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土手の道を行くと、釜無川に架かる橋が見えてきました。塩沢橋というのでしょうか、
この橋を渡ると塩沢鉱泉、信甲館があります。写真右のおじさんは、少し前までこの上の
信濃境に別荘を持っていて、そこへ泊まると車で山を降りこの鉱泉へよく来たものです。
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その橋のたもとで、国道20号に合流します。そこには甲子塚、庚申塚、そして小さな道祖神が。
バス停には神代とあり、数軒の家が小さな集落を形成していました。大きな信甲館の看板だけが
国道を走ってきた人への目印、信号も無く通り過ぎてしまいそうな交差点です。
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ここから、旧道入口である机の交差点までは1200mの国道歩きとなります。
少し行くと右側にドライブイン赤石が、この日は月曜日で、定休日でしたが
真澄やキリンラガー樽生の看板は、好きなおじさんたちには毒でした。
左側には釜無川を経て大武川の集落がのどかに広がり、気持ちの良いコースです。
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やがて国道は、橋を渡ったあとS字を描いて登り坂となります。と思ったら橋ではありません。
傾斜がきついため、いわば桟のようになっています。左、右とカーブを繰り返すと信号機と
火の見櫓が現れます。ここが机の交差点で、甲州道中はここから国道を離れ右折し右の
山へと登ってゆきます。それにしても机と言う地名は珍しい。語源は何なのでしょう。
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交差点からは急な上り坂、180m息を切らせて登るとT字路になります。これを左に進むと
まだまだ登り、結局落合小学校まで登り坂は続きます。頑張りましょう。
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途中、右側にはよねや商店があり、自動販売機が立ち並び休憩したくなりますが
頑張ります。左に現れたのは富士見町立落合小学校、ボクたちがいないので通過します。
落合小学校は明治6年易知学校として誕生、明治7年落合村合併により沢良学校、明治20年
落合小学校となりました。明治19年より43年まで初代校長を務めた岩本節次を称え
岩本記念館ができたのが昭和62年、学校に併設され建っています。
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小学校の外れには大きな忠魂碑と愛馬出征記念碑があり、こんな小さな村にも
戦争があったのだと感じさせます。やがて道が平らになると、小さな川を矢の沢二号橋で
渡ります。こんな小さな橋なのに緑の立派な歩道橋が付いているのには恐れ入りました。
きっと小学生たちが賑やかに渡って来るのでしょう。やがて道は右にカーブし眼下に
国道を見下ろす場所になります。
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眼下には国道20号、その向こうの水田の先には立場川が流れ、左の真っ直ぐ伸びる
道の先が釜無川です。その左に見える洒落た建物は富士見下水処理場、ここで
眼下に見とれていてはいけなかったのです。後ろの崖の上には、奇石かぐら石が
あったのです。また、信玄直裁碑という机村と瀬沢村の境界を信玄が元亀3年に
定めたと言う碑があったのです。これはすっかり見落としてしまいました。
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坂を下れば瀬沢大橋の信号で国道へ合流します。ここは次のために信号を使って国道を
渡りましょう。すぐに立場川を瀬沢大橋で渡りますが、歩道橋が付いているのは左側。
橋を渡りきったら、川に沿って左に入る道があります。戻るようにその道へ進みましょう。
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再びのどかな旧道に入ってきました。ここからは旧道で富士見峠を越え金沢まで
進みます。道がT字路に突き当たったら右折です。現在11時44分、そろそろお昼ご飯
ですが、お弁当は先のコンビニでゲットしてきたので、あとは飲み物、松田商店には
首都圏では消えてしまったビールの自動販売機がありました。やっぱり我々には
ビールとばかり500mℓのスーパードライをゲットできました。
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瀬沢の集落はT字路から600mほど続きますが、その殆どが登り坂、しかも先へ
進むほど勾配はきつくなってゆきます。吉見屋の手前には趣のある石段が印象的な
村社があり、駆け上って見ようかと思いましたが、行く先の急坂を見てくじけてしまいました。
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吉見屋の前で道は二股の分かれます。真ん中には道標らしき石碑があり、右○○道、
左××道と書かれているようですが良く分かりません。どうやらここが追分で
あるということは分かりました。我々の行く甲州道中は左の更に急な上り坂です。
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坂もおもいきり急になり、再び二股に。そこにも左側に道標がありますが、
これも何と書いてあるのか良く分かりません。ここは真っ直ぐ登ってゆきます。
やがて道は平らになり、小さな沢を渡ります。ここで一息入れ再び登りましょう。
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もう勘弁してくださいと言いたくなるような登りが続くと、右のお地蔵さんが頑張れと
励ましてくれます。右に知的障害者更生施設のしらかば園が現れたら、苦しかった急坂も終わります。
この瀬沢一帯は瀬沢古戦場で、天文11年2月、北から信玄を攻めようとした小笠原・諏訪・木曽・村上の
4将は、動きを察知した信玄に奇襲され敗走しました。今では国道脇に合戦場跡の碑があります。
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