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山口の関所を過ぎると、左側に
国道20号が接近してくるようになります。
ここは、パパが若い頃、北アルプスへ向かうとき中央自動車道が開通する前
だったので、よく通った場所。橋を渡れば長野県なのでよく覚えています。
風景や家並みも30年前と殆ど変わっておりません。
左にある建物が
ホテル国界、中央はセブンイレブン、道の正面の白い建物が
サンコーラインという会社、新国界橋で合流するまでこの直線が続きます。


新国界橋手前で、国道20号に出ます。赤い矢印を進めば
新国界橋を渡って
下蔦木宿へ行けます。黄色のルートは、旧甲州街道である
国界橋を渡り下蔦木へ出るルート。
ここで何故、2つのルートを紹介したかと言うと、黄色いルートは
かなり危険なので
旧道にこだわらない方は、是非国道を進みましょう。そんな事は知らない我々は
旧道へのこだわりもあり、もちろん危険な黄色いルートへ進むのでした。


新国界橋の南詰にはセブンイレブンがポツンとあります。この先も食堂らしきものは
有りませんので、ここでお弁当を購入、のちに富士見のお片瀬神社でいただくことになります。
店の右側にはとても大きな石碑があります。これは教来石出身の
山口素堂の句碑です。

目には青葉 山ほととぎす 初かつお

山口素堂は、江戸時代前期の俳人で、20才のころ家業であった甲府の酒造業を
弟に任せ、江戸へ出て漢学を学びました。33才になる頃芭蕉と出会い、深川の
芭蕉庵の近所に居を構え、親しく交流しました。54才の年には神宮川(当時は濁川)の
治水にも尽力し山口堤を築いた才能もあり、郷土にも貢献した人です。

2011年10月伊吹さんの情報です。
セブンイレブンの駐車場入り口には鎖が張ってあり建物にはセブンイレブンの
サインも表示されていませんでした。休業が廃業か分かりませんが。



それでは、いよいよ国界橋の旧道へ向かいましょう。セブンイレブンと新国界橋の間、
サンコーラインの敷地へ入っているのではと錯覚するような場所を進んでゆきます。
両側に会社のトラックが並び、ちょっと気が引けますが、どんどん入ってゆきましょう。
やがて広い敷地の奥左側に、更に奥へ進む林道が現れます。これが旧道です。


セブンイレブンから400m、森が開けると旧国界橋が姿を現します。鉄の欄干は低く錆びており、
右側を望めば、遥か下流に新国界橋の赤い橋梁が見えます。


橋を渡りきると、突然ネットが行く手をふさぎます。これが動物よけの高圧電圧がかかっている
感電ゲートです。向こう側から来た人には通行止めの標識や高圧電圧の標識が見えますが
こちら側からは分かりません。ネットは左右に続いており、それには高圧がかかっていても
ゲート本体にはナイロン製のネットだけなので、大丈夫と思いゲートを開こうとネットを
つかみました。一呼吸おいて衝撃が走り、思わずゲートを放り投げました。
このナイロンネットには糸のように細い電線が編みこまれていて、常時通電しているのではなく
電圧はパルスとなってやってくる仕組みだったのです。説明によると7000Vではないですか。
それをもろ握ってしまったパパは、その場にひっくり返ってしまいました。
仲間が、恐る恐るゲートの電気の流れていない部分をつかんで何とか閉めました。
ここは、れっきとした甲州街道、いくら猿が出没するといってもこれはひどすぎる。
旅人が安全に出入りできるよう、説明なり対応をとるべきじゃないだろうか。
他のサイトをみても、みな恐れをなした新国界橋へ戻っています。
なにも無かったかのように通過できたのは、NHKの勅使川原郁恵さんだけでしょう。
そのときの番組を見ると、ゲートは開かれ、向こうで地元の方が出迎えているではないですか。
NHKもテロップで注意を喚起しても良かったのではと、腹がたったパパでした。


感電ゲートを過ぎるとすぐに国道20号の下蔦木交差点です。真っ直ぐ行けば
小淵沢インターへの道、その角には古くから
ドライブイン国界があります。
甲州道中は、国道を左に進み、100m行ったところで
右へと登ります。


急な登りの旧道へ入って最初にあるのが、日蓮上人の高座石(写真左)です。
その先、左側には珍しいことに
牛舎があり、大きな扇風機が部屋に風を送っています。


 
富士見町指定史跡
  日蓮上人の高座石


  文永十一年(1274)三月、流罪を赦された日蓮上人は佐渡から鎌倉へ帰ったが、その後、
 甲斐国河内の豪族波木井氏の庇護を受けて身延に草庵をつくることになった。その合間に、
 上人は甲斐の逸見筋から武川筋の村々を巡錫した。下蔦木(当時は甲斐領・蘿木郷)に
 立ち寄ったのはこの時である。
  伝承によると、当時、村には悪疫が流行し村人が難渋していたので、上人は三日三晩この
 岩上に立って説法とともに加持祈祷を行い、霊験をあらわしたという。その高徳に村人は
 ことごとく帰依し、真言宗の寺であった真福寺の住職も感応して名を日誘と改め、日蓮宗に
 改宗したといわれる。また、このとき上人が地に挿して置いた杖から蔦の芽が生えて岩を
 覆うようになったとも伝えられる。その後、日誘はこの高座石の傍らにお堂(後に敬冠院と
 呼ばれた)を建てて上人をまつり、近郷への布教につとめたという。

 富士見町指定天然記念物
  敬冠院境内付近の樹木

  敬冠院境内と付近に現存するサルスベリ、ヤブツバキ、シュロ、ビワなどの樹木は、冬も
 あたたかな暖帯に生育する植物で、当地方のような高冷地で数種がこれほど大木に生長
 していることはきわめて稀である。
  とくにサルスベリは推定樹齢200年と目され、これほどの大木は近隣に類例がない。

 平成十一年三月
                                          富士見町教育委員会




続いて右側には追分道標がブロック造の中にありました。これは武川筋と逸見筋の追分
写真左の草の道が逸見筋です。ここを行くと七里岩の上部を通り、現代の長坂駅、日野春駅
経由で韮崎へ下ります。この碑には「
へみみち にらさきまで むしゅく」と刻まれています。
更に125m行くと道は
二股になり、真ん中にお寺が現れます。甲州道中は左へ進みます。


日蓮に感応し改宗した住職の寺がこの真福寺です。鐘楼造りの山門をくぐれば
南無妙法蓮華経の石碑がいくつもあることから、帰依の深さが伺えます。


国道からこの寺までの200m余りが下蔦木の集落です。寺の脇を抜け坂を登れば
広々とした田園風景が広がります。出てきた最初のY字路は左へと進みましょう。


眼下に上蔦木の集落が一望できる道に来ました。上蔦木は400mほどあり
本陣もあることから昔から栄えたことが伺えます。甲州道中は手前の宿場を抜け
向こうの緑の山の鞍部へ向かって登ってゆくことになります。


右側に現れたのが応安の古碑、応安とは北朝時代の1368年からの8年間、
日蓮が歩いてから100年後と言うことになります。今から700年昔にもこの道があり
いろいろな人がいろいろな思いで、この道を歩いたと思うと感慨深いものがあり、
それが街道歩きの喜びとなりますが、皆さんはいかがでしょうか。
やがて、下を走る国道を見下ろすフェンス沿いの道にぶつかります。ここは
そのフェンス沿いに右へと下ってゆきます。傍らにはありがたいことに
元気を出すぞ蔦木宿の会の「みんなできれいに甲州道中」の標柱がありました。