ていますし 広重の浮世絵にも、ここが描かれています。 ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の 寝物語も しのぶばかりに 太田道灌 平成4年1月 滋賀県山東町 |
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| 寝物語の里を出ると、すぐ始まるのが楓並木だよ。パパは、1990年12月3日 高宮から関ヶ原へ向かって中山道を走ったそうです。その時冷たい霙混じりの 雨の中、ここの楓並木が印象に残っていて、今度来るときはゆっくり鑑賞 したいって考えていたんだって。だから今回は11月の中旬にしたんだけど、 今年は暖かくて本当に全部紅葉するには、まだちょっと早かったみたいだよ。 パパは1986年から1990年5月にかけて、友達と東海道をジョギングで 旅行し、その後今度は中山道だ、とばかり京都から日本橋を目指したんだ。 でも、関ヶ原まで走ったところで足の調子を崩し断念していたんだ。 だから今回の中山道は、とっても楽しみにしていたんだって。 下の新緑の楓並木の写真は、京都の九条山まで出迎えに来てくれた 新緑の並木道も気持ちよさそうで良いね。また写真送ってね。 12時21分 |
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| 紅葉と言えば、ボクたちは運良くきれいな紅葉をずいぶん見て来ました。 最初が、2002年の それぞれ綺麗だったけど、ここの楓は格別ですよ。もう少し経ったら 本当にもの凄い紅葉が見られると思いました。 |
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| 楓並木の距離は500mくらいだけど、隣に東海道本線その向こうに国道21号 そして更にその向こうに名神高速が見えます。電車や車の中からも山のすそ野に この楓並木はきっと見えると思います。その下をボクたちは歩きました。 12時29分 |
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| 東海道本線の踏切を渡れば、山東町から柏原に入るよ。その手前の右の森に 旧東山道という看板を見つけたので、パパは踏切の辺に出られるんじゃないかと 森の中へ入っていったけど、結局道が無くなってダメだと言って出てきました。 |
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| 特急が来たので佐武は大はしゃぎです。ボクたちも今朝はこの線路を 走って関ヶ原へ行ったんだね。線路を越えると、また楓の並木が待ってるよ。 いよいよ次の宿場、柏原は近くなってきました。 12時33分 |
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