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旅は「出逢い」と再認識したスタートから始まります。
| 第38日目 | 2004年11月20日 |
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| 駅から791m進むと、旧道は国道と別れて左へ下って行くよ。関ヶ原って 原っていうから、原っぱみたいなところで眺めが良いのかと思っていたんだけど 木もたくさん有ったり、以外と地形が起伏に富んでいて周りは余りよく見えない 場所だったよ。合戦が有った昔は、どんなところだったんだろう? この写真で言うと左側が徳川軍の藤堂高虎の軍勢が2490人、正面右手に 西軍の宇喜多秀家が17220人の軍を率いてにらみ合っていたんだよ。 宇喜多秀家と言えばボクたちのページで お墓があって、八丈島に流され一番長生きをした武将だったね。 9時37分 |
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| 旧道を入って不破の関まで400mほどだけど、その間にもいろいろな史跡が 有るから見逃さないでね。福島正則の陣跡は石碑だけだけど、2.4km行くと 小早川陣跡の松尾山への標識もあります。兜掛石っていうのは、壬申の乱の とき、天武天皇が兜を掛けた石なんだよ。街道から案内標識にしたがって 60m進むとよその家の庭みたいな畑みたいな場所に有るから見ていってね。 また、この辺は昔、不破関の関庁が有ったんだよ。この関の真ん中を 東山道が通り、その北側に108m四方の官舎があって土塁に囲まれた中に 建物がたくさんあったことが分かっているんだ。 9時45分 |
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| 緩やかな坂道を下って行くと、いよいよ不破の関跡が左側にあります。 この関が活躍していた時代は、中山道ではなく東山道といいました。 また、この関は東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関とともに 古代律令時代の三関だったんだ。造られたのは壬申の乱(672年)のあと というので、1332年も昔なんだね。789年には廃止されたというので百年と 少しは活躍したんだよ。関跡を見たら右手の道へ進み、不破関資料館に 寄ることをお勧めします。この資料館は昭和57年に関の有った場所の 一角に建てられたんだよ。岐阜県の教育委員会が昭和49年から5回の 発掘によって調べたことが分かるようになっているんだ。ボクにはまだ 難しいことばかりだったけど、パパは一生懸命何かを読んでいました。 10時00分 |
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| 資料館に寄って嬉しかったのは、実は資料館の前の遊具が面白かったからです。 ボクたちは、公園を見つけると必ず遊んで行かないと気が済みません。 最近はパパも諦めて、公園で遊ぶ時間も計算した行程を作ってくれます。 だからこの公園も10分ほど楽しみました。再び街道に戻って坂を下って行くと 藤古川です。ここは大木戸と呼ばれた関所の西城門が有ったんだよ。京都の方から 来ると、前面に藤古川があって、その先は10m〜20mの崖になっていて破りにくい 場所に関所はあったことが分かるよ。また壬申の乱の時は、この川を挟んで 東に天武天皇軍、西に弘文天皇軍が布陣して、それぞれの住民が、それぞれの 天皇を支援したので、今でも東の地区は天武天皇を祀った井上神社(南に400m) 西の地区は弘文天皇を祀った氏神さまが有るそうです。川を渡ると弘文天皇の 藤下地区、立派な家並みの中を坂道が登ってゆきます。登り切る手前に 大谷吉隆墓の碑が有るところで、道はY字に別れるけど、どっちへ行っても 100m先で一緒になるから大丈夫。ボクたちは中山道と思われる右の道へ 進みました。こっちには矢尻の池があったよ。この池は壬申の乱の時水を求めて 大海人皇子軍の兵士が矢尻で掘った井戸なんだって、今でも残っているのは凄い! 10時10分 |
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| 坂の上で二本の道が合流すると前の方に横断歩道橋が見えてきます。 そこは国道21号線で、120m気持ちの良い道を進むと横断です。 途中で前から歩いてきたおじさんに声を掛けられました。おじさんはボクたちの サイトをよく見ていてくれる人で、この日は醒ヶ井から歩いてきて、途中で ボクたちに会えるのを楽しみにしていたんだって。お名前を伺うのを 忘れちゃったので、是非メール下さい。横断歩道橋はバギーで渡れないので 怖かったけど、交通量の多い国道を横断しました。その先はまた静かな街道です。 10時19分 |
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| 国道を越えると山中地区です。750mほどの山に囲まれた静かな町並みです。 左手の川に右手から流れ込む小川が 怖いので、詳しいことはサブウィンドウで見てね。新幹線のガードをくぐる手前には 鶯の滝が有ります。間の宿だった山中には、昔、立場や餅菓子屋があって 賑わっていました。そんな中、この滝は平坦地の滝として街道の名所になって いたんだそうです。また年中ウグイスがいたから名前が付いたんだって。 10時30分 日本橋から450km |
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| 新幹線のガードは川の右側の道を進んでね。そうすると常盤御前の墓があるよ。 都一の美女と言われ十六才で義朝の側室になった常盤御前は、平治の乱で義朝が 破れると、子供の今若・乙若・牛若と別れ、敵の大将の清盛の側室になったんだって。 その牛若のことが心配になって東の国に行く途中、ここで山賊に襲われ亡くなったので 村の人が哀れに思って、ここにお墓を建てたんだよ。ママが死んじゃって牛若も 悲しかったのかなぁって思いました。東海道本線がすぐそばを走って行きました。 10時34分 |
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| しばらく行くと、踏切を渡って、東海道本線の上り線と下り線の間にある道を進みます。 この道で、落ち葉が頭上から降ってきたので、みんなで落ち葉取りゲームをしました。 ひらひらと落ちてくる葉っぱを地面に落ちる前に捕まえるゲームだよ。捕まえた 人から前に進めるというルールだったので、みんな大騒ぎで駆けずりまわったよ。 佐武も参加して、見事に転んでほっぺに十円玉大のかすり傷を作りました。 10時46分 |
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| 最後に、この踏切で撮れた変な写真を紹介します。みんなで踏切を渡っている写真ですが。 後で気付いたんだけど、右上の木のところに白い穴が開いているように見えます。 拡大しても、どうなっているのか分かりません。誰かここで同じアングルの写真を 撮ってくれませんか!まるで心霊写真のようでボクは怖くなってしまいました。 10時50分 早速、滋賀県大津の早田さんが、現地へ行って写真を撮ってきてくれました。 |
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| 「風の吹くままさんのHPに今須と関が原の間にある踏み切りからの写真を 同じアングルで撮ってきて欲しいとありましたが先日、柏原から加納まで 自転車で走ってきた際、踏切からの写真を撮ってきました(一枚はズーム写真) 。 大河君の夢(心霊写真)?を壊すようで申し訳ないですがたまたま穴が開いて いるように見えているだけでしたね、残念 」 2005年11月5日 早田さんのメールより ボクたちの写真も、早田さんの左の写真も、拡大すると同じように真ん中の幹が 消えて写りますが、早田さんは望遠で撮ってくれて、木の幹がしっかり確認でき 心霊写真じゃないことがよく分かりました。ここは関ヶ原だし、パパに色々な話を 聞いて歩いてきたので、心霊写真だったら本当に怖かったんだよ。 解決してくれて、早田さん本当にありがとうございました。 |
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