昔、内陸部にあった港町は、今も続く石灰石と大理石の町。


第37日目 2004年9月20日

平均気温26.0℃ 最高気温30.2℃ 最低気温22.6℃ 平均湿度--% 風速0.4m/s 降水量0.0mm 日照時間5.0時間
気象庁電子閲覧室より引用


夕べ泊まった岐阜駅からJR東海に乗って大垣駅に来ました。
ここは
近鉄養老線の大垣駅です。電車が来るまでまだ時間があるので
ボクたちはホームや待合室で遊びました。
ママが、「キャ〜大変、佐武のおむつが足りない」と言ったので、パパは
駅員さんに聞いてJR駅下の薬局へおむつを買いに行きました。
今日歩くところにはコンビニが無いのでここで買っておかないとダメです。
平次は建設機械が大好きなんですが、ボクと佐武は電車が好きなので
こうして駅で次々通る電車を見ていると楽しいです。
養老・多度・桑名方面は少しお客がいたけど、ボクたちが向かう池野・揖斐
方面は全く人がいなかったので、大騒ぎ坊主たちにはもってこいの電車です。

9時17分
東赤坂駅から270m進むと、県道と別れて旧道に入ります。
更に360mで
白山神社があるよ。パパとママとボクは、旅館で朝食を
食べてきたから良いのだけど、平次と佐武はいつも寝起きで連れてくるから
中山道を歩き始めてから朝食なんだ。この日もここ白山神社の石垣に
腰掛けて食べさせました。おにぎりやパンと飲み物で朝ご飯。
一里塚跡を過ぎると、変則的な交差点があって、もちろん真っ直ぐ行くけど
その交差点に大きな石がたくさん置いてある工場があります。
看板を見たら
大理石の工場です。初めにも書いたけど赤坂は大理石の町なんだよ。
町の北西に
金生山といって2億5千年前の古生代後期ペルム紀の地層があって
そこから世界でも貴重な多色原石が採れるそうです。明治34年から大理石を
扱っている矢橋大理石のサイトに見本がいっぱいあるから見てね。

10時20分
赤坂宿の入口は杭瀬川を渡ればそぐそこです
赤坂港は河にある港なんだ。ここから大理石をたくさん運搬したんだよ。
赤坂で目立つのは、中山道の
常夜灯よりこの火の見櫓だね。
江戸時代風の瓦屋根が付いた櫓で、遠くからもよく見えるよ。この櫓が
見えたらその下が赤坂港だから良い目印になるね。

10時36分
港の跡は、良く整備されていて、公園になっています。ボクたちが水の
そばまで行って遊んでいたら、バギーの佐武がおろせおろせと大騒ぎ。
平次は、水の中に落ちそうになってパパに怒鳴られていました。
昔の警察署の建物のレプリカが、今は赤坂港会館になっていたよ。
トイレが建物の裏にあるから、この先のことを考えて行って置きました。
時間があったら、中に入って赤坂港の勉強をしたかったとパパが嘆いていたよ。
ボクは平次と水辺でもっと遊びたかったんだ。でも佐武がうるさいから・・・。

10時45分
港から170m行くと踏切があるけど、これが石灰工場へ続く線路だよ。
この右手にある山が金生山で、赤坂から昼飯町まで石灰と大理石一色なんだ。

踏切から50m位行ったところに、ひっそりと本陣跡がありました。
文久元年十月二十五日、あの和宮様は、この本陣に泊まったんだって。

10時51分
谷汲街道との交差点付近が赤坂宿の中心地だよ。今でもこの先から
古い町並みが続きます。そこには宿場の看板と古い
道標がありました。
10時53分
何処の宿場にも、素敵な場所って有るものです。この赤坂で気に入った風景は
この町並み。谷汲巡礼街道の起点である。西国三十三ヶ所観音霊場は、那智勝浦の
青岸渡寺を第一番とし、この北の谷汲村にある華厳寺を第三十三番とした霊場で、
江戸時代にはかなりの人気だった。この道も大勢の巡礼者が通った道である。


この場所はGoogle EarthのPanoramioに掲載しました

京都に似ているとパパが言った風景です。ただ犬矢来が京都とは違うと
驚いていたよ。京都のは丸くなっているのに、ここのは真っ直ぐなんだって。
とにかくこの辺は、綺麗な古い町並みが残っていて素敵な場所です。

10時54分
左は脇本陣です。昔は飯沼家が代々努めていた、赤坂で1軒の脇本陣。
今も、
榎屋旅館として営業しているんだって。赤坂宿御使者場跡は兜塚
になっていたよ。看板があったから、読んでみました。
  
 兜塚
 この墳丘は、関ヶ原決戦の前日(1600年9月14日)、
 杭瀬川の戦に笠木村で戦死した 東軍、 中村隊の
 武将野一色頼母を葬り、その鎧兜を埋めたと伝えられている。
 以後、この墳丘は兜塚と呼ばれている。     
                       大垣市教育委員会


11時05分
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