十三峠はいろいろな名前の坂があって面白い。


ここはセントラル建設から400mの所にある槙ヶ根と言う場所で、
ここには昔、
九戸の茶屋があって賑わっていたんだ。というのも写真の
道標にあるように、ここは上街道と下街道の分岐点だったんだよ。
上街道というのが写真の道を真っ直ぐ進む中山道。
下街道は木の道標が
あるところから、左に下る道で、釜戸から土岐、多治見を経て名古屋に
行く道なんだ。途中、内津峠の山道があるけど、土岐川沿いの平坦地を
進み、人家も多かったし名古屋まで18kmも近かったので人気が
有ったんだ。でも、幕府は宿場を守るため、荷物の通行を禁止したんだけど
みんなは、近い方が良いに決まってるので、承知で使っていたんだ。
もっと詳しいことが知りたい人は、大きな看板を撮って来たので見てね。

10時51分
槙ヶ根立場跡には、伊勢神宮の遙拝所もあるよ。この遙拝所は、東京の方から
歩いてきた人が、下街道を使って伊勢神宮へ行くんだけど、途中でお金や時間が
無くなって、どうしても戻らなくちゃならない人は、ここから伊勢神宮を拝んで
帰って行ったんだって。祠の礎石が今でも残っているんだ。
10時56分
首なし地蔵跡
槙ヶ根立場から乱れ坂を下って乱れ橋までは、たったの880mなんだけど、
途中に、
姫御殿跡と首なし地蔵があるよ。首なし地蔵の話は、怖いよ〜。
昔、二人の中間(ちゅうげん)が、ここを通りかかった。
夏のことで汗だくであった。「少し休もうか」と松の木陰で
休んでいるうちにいつの間にか二人は眠ってしまった。
しばらくして一人が目覚めてみると、もう一人は首を切ら
れて死んでいた。びっくりしてあたりを見回したがそれら
しき犯人は見あたらなかった。怒った中間は「黙って見て
いるとはなにごとだ!」と腰の刀で地蔵様の首を切り落とし
てしまった。それ以来何人かの人が首をつけようとしたが、
どうしてもつかなかったという。

11時15分
乱れ坂から降りてくると、乱れ橋を渡るよ。乱れ坂というのは、ここを通った
大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女の人の裾が乱れるほど急坂なんだって。
乱れ橋は、飛脚さんたちがお金を出し合って造った土の橋です。
昔は荷物を積んだ馬一頭当たり二文お金を取っていた
有料の橋なんだ。
ボクはもっと立派な橋なのかと思ったら、欄干もなく上は土で平次には
危なっかしい橋でした。ママが「平次もっと真ん中渡りなさい」って怒ってました。
平次は「お魚いるよ」ってギリギリまで端によってのぞき込んでいました。
この橋を渡って乱れ坂を登る京都から来た人は、橋の手前のY字路を
道標にしたがって右に進んでください。
ベンチがある方です。 11時21分
右手が山、左手は田圃の気持ちよい景色の中を進むます。
どう見ても中山道を歩いているとしか思えないおじさんは、挨拶だけで
すたこら行ってしまいました、ボクたちが同じ中山道を歩いている旅人と
気付く人はなかなかいないんだよ。前も地元の人と間違えられて道を
聞かれちゃった。バギーを押した旅人なんて普通いないもんね。
その気持ちの良い道を500m進むと。
中山道四ツ谷休憩所があります。
ここには、トイレや水道もあって休むのに良いよ。ボクたちも佐武を
バギーから降ろして、15分くらい休憩しました。
11時45分
田圃のあぜ道で蛙を探していたボクは、初めて大きな蛇に出会って
腰を抜かしてしまいました。だって2mくらいある本物の蛇がいたんだよ。
パパが急いで引き返して捕まえようとしたけど、田圃の中にスイスイ
逃げてゆきました。マムシじゃなくってよかったってパパは言うけど
ボクは本当に怖かったよ。その田圃をバックに平次が立っているところは
竹折村高札場跡です。休憩所から500m行くと、右の写真のY字路に
なるよ。ここでも道標がしっかりしているから迷うことはないよ。
道標にしたがって、左の田圃沿いの道を進んでね。11時59分
200mで小さな川を渡ってかくれ神坂、そして350mで平六茶屋跡へと続く
平くい坂が続きます。田圃の中から一旦杉林の道になるんだよ。途中には妻の神
と書かれた杭もありました。この道は長島町久須見と武並町竹折の境のみちです。

12時10分
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