木曽川の畔、酒蔵のある古い街並みです。

国道の信号手前を、左に入ると中山道だけど、入ってすぐ左側にあるのが
米問屋の小島屋だよ。家の前にある大きな水車が目印だよ。山の中じゃないのに
こんなに大きな水車があったから、ボクたちはしばらく見とれていました。
最初の内はそんなに宿場らしくないよ。左側の家と家の間を見ると、
そぐそこが木曽川の土手なんだよ。しかし古い家もあるから、熊谷みたいに
決壊はしなかったんだね。この看板が出てくれば古い街並みはすぐそこ
12時04分
信号から650m進むと、こんな枡形みたいな場所になります。
左の石垣のある建物は
祐泉寺で、正面の白壁の家が小松屋だよ。
この辺からが太田宿で、古い街並みが残っていました。北へ890mで
美濃太田駅だから、電車で来た人にも便利だよ。
12時13分
吉田家住宅の小松屋は、お休み処になっていて、誰でも気軽に休めるよ。
お茶も出してくれるし、トイレもあってママには天国のような休憩所です。
入口の左にあった
旅人ノートを見ていたパパは、「みんな来てるよ!」って
喜んでいました。みんなというのは、札幌の稲垣さんや所沢の箱石さんだよ。

箱石さんは4月11日に関ヶ原まで進んだって言っていたけど、もう京都へ
着いちゃったのかなぁ、のんびり歩いているうちに抜かれました。
12時28分
左は旧太田脇本陣林家住宅(国指定重要文化財)だよ。なんでもこの建物は
中山道にたくさんある脇本陣でも昔のまま残っている唯一の脇本陣なんだって。

芦田宿の本陣土屋家の建物が、1800年で一番古いって書いてあったけど
こっちの方が31年も古いから、この林家が、中山道で一番古いんだね。

右の蔵がたくさんあるのは、御代桜酒造だよ。道路の上に木の橋があったり
凄く高い木造の建物があったり、とにかく大きくて古くて素敵な建物です。
12時35分
脇本陣と比べて、本陣は門だけが残っていました。本陣跡は町役場になって
門だけが残ったんだよ。その門も痛みがひどかったので平成14年に解体修理
したんだって、この門は1861年和宮様が通るときに造られた門で、一間の
薬医門
(本柱が門の中心線上から前方に置かれている門のこと)で、両袖に半間の塀が付く
格式のある端正な造りなんだよ。昭和の初め頃ここに移されたんだって。
12時37分
居酒屋「中山道」の前を通過すると、前方に高架の道路が見えてくるよ。
太田宿もそろそろ終わり。左の写真の交差点、右側角に
左西京伊勢道という
道標が目印のところを左折してね。135mでカフェ・コール駐車場の枡形を
右折。高架道路をくぐって、すぐに左折また木曽川の土手に出ます。
12時45分
日本橋から390km
土手へ出る角には大井戸の渡し跡の碑があるよ。その隣にあるのが坪内逍遙
ゆかりのムクノキ
です。坪内逍遙は太田宿の代官所役人の子供なんだって
大正8年に夫婦そろって帰郷してこのムクノキのしたで写真を撮ったんだよ。
きっと子供の頃よく遊んだ木なんだろうね。分かるような
がするよ。土手に出たら
佐武が降ろせ降ろせと大騒ぎ、仕方ないので歩いてもらいました。
12時48分
土手を440m進むと右下に日本ライン漁協の小屋があります。その脇を
斜めに行くのが中山道らしいのですが、トヨペットの裏で行き止まり、仕方ない
ので、ちょっと戻って国道へ出ました。右の写真の白い建物が漁協。その手前で
右折して国道へ。左はなかなか歩いてこない佐武にしびれを切らすボク。
13時15分

以下は2007年10月にいただいた太田宿の臍曲がりおじさんのメールです。
太田宿出身でいまでも模型屋さんを営んでいて、太田に関する考察には
素晴らしいものがあります。詳しい作品はおじさんのサイトをご覧ください。


中山道太田宿の臍曲がりです
 太田宿から河渡まで貴ホームページ上で旅させていただきました。
鏡島弘法のそばにタレントの岡田ナナの実家があります、
通りに面しておりますから前を通られたはずです。
 
太田宿についてお話しいたします。
太田宿は昔から幾度と無く洪水に見舞われております。
江戸時代から我が家は祐泉寺の裏にあり明治30年代に鴨居まで水没したようです。
本陣辺りは私が記憶している(現在60歳)だけでも片手できかないほど水が着いております。
本陣の少し下(シモ)【西側】に母の実家(昔のまま現存)がありその対策は実に手慣れたものです。
 
昭和58年9月28日にはそれ以上の洪水に見舞われました。
祐泉寺から北たに100m程の今の我が家は床上130cmまで一気に増水しました。
太田橋から坂祝のロマンティック街道終点までの堤防は激甚災害法適用で整備されました。
それまで現堤防より10数メートル下に太田宿の西の外れ加茂川(トヨペットの先)辺りまで
車が一台通れるような道がありました。中山道を川に向かっていくと
遮る物が無く川が身近でありました。
祐泉寺には400年を越える椋の木がありそれも築堤で切り倒されました。
脇本陣は祐泉寺辺りより更に標高が低く大変な被害でその後大修理がなされました。
訪れられて気付かれたと思いますが通り全体に何処か妙に新しさがあったはずです。
祐泉寺もその時建て替えられました。
 
坂祝町の14:10辺りは昔映画の撮影場所です。題名は忘れましたが若き日の
若尾アヤ子主演の安珍清姫の日高川の渡しシーンです。
又、昭和天皇の行幸に因み御幸巖と名付けられた岩があります。
その下のタカケンクリーニング看板の交差点は関市(刃物で有名な)に抜ける旧道でした。
現在はその交差点と岩屋観音間の交差点より新道が出来た。
件の看板辺りの川中の岩場でも昭和40年代半ばに長谷川一夫主演の
股旅物映画でヤクザとの立ち回りが撮影されております。

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