伝説がたくさん残っている古代の宿場は不思議な地名

この線路は金生山の麓、大久保駅から美濃赤坂駅へ向かう線路だよ。
でも、線路の周りは草がいっぱい。もう使わなくなってずいぶん経つのかなぁ。
この線路は、大久保駅からスイッチバックして昼飯駅まで行くように
地図には出ているけど、石灰石や大理石も今はきっとトラックで運ぶから
貨車は使わなくなったんだろうね。碓氷峠の手前に横川と言うところが
あって、そこにも
使われなくなった線路があったね。寂しいね。
11時06分
踏切を渡って、電信柱の地名を見てびっくりしました。
だって「
昼飯町」って書いてあります。昼飯ってお昼のご飯のこと?
ボクたちは、ここで
大塚古墳を探しました。鵜沼で見た坊の塚古墳は、全長137mの
前方後円墳で、岐阜県で2番目の大きさだったけど、ここの古墳は
全長140mで1番大きいんだよ。街道沿いにあるのかと思ったら
ちょっと中に入るらしいのだけど、案内板も無かったので気が付いたら
どうも通り過ぎていました。見たかったのにとても残念です。

11時21分

             昼飯町の由来
  むかし、善光寺如来という仏像が、大阪の海から拾いあげられ、
 長野の善光寺へ納められることになりました。
  その仏像をはこぶ人々が、青墓の近くまで来たときは五月の中
 頃でした。近くの山々は新緑におおわれ、つつじの花が咲き乱れ
 すばらしい景色です。善光寺如来を運ぶ一行も、小さな池のそばで、
 ゆっくり休み、美しい景色にみとれました。一行はここで昼飯(ひる
 めし)をとりました。
  それから、この付近を昼飯(ひるめし)と言うようになりましたが、
 その名が下品であると言うので、その後、飯の字を「いい。」と音読
 みにして「ひるいい」と呼ばれるようになりましたが、「いい」は言い
 にくいので、  一字を略して「ひるい」と呼ばれるようになりました。
 又ここの池は、一行が手を洗ったので、「善光寺井戸」と言われ、
 記念に植えた三尊杉の木も最近まで残っていたということです。
                    (大垣市史 青墓篇より)
                          大垣市立青墓小学校

下り坂になって、右に如来寺と言うお寺があるんだけど、そこに
昼飯町の由来があったので調べてきました。お寺を過ぎると116mで
東海道本線をくぐります。こんなところに東海道本線なんてピンと来ません。
東海道本線を地図で調べてみると、大垣と関ヶ原の間、垂井を通る線と
もっと北の方を回ってゆく線があるけど、この線路はその北を回る
線路です。ちょうど貨物列車が走っていったけど、ボクたちが関ヶ原の
帰りに乗ったときは垂井の駅を通ったから間違いなく両方とも
列車が走れる線路みたいです。と言うことは上りは垂井経由で下り線が
この中山道の上を走るってことかなぁ。そういえばここは単線です。

11時25分
照手姫水汲井戸の道標があったよ。照手姫って誰?
昔々大河の住んでいる近くの相模の国の横山さんちに小栗君が住んでいたんだ
その横山さんの娘が照手姫だったんだよ。

でも、何で相模の照手姫の井戸がここにあるの?
小栗君のパパは茨城県のお城の主人で偉かったんだけど、
戦争に負けて死んじゃったんだ、それで小栗君はパパをやっつけた人を
やっつけるために横山さんちにお世話になっていたんだけど、その横山さんも
悪い人で、小栗君の居場所をパパをやっつけた人に教えようと
したんだ。小栗君は身の危険を感じて、横山さんちから逃げたんだ。
そして照手姫はどうなったの?
照手姫は小栗君が好きだったんだ。小栗君が横山さんちから逃げたとき
とっても悲しくなって、何処へ逃げたかも分からないのに
照手姫は小栗君を捜して旅に出たんだ。
分かった、そしてここ青墓に来たんだね。
その通り、姫は悪い人につかまってこの青墓のおじさんに売られたんだ。
そのおじさんの家にあった井戸がこの井戸だよ。
そして照手姫はその後どうなったの?
結神社に小栗君と逢いたいとお願いして、願いが叶ったんだよ。
よかったね。
11時50分
ここには、「よしたけあん」と「小篠竹の塚」があったよ。
照手姫も関係があって、面白い話だから時間がある人
は、左の看板をクリックして読んでみてね。ここでは
教育委員会じゃなくって青墓小学校が看板を建てて
いるんだよ。きっと好きな先生がいるんだね。
青墓(あおはか)って不思議な地名だけど、青いお墓が有ったのかなぁ?
ここは今田圃だけど平安時代には東山道の宿場が有ったんだよ。
遊女や芸人で賑わった町なんだ。そして源朝長の伝説も残っているね。
もうその時には青墓の地名が出てくるので、もっと昔に付けられた地名なんだね。
何で青墓って地名なのかパパが調べてくれました。
実は原ポリネシア語のA-OHA-KAが語源らしいんだよ。
そしてその意味は、社会の弱者にやさしい集落と言うことになるんだ。詳しいことは、
夢間草廬さんの「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源

に書いてあるから興味のある人は訪ねてみて下さい。
自分の住んでいる土地の語源も出ているかも知れません。

そんなことを書いていたところ、何と青墓小学校出身のhat'sさんのサイトを発見。
実はこの青墓は「あおはか」じゃなくて「
おおはか」と発音するそうです。
前述の大塚古墳に関係するのでは、そして漢字では王墓もしくは大墓が
この地名の起源ではないかと考察されております。なるほど!
彼も東海道を歩き、そして中山道へ向かっている街道行進隊。
かなり詳細なガイドと、研究が面白いサイトなので、興味のある方はこちらへ。
2004年12月29日

11時53分
日本橋から440km
青墓宿の道標があった小さな河を越え、大きな県道を渡ると青野町にはいるよ。
大きな県道を左に200mゆくとローソンが有るから、お腹がすいた人はおにぎり
買うと良いね。県道を渡って10分くらい進むと
常夜灯と一里塚跡が有ります。
青野の町は何の変哲もない町で、お腹がすいてきたボクたちは、喫茶店でも
無いのか探しながら歩いています。遠くの信号のそばにKマートの看板が
見えてきたので、またコンビニ弁当で我慢するしかないのかなぁって思いました。

12時13分
わ〜い。Kマートの信号の手前に喫茶店があったよ。名前は願舟っていうんだ。
今日はとても暑いので冷房の利いた部屋で座って休みたかったボクたちは
もの凄く嬉しくなりました。ママもさっきまでくたびれた顔してたけど元気になったよ。
12時33分
13時17分
ボクはスパゲッティ、平次はカレーライス。おばちゃんがやっている
このお店は、フルーツまで付いて安くて最高!さすが名古屋圏だって
パパも喜んでいました。住所は不破郡垂井町平尾718だよ。
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