馬籠峠への急な上りが待ちかまえていました


民宿こうしんづかで、県道を横切って、この綺麗な石畳の所から
いよいよ馬籠峠への苦しい登りが始まるよ。入口の左側にツルツルの
木を見つけてボクと平次は興奮しました。だってこんな木触ったの初めて。
パパに聞いたら、猿も滑って登れないから
サルスベリというんだって。
まだ植えたばかりで小さかったけど、ボクが大人になって来たら
きっと見上げるように大きくなっているから、大河も自分の子供が
ボクと同じくらいになったら来てみると面白いよって言いました。
13時17分
石畳は良いのだけど、いきなりこのとんでもない急坂が始まって
佐武と荷物を載せたバギーを押しているパパは、ヘロヘロになって
いました。先頭のボクの足の角度でとても急なのが分かりますか。
ママも平次もハァハァ言いながら頑張って登っていました。
みんなが持ってる山と渓谷社のガイドブック「中山道を歩く」
表紙の写真は、平次が歩いている辺から振り返った景色だよ。
ガイドブック持っている人は見てみてごらん。13時20分
しかし急坂は5分くらいで終わって、今度は田圃の中を行く平らな道になるよ。
途中
小さな橋を渡って民家の中を歩いていたら、小さな水場があったので
のどが渇いたので、思わず飲んでしまいました。上に畑があって農薬が
心配だけど。ちょっとぐらいなら大丈夫だろうってパパは言いました。冷たくて
とっても美味しい水だったよ。これで元気が出てまた登ります。
13時34分
倉科祖霊社
ここには、松本城主小笠原貞慶の重臣倉科
七郎左衛門朝軌の霊が祀られている。伝説では、
七郎左衛門は京都へ宝競べに行く途中、この地で
盗賊のために殺されたとされているが、史実は
次のようである。七郎左衛門は、主人貞慶の命を
受けて大阪の豊臣秀吉のもとに使いに行き、
その帰りに馬籠峠でこの地の土豪たちの襲撃
にあい、奮戦したがついに下り谷で、従者三十
余名とともに討ち死にしてしまった。時に天正
十四年三月四日のことであった。当時、木曽氏
と小笠原氏は、何度も兵戈を交えており、そうし
た因縁からこの争いも起きたと思われる。
倉科祖霊社から2分行くと道はふたつに分かれ
るよ。どっちへ行っても同じ距離で峠へ行けるよ。
下は
男滝・女滝コース。上は旧中山道コース
ボクたちは迷わず上の道へ行きました。
又急坂でやだなと思ったけど中山道を歩き
に来たんだから仕方がないとあきらめました。
その分岐の所にはベンチと木陰があったので、休むことにしました。パパが峠道で
きっとお腹が空くぞって言って、妻籠宿で買ってきた野沢菜入りのおやきを出してくれました。
普段はスナック菓子ばかり食べているボクですが、おやきがこんなに美味しいとは
思いませんでした。ちょっと小さかったので一人2個づつ食べたかったけど・・・13時58分

電信柱に一斗缶がぶら下がっていて、この辺はクマや猿が出るから、歩いて森に入る
人は、必ずここで
一斗缶を棒で叩いて、これから人間が通りますってお知らせします。
ここは、男たるの国有林といって、木曽五木がたくさんあります。江戸時代から
ず〜っと伐採が禁止されていて、すごい森です。その森を抜けると県道と合流します。
14時11分
県道を少し進むと、右側の川にかかる小さな木の橋があるので、渡ってください。
渡ったところにはトイレもあるよ。ここからは、川とその向こうの県道に沿って
緩やかに何度か小さな
木道を渡りながら登ってゆきます。最後はまた県道を
横断するんだ。渡ったら中山道の案内の看板がある
石畳の道を登りましょう。14時21分
石畳の道にいきなり現れるのが、このサワラの大木です。樹齢300年、胴回り5.5m、
高さ41mで風呂桶なんかに使われるんだって、この木でお風呂を造ると300個できます
って看板に書いてあったよ。また、このサワラは
神居木といって天狗が住んでいたと
信じられていたんだよ。この木を切ったりすると祟りがあるって昔の人は思って
いたんだ。だからそばを通ることも嫌がったんだって。平次、そんなに近づくと怖いよ。
14時25分
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