その2

鎌倉時代からあった板の橋が板橋の語源になったんだ。

板橋って地名は知っていたけど,それは板橋区で本当に板橋と言う名前の
橋があるなんて知らなかったよ。下の説明板によると,鎌倉時代からあった
みたいで,ほんとうに驚きました。でも今は板ではなくコンクリートで出来てます。

もう出発して,10km以上も歩いてきたことになるんだね。コンクリートの川に
コンクリートの橋,でもこの道標が木でできていたのでチョット安心しました。
まわりには,つぼみを付けた桜の木もたくさんあって,きっと春になったら綺麗なんだろうな。

11時15分
橋のたもとにあった看板をパパが撮りました。こういう説明が有ると分かり易くて
助かります。でも,江戸時代とか鎌倉時代だとかいわれても,ぼくには
何のことかさっぱり分かりませんでした。きっと僕が生まれるずっと前のこと
なのかもしれません。漢字もみんなふりがなを付けてくれると,ぼくにも
読めるかもしれませんが,書いてあることが難しくてきっと分からないでしょう。
左の写真は,板橋の上で歩いてきた方を振り返ったものです。この板橋に
向かって,ずっと下り坂が続いていました。しかし長い宿場です。いまも
ずっと,商店街が続いているのには感心しました。大きなスーパーもなく
小さなお店が,にぎやかで僕もこんな町に住んでみたくなりました。

11寺19分
途中の交番の裏で見つけたやぐらです。この辺の交番は,町並みに合わせた
デザインになっていて,裏にこんなものも建っていて,何となく雰囲気が出ています。
古い道を,大切に思うことは好いことなんだなと感じました。

11時20分
日本橋から10km
環七(右上の写真)の手前,首都高板橋本町の出口から旧道に入ったところに恐ろしい木があったよ。
その名も「
縁切榎」。別に僕にとってはたいしたところではないけれど,パパとママはびびって
写真も,そこそこに通過したんだ。看板を見ると確かに凄そうだけど,世の中には縁を切りたい人も
いるんだから,まんざら恐ろしいこともなさそうだね。むしろ,そっちの方の人が多いかもね。
パパなんか,過去と縁を切るんだとか言って,毎年携帯電話を買い換えているんだぜ,本当は,機種変
するお金がないんじゃないかと,最近気が付いたんだ。ともかく,これは中山道の良い目印かも。
おまけに裏には
綺麗な公衆トイレがあるのが素晴らしいと思ったよ。冬場の旅にトイレは欠かせない
からね。環七を過ぎると,商店街も寂しくなり,国道17号線と合流するよ。すぐに首都高が左に消え
泉町の交差点になるんだ。でも,まだ道路の下には地下鉄が走っているので,安心だよ。

11時25分

表紙へ 板橋へ 志村へ 地図へ