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茄子川はとっても小さな川、その橋を渡れば、そこは大井町。恵那市なのです。
もうボクたちの影も随分長く伸びて、夕方が近づいてきました。
ボクたちは、益々大きくなるトノサマガエルの声に聞き耳を立て探します。
川の向こうの大きな石碑に中山道と彫ってあります。中山道って字をみると
ボクたちの歩いている道、間違っていないんだなぁと安心します。
大井の宿場、恵那駅はもうすぐそこ、長かった一日もやっと終わりに。15時34分 |
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茄子川を越えると、小さな広久手坂を登るよ。そして岡瀬の集落を抜けると
560mで、今度は根津坂だよ。ここには根津神社や石仏もあります。ちょっと
した公園もあり、大井宿の絵を彫った大きな石碑があるよ。ここで休もうと
思ったけど、陽が当たって暑かったので、坂の頂上の木陰で休みました。
坂を下ると、 関戸一里塚跡が有りました。地図で見るとこの裏100mの
ところに大井第二小学校が有るんだけど、中山道に面していなかったから
寄りませんでした。今のボクたちは100m歩くのもやっとなの。16時10分 |
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大井宿の入口は、中央高速の橋を渡ります。ここは、恵那峡サービスエリアを
出て1900m、4番目の橋。そして恵那インターからは、2400m、3番目の橋なんだ。
今度、高速に乗ったときに見てみなくちゃ。この橋を渡ったら、大井宿300mの
標識がある階段を降りてね。中山道はこっちって書いてあるよ。階段は小さいけど
バギーで降りるのは大変だと、パパは嘆いていました。16時16分 |
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階段を降りると、右側に上宿の石仏群があります。平次は石仏やお地蔵様の
前を通るときには、必ずなんまいなんまいをするようにパパに教え込まれました。
石仏から100mで今度は、明知鉄道の線路をくぐります。ボクの家の車では
通れないほど、低い所に線路が通っていました。電車が来たら下から覗こうと
待っていたけど、なかなか来そうもないので諦めました。16時20分 |
中山道大井宿 上宿石仏群
昔の人は神仏に病気の治ることを祈ったり、村境に地蔵菩薩や塞神を立てて、病魔が
村に入らないように願うことが多かった。
ここは上宿で大井宿を一望できる位置である。そこで宿の人達はここを宿場外れとして
数多くの石仏を立て、病気平癒とともに悪病や悪人の侵入を防ぎ、宿内の無事息災を
祈ったのである。
特にここにある痰切地蔵は「がいき(風邪)をひいたらたんきり地蔵さまを拝め」といい昔
から多くの参拝者があった。
一番左側に立つ碑の徳本は、紀州(和歌山県)日高で宝暦8年(1758)に生まれ、文化・
文政(1804〜1830)の頃この地方に来て念仏教化を行い、多くの信者を得た高僧である。
恵那市・恵那市教育委員会 |
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線路を過ぎると、道はまた坂を下ります。この坂は五妙坂で高札場が
有りました。下りきったところで上横橋を渡れば、もう大井の宿場の中。
枡形を行くと突き当たり左の角が本陣跡です。この本陣は立派な門と塀
そして松の木が目印です。建物は昭和22年の火事で燃えちゃったよ。
16時25分 |
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枡形がたくさんあるのも大井宿の特徴だよ。その途中にあったのはひし屋。
昔の庄屋の家で、今は中山道ひし屋資料館になっているから、時間のある人は
覗くと良いよ。夕方5時に終わっちゃうからボクたちは入れませんでした。
次にあったのが宿役人の家です。他にも白木改番所跡がマンションになったり
たくさん古い家が有ります。そんな古い家を見ながら6回枡形を進みます。
16時31分 |
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ここ大井橋で、宿場は終わります。橋の欄干には広重の浮世絵が並んでます。
でもボクたちが興味を持ったのは、この鯉のぼりたち。役目を終えたたくさんの
鯉のぼりたちが、やっと大井に着いたボクたちを歓迎してくれました。
もう足はガクガクで参った参ったとパパは言っていました。ボクはまだ歩けそうです。
16時35分 |
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おもちゃ屋があったら、好きなもの買ってやるぞってパパが約束してくれたのですが
群馬の安中以来、ちっともおもちゃ屋が有りませんでしたが、ここで久しぶりに
見つけました。ボクはカード、平次は蛇のおもちゃを買ってもらいご機嫌です。
そして、恵那駅の入口が今日のゴール。長い長い一日でした。これで家に帰るよ。
16時44分 |