江戸時代から頭が良くなりたい人は必ず参拝しました

栗本ってどこだ〜って思う人がいるから、ボクが解説します。栗本は
木曽福島町の東のはずれ、あの鉄の橋が日義村との境で、ここからは
本当は福島なんだ。でも福島宿にはまだ少し歩かなければいけないから
このページのタイトルは栗本です。自動販売機のところで車道に出ると
中原兼遠屋敷跡があるよ。兼遠の奥さんが木曽義仲の乳母だったので
木曽義仲はここへ来たんだよ。そして兼遠にいろいろなことを学ぶんだ。

8時54分
ここは手習天神といいます。木曽義仲のパパ代理の中原兼遠が義仲の
学問の神様として造ったんだって。源平盛衰記という昔の本に義仲を木曽の
山下に隠し、育てたと書いてあるんだそうですが、その山下がここです。
今は上田という地名になっているんだ。昔の中山道を旅する人は必ず
この天神さまを参拝して行ったって書いてあったので、ボクたちも
頭が良くなりますようにって神様にお願いして行きました。

8時57分
手習天神から5分ほど行くと道がなくなっちゃうんだ。左の写真のところで
街道は切れてしまうよ。電車の線路が昔の中山道を壊したんだよ。本当の
中山道は黄色の線のように通っていたんだけど、今は線路の中なので、
ボクたちは、いったん右へ橋を渡って線路を越して、すぐ左下の線路沿いの
道へ戻って、赤い線のように進んで、国道に向かいました。

9時04分
すぐに国道と合流するかと思っていたら上の写真の線路を渡ったところから
880mも旧道を歩きます。その途中にあるのだ左の
上田小学校です。
日本橋を出発して19番目に見つけた小学校だよ。小学校のページで詳しく
説明します。その次に出てきたのは
新開水力発電所です。その前に幅2m位の
水がたくさん流れている水路を渡ります。ずいぶん水量が多いなぁって
パパが不思議がっていましたが、その水路の終点が街道の左上の丘にあって
そこから右下の発電所に街道を横切って水が流れて発電するみたいです。
きっと昔はこの発電所の電気が木曽福島の町を明るくしていたんだろうねって
パパが教えてくれました。もう谷の向こうは福島の町です。

9時19分
ボクは小学生ですが、弟の平次は保育園児です。今は小野路保育園という
東京近郊では珍しい山の中の保育園に通っています。今はたんぽぽ組だから
ホームページを見ると平次が見つかります。そんな平次が、ボクが学校の前で
いつも写真を撮ってもらっていたので、保育園が出てきたら自分も写真を
撮ってとパパにせがんでいました。ここは
上田保育園といいます。ここは今
56人のお友達が通っていますが、定員は80名。東京近郊では保育園に
入れなくて待機児童がたくさんいるのに、保育園が余っている福島町が
うらやましいとママは嘆いていました。ボクたちは気が付きませんでしたが、
この保育園のちょっと手前に左から降りてくる急坂があります。
おと坂といって
さっき線路で壊された昔の中山道の続きです。ですから本当の中山道は
そのおと坂を降りてきてこの保育園の前に出てきて今の中山道と合流します。
そして少し行くと国道と合流します。

9時35分
国道に出るとこんな標識がありました。あと500mで福島宿に入ります。
信号が二つ書いてありますが、一つ目が左下の写真の場所で木曽大橋。
二つ目は右下の写真の場所で関町の信号です。国道の向こう側に看板が
あったので見に行ったら
経塚というものでした。説明文はこうです。
 この経塚は、初代木曽代官山村良候が、慶長年中に家臣の
 川崎又右衛門(祖要坊)を伴って、全国の霊場を廻って大乗経を納め
 記念として塚を築いて松を植えた。年を経て知る人もなくなったので、
 第五代の山村良忠が曾祖父良候(号道祐)の百年忌にあたって、
 碑文を刻み建立したもので、「@」は山村氏の家紋である。
 文は長男の山村良林で後の第六代代官山村良景の書である。
 建立は元禄十四年(1701)十一月二十日
 さらに左の大日如来座像は、元禄十五年に造立したものである。
                                木曽福島町
この木曽大橋のところは国道を行くのではなく、橋の下をくぐる細い道が
昔の中山道です。ボクたちはうっかり国道を来てしまったけど、みんなは
間違えないで下の道を行ってね。まだ10時前なんだけど、山が近くて道路に
太陽が当たっていないので、この辺は寒い道です。すぐ下は木曽川で
その向こうに
福島中学校があって、休みの日なのに、生徒が大勢集まって
なんか楽しそうにいるので、みんなで見とれてしまいました。先のトンネルは
国道が木曽福島町へ入らないようにできたバイパスのトンネルだよ。
ボクたちは、トンネルに入らないで今は
361号線になった右の旧国道へ進みます。
9時50分
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