大勢の人たちが集まって来た街
上松のイメージは、森林と木材の街。何故ここが木材の街になったのでしょう。
大桑村でも福島の板敷野ではなく。谷も広さや分水嶺の集積ポイントとして
さほど有効とは思われないと感じるのですが、きっと私たちのような旅人には
計り知れないものが有ったのでしょう。2段下の左側の写真に写っているのが
地元の大きな墓地です。田舎(失礼!)の墓地って、どの石塔を見ても同じ
名字が並んでいるのが普通です。佐藤さんとか、鈴木さんとか。しかし驚くことに、
ここの墓地は違います。殆どが違う姓なのです。全国の名字が集結したのではと
思うほど色々な名前のお墓が並んでいます。あまりにも不思議だったので、
駅前の観光案内所で聞いてみました。案内嬢曰く、上松が木材の集積基地と
して発展した明治時代から、全国からこの街へ人々が集まってきて働いた
そうです。そして、この街に骨を埋めて逝きました。・・・とさ。

今の国道から、古い国道へはいると、驚くほど静かな道になるんだ。
ここから
上松の町がよく見えるよ。今までの街と違って空が広い町なんだよ。
木曽の谷もそろそろ終わりが近づいたみたいだね。川もだいぶ広くなって
こんな町に住んだら、きっと楽しいだろうなって、思いました。
バイパスのトンネルが無かった頃は、この道をトラックがビュンビュン走っていたんだね。
トラックも町の人も大変だったと思いました。そのバイパスと別れて坂道をゆっくり下ると
622mで
十王橋という交差点に出ます。左側の横断歩道を渡って、左に10m逝くと
「中山道上松宿入口」という道標と小さな橋が架かっているからそこから入ってください。
14時46分
上松宿の古い街並みは385m残っています。でも半分くらいは新しい家になって
奈良井とかに比べると、普通の町といった感じです。江戸時代の宿場というより
この町はやはり木材の集積基地ということで大きくなって来た町だと思います。
短い古い街並みから旧国道へ戻るところに、ひっそりと一里塚跡が有りました。
14時53分
昔、本当の一里塚が有った場所は、この右の写真の旧国道との合流する場所
だったんだって、ここまでが本町、一里塚の先が中町といって町の境に有ったんだね。
この町の人たちは、右側の塚を「下の山」、左の塚を「上の山」と呼んでいました。
この
一里塚は、日本橋から72里、京都へ65里の場所にあります。和田宿の外れに
50里の一里塚があったことを覚えていますか。あの時、わぁ〜凄いなぁ〜って
思いましたが、もうあれから88kmも歩いて来ちゃったんだね。
旧国道へ出て130m歩くと、上松駅入口です。駅までは120mと、とても近く
便利なので、今日のゴールはこの上松駅前なんだ。今日は17kmも歩いたから
ちょっと疲れちゃった。まだ3時だけど、10月は日が短くてなんとなく夕方っぽいよ。

14時57分
ホームに立って反対側を見たら材木がたくさん並べてあって驚きました。
さすが、木の町だね。ホームまでヒノキの良い臭いがしてきて嬉しくなりました。
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