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この辺の地名は地蔵っていうのだけど、この変な地蔵堂から付いた
地名なのかなぁ。みんなもここを通るときっと目に付くと思う地蔵堂だけど
屋根が妙に大きくって前の柱をけっ飛ばしたら倒れそうな堂だよ。
だから鉄の柱で補強して有るみたい。お参りするときはくれぐれも
屋根が落ちてこないことを祈ってね。垂井の宿に入るには、まず梅谷川を渡るよ。
13時38分 |
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宿場の入口にあった看板です。描いた看板ではなく、木の板に細い色を塗った
木を釘で打ち付けて造った立体的な看板だよ。珍しいから撮りました。
この看板に出ている場所で、是非行きたかったのは中山道ミニ博物館と
垂井の泉でした。でもこの場所で事件が起こってそれどころでは無くなりました。 |
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事件が起こったのは、この宿場の入口の相川を渡る橋の上。ちょうど
自転車のおじさんが走っている辺りです。橋の欄干づたいに下の川を
見ながら歩いていた平次は、欄干から下りたとき、下に大きな犬の○○○が
有ったのに気が付きませんでした。両足でまともに踏んづけてしまいました。
近くに水道も靴底を洗うブラシも無かったので、どうしようもありません。
13時46分
相川の人足渡跡
相川は、むかしから大洪水があり、橋は流れ、淵も変わった。
川幅約百メートルのこの川は、大井川と同じ江戸時代人足渡で、
特別の姫宮や朝鮮通信使等の大通行には木橋をかけた。
天保六年(1835)以後、渡川は一切人足渡になっていた。
享保八年の人足渡賃(一人)
1.ちち切水 四十五文
2.腰切水 二十四文
3.ひざ上切水 十六文
垂井町
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ママが、そばにいた人に聞いて近くに玉屋商店という靴を売っている店を発見。
早速、新しい靴を買うことにしました。履いていた靴は、平次の好きな
キャラクターが付いたお気に入りの靴でしたが、みんなに怒られてしぶしぶ
普通の靴を履きました。古い靴は残念ながら捨てて行くことにしました。
平次も臭いに懲りたらしく、新しい靴で満足げに歩き始めました。
13時54分 |
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この鳥居は南宮大社の鳥居だよ。ここから南に1300m進めば南宮大社が
有るんだ。途中新幹線の線路もくぐるけど、そのそばにもっと大きな鳥居もあるよ。
南宮大社は鉱山とか金属の神様なんだよ。でも関ヶ原の戦いの時燃えちゃった
ので、その後徳川家康が建て直したんだって。ちょっと遠すぎるのでボクたちは
この鳥居のところからお参りしました。この鳥居をくぐった先に垂井の泉も
有ったのだけど、平次の○○○騒動で先に進むことにしました。
13時58分 |
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ここは長浜屋といって今から二百年くらい前に建てられた家で、
江戸時代は旅館をやって、明治時代になって酒屋を初めて最近まで
酒屋をやっていたんだけど、店じまいして取り壊しが決まったとき
町の人達が、町で一番古い建物だからみんなで残そうって決めたんだ。
だから今は、中山道を旅する人の休憩所になっているんだよ。
13時59分 |
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この日も、家の中を覗いたら、お兄ちゃん休んで行きなよって、中で仕事を
していたおじさんが休ませてくれました。ボクが一番驚いたのは、このラッパ
みたいな機械。みんなは知っていると思うけど、これが昔のCDだとは
思いませんでした。手で回すと音楽が鳴るなんてとても不思議です。
おじさんは、入口にカーテンみたいなものを付けるのに夢中で、
ボクたちが暇そうに休んでいるのが申し訳ないような気がしました。
14時09分 |
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左の建物は、油を売っていた卯吉さんの商家で、こっちは明治時代になって
小林さんが旅館を始めたんだよ。右は本龍寺というお寺だけど、その門は
脇本陣にあった門を移してきたんだよ。奥には時雨庵があって、芭蕉が
奥の細道の2年後にやってきて冬を過ごしたんだって。また、この場所には
高札場もあったというから垂井宿の中心地だったんだね。
14時12分
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ここは垂井宿の西の見付跡です。安藤広重が描いた垂井宿は
ここから西の松並木を描いた物で、傑作と言われているんだよ。
いろいろな本にも出ているけど、写真撮ってきたから、カーソル合わせて
見てください。小さな川を渡って、八尺堂地蔵尊道の石碑の前を
通って600m進めば東海道本線の踏切を越えるよ。もうこの先で
垂井の町も終わり、いよいよ関ヶ原町に入るんだ。
14時24分 |
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垂井の町はずれには 一里塚が残っていました。この一里塚は中山道には
たった二つしかない国指定の史跡なんだって、もう一つは何処だっけ?
また、この一里塚付近は関ヶ原の戦いの時、浅野幸長という人が陣を
構えたんだよ。右に少し見える瓦屋根の塀は、日守の茶所だよ。
江戸の末期に岩手の美濃獅子門化月坊が、関ヶ原山中の芭蕉ゆかりの地に
秋風庵を建てたんだけど、それを明治になってこの場所へ移して
中山道を通る人の休憩所にしたんだ。また、弘法の札所として句詠の
場としても利用された貴重な建物なんだよ。
14時31分 |