中山道ナンバーワンの一里塚はここにあります

JR中央線のガードをくぐると、昭和電工塩尻工場の塀が700mも続くよ。工場って言っても
木がたくさんあって静かで綺麗なので工場らしくないよ。左側にはソバの畑が広がって
車も来ないし気持ちの良い道です。写真じゃ分からないけど、この道はゆっくりゆっくり
登っています。周りには山が三つ谷が三つ見えます。ボクたちが来た諏訪の方と、一番広い
松本への谷。そしてボクたちが行く木曽の谷がよく分かるんだよ。遠くに大きな木が一本
有るのが見えるかなぁ。あそこまで行ったら休憩ってパパが言いました。

10時31分
休憩の場所はここです。今日は9月22日、気温17度で気持ちがいいけど、
日差しは強いので、ここの木陰は気持ちがよいです。左の一里塚は道路沿いに
あるけど、右は民家の駐車場の奥にあるから前まで行かないと見えないよ。江戸時代に塩尻市には
三つの街道に沿って八つの一里塚があったんだけど、両側に残っているのはここだけになったんだ。
この一里塚は日本橋から
59番目の一里塚だよ。もう236kmも歩いてきたんだね。むかしこの辺には
茶屋が二軒有ったんだって、きっと大勢の人が休んでいったんだと思いました。ボクたちも、一里塚に
登って、途中のコンビニで買ってきたお弁当を食べました。今日は新鮮なデザートも有ります。
ここへ来る途中、軽自動車に乗ったおばさんが、ボクたちの行く手をふさぐように停まったから
ビックリしていると、お兄ちゃんたち中山道歩いているのって言ってもぎたての
ブドウをくれました。
今から農協に採れたブドウを持って行くとこなんだって、ものすごく美味しかった。ありがとう。

10時39分
 国史跡 平出遺跡
  平出の泉に恵まれた平出遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての大集落です。
 昭和25年から現在までの発掘調査により、縄文時代では中期60、後期2、 古代では
 古墳時代79、平安時代28、時季不明の計199軒の住居が発見され 緑釉水瓶をはじ
 めとする土器・石器などが大量に出土しました。
  これらの発掘成果は、当時における縄文時代から平安時代までの村落のありかた
 を解明するうえできわめて重要な遺跡であることから昭和27年に国史跡に指定され
 ました。
  現在、塩尻市では史跡一帯を、「縄文の村」・「古代農村」の復元や体験地区・
 ガイダンス地区を設け、史跡公園として整備するための事業に着手しています。
一里塚から200m
左に曲がって
更に150m行くと
平出の遺跡だよ。
和田村の小学校
の校庭にあった
屋根だけの家の
大きなものが
建っているよ。
細いブドウ畑の間の道を入って行くと、右側に休憩所があって、そこから遺跡が公園のように
広がっているよ。左も遺跡なんだけど、ロープで入れないようにしてありました。ここでは
今でも
発掘作業をやっているよ。よく観るとていねいに土をどかして地面の大きな穴を
掘り起こしています。今日は誰もいなかったけど、いろいろな道具があったからみんなで
発掘しているんだね。ボクたちは右の公園になった遺跡で遊びました。
竪穴式住居
中に入れるんだ。真っ暗だけど目が慣れてくると中の様子が分かります。床が無くて
地面なのでじめじめして大変だったろうなと思いました。電気もないので夜は真っ暗かなぁ。
住居跡はいくつか有るけど、復元したのはひとつだよ。まわりの水たまりにたくさんの
トンボが卵を産もうとして飛んでました。平次は捕まえようとして、追いかけていたんだ。

11時05分
また中山道に戻って420m行くとJRの踏切を渡ります。左のある比叡ノ山をかすめるように
線路はボクたちが行く木曽の谷へ延びているんだ。右に長野県中信農業試験場、
左に観光ブドウ園を見ながら660m進むと
国道19号線に出るよ。中山道一里塚という
交差点だよ。ここからしばらくは国道の歩道を歩きます。

11時35分
ここが国道19号。まだこんなに谷は広いけど、両側は山がせまって来たよ。
ず〜っと向こうまで谷は続いて、いよいよ木曽路が始まります。国道も右側に
広い歩道があるからバギーのボクたちもとても歩きやすかったよ。
国道を歩いて870m行くと左側にガソリンスタンドが有ります。ここで国道を離れて
280mだけ
砂利道を歩きます。そして平出歴史公園という交差点でまた国道に出るよ。
ここには名古屋まで176kmというポストがありました。久しぶりに見たポストは
もう日本橋から何キロっていうポストじゃ有りません。どうしてなのかボクは
悩んでしまいました。ここから国道は終わりで信号を渡って洗馬の町へと入って行くよ。
信号を待っていたら2両編成の電車が左の山の麓を走ってゆきました。

11時50分
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