地図をクリックで印刷用A4版PDFダウンロード


NHKの街道てくてく旅でテッシーこと勅使川原郁恵さんが田植えをした場所は、
甲州街道蔦木宿
古代米の里という看板から右へ入った水田です。
ここは、下蔦木から上蔦木へ向かう台地の上、左下には国道が通り右には
古代米の水田が広がっています。看板にしたがって細い道を上がってゆくと
突き当りが田んぼで、写真手前の一列がテッシーお手植えの苗です、
裏の写真は7月22日下諏訪ゴールの後、再び訪れて撮ったもの。
テッシーは我々より20日ほど前にここを通過し植えてゆきました。
きっと実ったら、蔦木宿の人たちがテッシーにお米を送るのでしょう。
もしかしたら、稲刈りに呼ばれて、再びこの地を訪れるかもしれません。


そろそろと坂道を下ってゆくと正面に三光寺の大きな屋根が見えてきました。
その下には
蔦木宿の大きな看板が、ここから宿場に入ったようです。
小さな川を渡ると左に石の祠がありますが、その前の
常夜灯の方がご本尊より
大きいのでちょっと面白いお宮です。


100m進むと右側に枡形道路の碑があり、ここが蔦木宿南の枡形であることを
物語っています。右の写真が現在の枡形ですが、以前は三光寺の門前まで
行って曲がったと碑に説明があります。最近の道路改修工事で造りなおしたようです。


枡形を抜けると国道を一直線に宿場が続きます。甲州街道でもこの蔦木宿は
宿場を作るために生まれた町なので、形態が整い整然としています。
国道が宿場を外れていれば、もっと美しい宿場が残ったのかもしれません。


118m進んだところで、右側に鳥居がありました。朝から3時間も歩いたので
この
十五社大明神で休憩することになりました。ここには御柱祭りで使用される
めどでこが奉納されていました。
めどでことは、写真右の中段に下がっている
棒に縄のリングが付いたもので上社御柱の特徴的なものです。これに若者が
群がって乗り、雪解けの川を渡る様子は圧巻で我々も見物したものです。
この十五社にも御柱があり、次回は平成22年10月17日に山出し・里曳きが行われます。


十五社の境内に座り、街道方面を眺めると鳥居の向こうに山々が広がり
夏雲が湧き出ている風景が見られます。木陰に入りのんびり休みましょう。

 十五社からちょっと進むと上蔦木の交差点です。
右へ登れば信濃境駅、その角に
本陣大阪屋
の門がありました。裏を覗いても建物はなく
現存するのはこの門だけです。上蔦木の家
にはどの家にも
屋号を印した表札がかけられ
興味深く1軒1軒を見ることができます。

2分ほど進んだ右側、農協の敷地には与謝野晶子の歌碑があり、その前には
明治天皇が巡幸の折、使用された
御膳水のレプリカがあります。ここの御膳水は
七里岩からの湧水で、後に町の水道として昭和26年頃まで使用されていたようです。

白じらと 並木のもとの石の樋が 秋の水吐く蔦木宿かな


御膳水から160m、今度は左側に北の枡形があります。入口には枡形道址の碑
あるので見落とさないように。この碑の手前の道が枡形で、どんどん奥へ入ってゆきます。
中間地点には
石仏の群れがあり、出口に近づいたところにもお地蔵様がありました。


枡形の中右側にひときわ大きな木があり、説明板がありました。
それによるとこの木はサイカチで、
川除古木です。町の天然記念物に
指定されています。明治31年の洪水のときは、ここにあった大木を切り倒し
水の流れを変えて蔦木宿を守ったそうです。甲府、上石田のサイカチより
大きく、村を守るに相応しい守護神のように感じました。


国道へ出るなと思ったら直前を左に入る小径があるのでそちらを進みます。
角度から行っても、この
小径が甲州道中であるような気がします。
その小径も終わると国道に合流します。東京から
175kmの標柱がありますが、
我々の歩程は180kmを越えました。一直線に300mほど行くと左側にポツンと家が、
これが
岩田屋建材店で、砂利などを作っているようです。この建材店の前を左に
川に沿った道に入って進んでください。


一見、建材屋さんの作業用の道路のような気がして気が引けますが
安心してください。これが甲州道中で、川に沿って真っ直ぐ進んでゆけます。
砂利を作るプラントの脇を600m行くと再び国道へ戻りますが、その手前に
またネットがあるではないですか、また
感電ネットかと怖気づきましたが
今度はただの車両進入禁止のためのネットで、感電しませんからご安心を。