迷路のような関所の有る街
関町の信号で国道19号と分かれてちょうど450m歩くと関所があるよ。
旧国道をまたぐように大きな
木の門があって、ここは関所だぞって威張って
います。その手前の右側には小さな
駐車場とトイレがあるから、便利だよ。
旧国道はここから下り坂だけど、関所跡へ行くには左側の小径を水平に
進んでください。「
木曽福島関所跡」よいう石碑に続いて「史跡福島関」の看板が
かけられた東門をくぐって関所跡に入ります。今は建物は無く、芝生と石畳の
広場になっているよ。木曽川と町を見下ろせてとても眺めがよいです。

10時03分
     国史跡 福島関所跡                     昭和54年3月13日指定
  福島関所の創設された年代は明らかではないが、中山道の開かれた慶長七年(1602)を
 あまりくだらない頃のことと考えられ、中山道の重要な守りとして碓氷、箱根、新居とともに
 当時天下の四大関所と称していたものである。
  当初から木曽地方の代官山村氏が代々その守備に任じ、明治二年六月までその機能を
 果たしてきた。この関所は、各藩境等に見られる番所の類と機能を異にし、特に「女改め」と
 「鉄砲改め」とに重点が置かれていた。
  中山道が東海道と共に当時江戸と京都を結ぶ幹線の道路とされていたことや、「女改め」の
 手形の本紙はこの関所に留め下り(江戸へ向かうもの)のものについては、ここから碓氷関所へ
 「書替手形」を発行する、とされていたことなどからみて、この関所が、徳川幕府による交通政策
 上。いかに重大視されていたかがうかがわれる。廃関後、関所の諸施設は、全部取り壊されてし
 まったので、当時の面影はほとんどとどめていなかったが、昭和50年夏に行われた発掘調査の
 結果、寛文年間(1661)〜(1670)頃のものと推定される。
  関所古絵地図にみられる
    一.御関所敷地   弐拾五間三尺
    一.敷地是より大道北の柵迄拾六間
    一.御関所間口五間  奥行五間
    一.下番所間口三間  奥行六間
    一.東門外に駒寄   拾五間一尺五寸
    一.捨門(西門)外に柵七間五尺その先端駒寄四間四尺
    一.南側根の井山迄東門のつづき柵を三拾九間四尺
 の規模にわたる、関所遺構の全容を確認することができた。これを史跡公園として整備保存
 する計画がたてられ、史跡公園に隣接して、昭和52年4月27日、当時の御番所建物を再現、
 関所資料館が完成し昭和54年3月13日、文部省より国史跡として指定された。
  平成2年敷地内の民地の公有化にともない第2次発掘調査を実施し史跡保存、環境整備の一環
 として平成4年度に東西両門と木柵および武家屋敷跡の公園化復元修景整備をしたものである。
                                         木曽福島町教育委員会
これは、西門と木柵とボクたちが来た方角だよ。今の関所は旧国道とJRの線路に
挟まれているけど、昔は道路も線路もなく山と川までず〜っと木柵が有ったんだね。
だから、どっちから来ても関所を通らなければ中山道を通行できなかったんだよ。
ママは女だから昔だったら「女改め」で見つかって行かしてもらえなかったんだろうね。
でも、タイムマシンで昔へ行ったら、短い髪の毛にジーパンなので大丈夫かな?

10時04分〜10時35分
さて、ここでは木曽五木の勉強をしよう。福島関所跡の東門外には、実物の五木が
植えてあるから、良い勉強になるよ。そもそもは、関ヶ原の戦いで徳川が勝利して
から、木曽の森林資源が大規模に活用されるようになったんだ。コウヤマキは水に強いので
造船や風呂桶など、アスナロは狂いが無く建築材、サワラは湿気に強いのでお弁当箱
ヒノキは建築材などに使われていたんだよ。あまり木をとると無くなってしまうので、お役所が
採ることを禁止したんだ。そのときヒノキに似ていたネズコも紛らわしいので一緒に禁止。
これが木曽五木だよ。島崎藤村の夜明け前にも留山や巣山でのこれらの木の伐採禁止が
出てくるよ。これからも大切な森林資源だからみんなも大事にしてね。とくにヒノキは
葉の裏側をみると、白いYの字があるから探してみてね。
関所跡でパパと話していたこの自転車のおじさんは、日本中を自転車で旅行して
いるんだって。ボクたちが塩尻宿を歩いた日は、北海道を走っていて、だんだん
寒くなるから、これから九州を目指して走っているんだって。凄いおじさんだね。
風邪ひかないように、車に気を付けて無事九州まで行ってね。
その後、ボクたちは街道を右に折れて
山村氏の屋敷跡へ寄り道しました。
今(2003/10/26)、屋敷跡は改修工事中で見られませんでしたが、その石垣に
面白いものを見つけました。写真の黄色い丸で囲んだところをよく見ると
石垣の石に字が彫ってあるんだよ。これは、尾張の殿様の家来で横井也有という
学者の紀行文「岐岨路紀行」の一説で、こう書いてあるんだよ。
俎板のなる日はきかずかんこ鳥  也有 延享二年卯月一二日
10時41分
山村氏屋敷跡から街道に戻る途中に有る橋が、この大手橋です。昔は
御屋敷前橋と呼ばれていましたが、明治になって大手橋になりました。
最初は鉄橋だったのだけど二回も洪水で流されちゃったので、昭和11年に
丈夫なコンクリートの橋になりました。これは
世界最初のコンクリート
ローゼ桁橋
といって世界の記念碑と言うべきものであって、土木遺産に
なっているんだって。ちなみにこの右手の橋がよく見えるところにトイレがあるよ。

10時51分
街道に戻って、ちょっと行くと左側にあるのが「七笑」というお酒の蔵元です。
その先で旧国道は左にカーブしていますが、その手前右側に「
いわや」という旅館の
向かいの路地を左に直角にはいるのが中山道だよ。この先は上之町といって
古い街並みになるよ。間違えないで曲がってください。

10時54分
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