山に囲まれた静かな里には、ベンガラの家並みが

東海道線の踏切から山の中を進んで565m行くといきなり国道へ飛び出すよ。
反対側に渡って180m行けばここ、
今須の一里塚があるんだ。
ボクたちは早速、一里塚の上に駆け上りました。綺麗な草が生えている
一里塚で気持ちが良いよ。国道にある青い看板のところで左にはいると宿場だよ。

11時19分
旧道を入って100m行くと小さな川を渡ります。ここには常夜灯もあって
宿場に入ったということが分かるんだ。でも特に目立った建物もなく
ちょっと寂しい宿場だったよ。
11時24分
パパが屋根の上を見て、「あれ!この飾り何処かで見たぞ〜」って言いました。
どうやら東海道を歩いたときに亀山の宿で同じような飾りを見たと言います。

これは、魔よけの神様なんだって。亀山はここから真南に55kmも離れた
街なのに何で同じ神様が流行っているんだろうとパパは不思議がっていました。
そういえば、今まで歩いてきた街には無かった神様の飾りです。
11時25分
今須という町は、山に囲まれた本当に小さな街です。新幹線はず〜っと北の
山の下をトンネルで通過していて、この町では見られません。でも名神高速は
街の南端を通過しています。関ヶ原インターから西へ向かうと、すぐ二つの
トンネルをくぐりますが、その間の2分間に見える街が今須です。
町中の街道は国道から外れとても静かで歩きやすい街でした。

11時26分
宿場の中心には今須宿の碑と、脇本陣・本陣の案内板があったよ。
この案内板は、普通の案内板と違って今須小学校の生徒が作ったんじゃないかと
思います。すぐそばにある小学校へ寄ってみたら、小学校と中学校が一緒の
珍しい学校でした。詳しくは小学校のページで紹介します。

11時29分
この立派な家は問屋場です。この今須には当時七軒もの問屋場があって
中山道でも珍しかったそうです。その内の一軒のこの問屋場は山崎家で
永楽通宝の軒瓦が残っていて当時の反映ぶりがうかがえます。

11時41分
京都の問屋で河地屋さんがこの辺で大名から預かった荷物を
無くしてしまい、困って金比羅さまにお祈りしたところ、無事荷物が
見つかったので、そのお礼に建てたのがこの
常夜灯なんだって。
この宿場から、
ベンガラを使った家が目立ち始めました。ボクたちが
泊まった米原の宿屋もベンガラです。ベンガラって何なのってパパに
聞いたら、鉄でできた防腐剤だよって教えてくれました。日本では
岡山県高梁市成羽町吹屋だけで採れるんだって。しかし元々は
インドのベンガル地方の特産品だったから、この名が付いたらしいよ。

11時43分
この辺りから、佐武が歩きたがり始めて、パパたちはもの凄く苦労する
ことになりました。佐武のペースと言ったら、ちょっと歩いては、しゃがんで
花をいじったり、また少し歩いては葉っぱを採ったり、ちっとも前に進みません。
ボクも平次も先に行ってずいぶん待たされます。でもパパは根気よく佐武の手を
引いて歩いていました。満足しない内にバギーに乗せようとすると
嫌がって大騒ぎになります。パパは疲れて自分から乗るって言うまで
歩いて貰うんだと行っていました。そうこうしている内に不思議な看板を
見つけました。寝物語の里って何だろう!

11時45分
 
あっという間に今須の宿は終わってしまったよ。ここでまた国道を横断するんだけど、
左の草の斜面に
車返しの坂という碑が建っていました。確かに碑の左は昔道だったように
見えます。ボクたちのいる道は山を削って平らに下道なので、本当の中山道は
左の坂道だと思います。車返しの坂というのは、昔、京都の公家で二条良基という人が
荒れ果てた不破の関を見に来て、ここまで来たとき、屋根を直したと聞き、
荒れ果てていないなら面白くないと行って、ここから引き返してしまったから
この名前が付いたんだって。ずいぶん変わった人がいたものだね。

 11時57分
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