久しぶりの大きな街は、新しい街と古い街が並んでました。


旭が丘公園から見た中津川の街です。真っ直ぐ延びている道が中山道だよ。
遠くに見える鉄塔はNTTのアンテナ、そこまでが新しい街でその先に古い街が
あるんだ。今日のゴールの大井はその向こうの低い丘のもっと先。
もうお昼だけど、本当にそんなに歩けるのか心配になってきました。
11時23分
Z形になった茶屋坂を下って中津川の街へ入るよ。その途中に有ったのが
芭蕉の句碑だよ。「山路来て何やらゆかしすみれ草」
県道は歩道橋で越えます。その先は階段になっちゃうからバギーは
遠回りして来なくてはいけないんだ。パパと佐武だけ遠回り。11時35分
坂の下には高札場跡があったよ。何処の宿場にも入口や出口に高札場が
有るけど、宿場の人がみるにしては変だと思います。それなら宿場の真ん中に
有ればいいのに、何で出入り口にあるんだろう?宿場に入る旅人に見せる
ために置いたのかも知れないね。街に入って振り返ると茶屋坂の上に
歩道橋と旭が丘公園がよく見れるよ。
11時40分
高札場から始まる直線道路、橋を渡るまでの560mは淀川町・新町といって
新しい街並みだよ、所々には大理石の上に中山道にちなんだモニュメントが
あって、楽しいよ。歩道も広いし、車は少なくて歩きやすい道です。
桂小五郎の隠れ家跡や、かつて東濃で最大の商人と言われた間家大正の蔵
など、見所も有るんだ。でもボクたちはお腹が空いたので、ご飯食べる所を
探すのに夢中で、何処も見ないで橋まで来てしまいました。11時50分
やっと開いていたお店を見つけました。橋の手前右の路地を50m入ったところに
あった、
中華料理京花です。パパは固焼きそばを頼んだよ。ボクはラーメンだった
けど、パパの方が美味しそうだったんだ。お腹いっぱいになって元気に出発だ。
11時55分〜12時24分
橋を渡って、すぐ左側に面白いお店を見つけました。パパも駄菓子屋だ〜っと
大喜びです。パパが子供の頃はパパが住んでいた町にも全く同じお店が
有ったんだと言って懐かしそうでした。ボクたちも初めてのお店で大興奮。
小さなカゴを持って、いろいろなお菓子をカゴいっぱい買いました。
お菓子はみんな一つずつ買えるので、好きなものを好きなだけ買えて
とっても便利だと思いました。平次は平次の好きなもの、ボクはボクの
好きなものを、好きなだけ買って歩きながら食べることにしました。
お金を払ったパパは、値段も昔のままだ〜って喜んでいました。
12時26分
駄菓子屋さんの並びに大きなビルがあって玄関を見たら
中津川市中山道歴史資料館開館って書いてありました。開館したばかりなんだ。
時間があったら入りたそうなパパでしたが、ボクたちが飽きちゃうので
諦めて先へ進みました。この辺は本町と言って古い街並みの区域に
入ってきたんだ。早速あったのが
本陣跡でした。といっても車庫の前に
石碑と説明の看板が有るだけで、本陣の建物は有りません。
12時31分
この古い建物は、夜明け前に出てくる小野三郎兵衛という半蔵の友達
家だって、本名は肥田九郎兵衛通光という
庄屋さんの家なんだ。この建物は
昔のままなんだよ。裏には綺麗な庭が有るって書いてあったけど見られないね
12時31分
庄屋さんちを過ぎると道は左に直角に曲がります。中津川の枡形だよ。
左の写真が、最初曲がるところ、右は次の曲がり角までの直線の道。
ここには、下の看板の
十八屋があるんだ。面白いこと書いてあるから読んで。
そして下の写真が次の角を曲がったところだよ。
12時35分
十八屋(間家)
1.江戸中期に園田大学が建てたと伝えられおり上がり框や天井の梁などは当時そのままである。
  屋号を十八屋山十といい、中津川の豪商であった間杢右衛門家の流れをくむ家で、そこより分家
  した間五兵衛家から出た間武右衛門が移り住み、旅籠を営んでいた。当時の記録によると、旅籠
  は宿役人しか営むことができなかった。
1.元治元年(1864年)11月水戸天狗党が中津川を通行した際、和田峠の戦で負傷した若き武士を、
  武右衛門が当家の隠し部屋に匿うが、病死した。当家にはその若者の遺品が今も残されている。
1.皇女和宮の下向のときには、京都御供が宿泊しており、その時の記録には当家の間取りなどが
  克明に調べられている。
枡形を過ぎると宿場も終わり、180m進むと中津川を渡る橋にでます。
遠くの浅間山を右手に見ながら、中津川の宿場ともお別れです
12時40分
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