計画的すれ違いは、大成功でした。

札幌市在住の稲垣さんは、以前よりボクたちのサイトを見て、よく応援メール書いていただき、
すっかりお馴染みの方でしたが、実際のお会いするのは今日が初めて。稲垣さんは、日本
ウォーキング協会の斉藤さんと共に4月10日三条大橋を出発、春は下諏訪まで、そしてこの
秋、一気に日本橋を目指します。一方3月に今シーズンの中山道を再開したボクたちは、
4月の日程を決めるのに、是非、稲垣さんたちとすれ違おうと、彼女らの日程と重なる
本日を選びました。もし、どちらかが寄り道していたり、食事のためどこかの店に入って
いたなら、気が付かぬまますれ違っていたことでしょう。また、どの辺で出会うことになるか
分からぬまま、歩を進めるのもなかなかスリリングでした。出会った場所は、中津川市
三津屋。石仏がある所でした。先頭を行く大河が、坂道を下り始めたとき、坂の下から
歓声が揚がりました。「大河く〜ん」。突然の出会いには、本当に驚きました。彼女たちは、
この辺ですれ違えると思い、カーブを曲がるたび、坂を登るたび、今か今かとボクたちを
探していたそうです。こうして出会うことができたボクたちは、まるで旧知の友人に再会
したような感動がみんなを包みました。これから互いに逆方向へ去るのが残念でした。
いつも、いろいろな人たちとすれ違って、声をかけてもらうボクたちですが、
今日は、本当に驚きました。パパに余りよく話を聞いていなかったボクは、
坂を下るとボクの名前を呼びながら駆けてくるおばさんたちに圧倒されました。
平次や佐武の名前も知っていたので、またビックリ。でもおばさんたちは親切で
ボクたちを励ましてくれたので、疲れていたボクはとても元気が出ました。
お別れするとき、みんなでこの旅が成功することを約束して手を振りました。
それから、ボクたちのためにお土産くれて、本当にありがとう。
おばさんたちも、元気に日本橋まで歩いてね。
14時42分
おばさんたちと別れて、すぐ出てきたのは将監塚三ツ家の一里塚跡
だったけど、おばさんたちの話で盛り上がっていて、全然憶えていません。
14時48分
一里塚の隣に面白いものを発見したよ。地下式の横断歩道なんだけど、
肝心の道路がないんだよ。ここに太い道路ができて、その道路を渡るための
横断歩道なんだろうけど、何で道路が無いのに歩道だけ有るんだろう。
先に歩道を造ってからじゃないと、道路ができないのかなぁ。でもこの歩道
もうだいぶ古くなっていたので、随分長い間、道路工事は中止しているようだよ。
なんか、もったいないなぁとボクは思いました。その先で開通している道路を
渡ったところに有ったのは
坂本立場跡です。ここからまた道は下り坂になります。
14時54分

注:2007年7月のYuzo Hosomiの情報ではこの横断歩道は開通しました。

立場跡の坂を下る途中に、古い石仏が並んでいました。今先で主要地方道を
渡り、坂本川に掛かる
坂本橋を渡れば、茄子川です。そして最初に出てきたのが
茄子川村の高札場跡、そして100mほど進むと、今度は尾州白木改番所跡
あるよ。木曽から運び出される木材には、太いものと、細いものがあって
太い木材は木曽川を流して運び、所々に川番所があってチェックしていたんだ。
細い木材は牛や馬が、この中山道を使って運んでいたんだよ。だから中山道にも
所々に白木改番所があって、厳しく取り締まっていたんだって。
15時02分
この街は、茄子川の集落です。古い建物もあって、静かで綺麗な街並みだよ。
ここから中津川までは一里二十三町(6.4km)大井までは一里(4km)とちょうど
宿場と宿場の間なんだ。間の宿というのが、今までにたくさんあったけど
この集落もその一つなんだよ。どんな建物が残っているか入ってみよう。
15時03分
茄子川小休所藤原家の建物があったよ。この家は宿場の本陣や脇本陣と
同じような役目を果たしていたんだって。皇女和宮や明治天皇が休んだ建物が
そのまま残っていて、休憩した部屋やトイレなんかは、当時のままなんだよ。

15時07分
ボクたちは藤原家で休むことができないので、日陰になった綺麗な塀の隣で
休憩です。歩いていると、とってもお腹が空くので、ちょくちょく休んでなんか
食べます。パパが教えてくれたんだけど、山登りやウォーキングのときは、
いつものようにお昼ご飯をたくさん食べないで、少しずつ、ちょくちょく食べる方が
いいんだって。元気になったボクたちは、また進みます。今度は
茄子川焼という
看板が出てきました。ここの焼き物は天正六年(1578)から始まったんだよ。
そして発展したのが弘化二年(1845)富山から来た水野さんと一緒に連房式登り窯を
造ってからなんだ。中山道を旅する人のお土産としてよく売れたんだよ。
15時31分
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