JR東海さわやかウォーキングの団体さんがいっぱいの妻籠への道


第30日目 2004年4月17日

平均気温14.1℃ 最高気温23.1℃ 最低気温6.6℃ 平均湿度--% 風速1.0m/s 降水量0.0mm 日照時間8.8時間
気象庁電子閲覧室より引用



この南木曽駅に来たのは、3月21日だったから、まだ一ヶ月もたたないのに
気候はものすごく変わりました。雨の中雪も残っていて、寒くて寒くて
嫌になっちゃったのが、まるで嘘のように暖かく。今日はママもコートから
半袖の服になって歩いたよ。出発した南木曽駅が見えるところでは
こんなに綺麗な花も咲いて、本当に
がやってきたって感じです。
今日のボクたちは、家を5時に出発して中央高速で中津川インターで降り
馬籠の宿に車を置いて、タクシーで南木曽駅まで降りてきました。
パパは、タクシーがドンドン坂を下ってゆくのを見て心配そうに言いました。
「え〜こんなに下るの?ってことはこんなに登らなくっちゃ行けないじゃん!」
10時28分
駅を出発して、最初に有る目印は蒸気機関車だよ。ここはSL公園です。
電信柱にある赤い大きな矢印は何だろうと思って見てみたら、JR東海が
やっている
さわやかウォーキングの道案内でした。この先の神戸坂という
急な坂を登ると、水平の道とクロスして林の中へ入ってゆくよ。その辺から
歩いている人がわんさか出てきたのでビックリしました。今まで中山道を
歩いてきて、こんなにたくさんの人たちが歩いているのを見たことが無かったよ。

10時36分
どうやらみんなは、南木曽駅から妻籠へ行って帰って来るみたいなんだ。
中山道とは関係ない道も使って、妻籠へ向かう人もいれば、駅に向かう人も
いました。ボクたちの中山道はどうやら帰る人のコースらしく、すれ違う人は、
何でボクたちは逆コースを歩いているんだろうって不思議そうな顔をします。
神戸の集落では、植木の綺麗な家の庭を通るような感じです。ここの桜は
もう終わりかけていたよ。集落を抜けると
ふりそで松に出ます。
10時43分
木曽義仲・巴御前って途中の宮ノ越にあった博物館の人だね。ゆかりの松って
書いてあったけど、何がゆかりなのか分かりません。また、右のストーンサークル
みたいなのは、
義仲が兜を置いて休んだ石なんだって、石の表面の凸凹は、
昔から子供たちが小石で叩いて凹ませたんだって、何でふりそでがゆかりなのか
何で子供たちが小石で叩いたのか、不思議が二つもあって、困りました。

10時44分
松のところで、中山道はこっちに曲がれと看板があったので右へ階段を下りると
木曽義仲の
かぶと観音があるよ。でもボクは古い木から水が出ている方が
面白く、平次と二人で遊びました。境内の反対側から道に出ると六差路に
なっているから迷わないでね。さわやかウォーキングの人たちが色々な
方から来るので、どっちが中山道か分からなくなっちゃったけど、この青い
建物の右側にある急坂を降りるのが正解だよ。
10時47分
坂を下りてゆくと、小さな川があって戦沢橋を渡ります。ここには和田峠にもあった
青い中山道の看板があるから分かり易いよ。この橋を渡ると、道は
石畳の上りに
なるんだ。そばの木陰で休んでいたら、この石畳の道に南木曽町長選挙の
宣伝カーが三台も来たのでビックリしました。歩行者がいっぱいいて危ないなぁと
思いました。歩行者は町の人じゃないのに、宣伝しなくても良いと思いました。

10時55分
これが上久保(うわくぼ)の一里塚です。これは京都側から振り返って
見たところです。東京の方から下向いて歩いてくると、きっと見過ごしちゃうよ。
この一里塚は、日本橋から
七十八番目の一里塚で、南木曽町には他に
十二兼・金知屋・下り谷の三カ所にあったんだけど、ここのが一番
昔のままの一里塚なんだよ。両側にしっかり塚が残っているのが分かるよ。
一里塚からすぐのところに良寛さんの歌碑がありました。
「この暮れの もの悲しきにわかくさの 妻呼びたてて 小牡鹿鳴くも」
11時04分
木の橋を渡って、坂を登ってゆくと左から来た道と合流します。そのあと、
左の写真の場所で
Y字路になるから右の水平な土の道を行ってください。
途中トイレもあるから便利です。また舗装路に合流したら、こんどは右の写真
真ん中の暗い下りの道が中山道だよ。右へ行くと
妻籠城趾、舗装路は
近道なんだ。中山道はコンクリートにメッシュの入った急坂です。

11時19分
 妻籠城趾
 妻籠城は、いつ誰によって築かれたか明らかではないが、室町中期には築城されていたと推察
 される。妻籠城は、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの折、ここも戦場となり、木曽義昌の
 家臣山村甚兵衛良勝が籠って、徳川家康配下の菅沼、保科らの軍勢を退けている。また慶長五年
 (1600)の関ヶ原の戦いの時も、軍勢がはいってここを固めたが、元和二年(1616)には廃城となった。
 妻籠城は典型的な山城で、空堀・帯曲輪、さらには南木曽岳にのびる妻の神土塁という土塁も備え
 ており、規模の大きな構えであったことが知れる。主郭へは徒歩十分で、北は木曽川と遠く駒ヶ岳を
 望み、南は妻籠宿から馬籠峠まで一望できる。                  南木曽町
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