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萬休院の舞鶴の松は、残念ながら枯れてしまったが、庭園も含め見る価値は
ありました。下諏訪から東京へ向かう方も是非寄り道をお勧めします。
そんな方は、この
石仏の並ぶ場所から急坂を登ってください。


甲州道中に合流したところは、
新屋敷の集落で、右手国道沿いには
お食事処舞鶴などが並びますが、250mの街道沿いには田圃しかありません。


萬休院から街道に合流して465mで国道20号を横断します。
写真左へ向かうのが国道20号、右へ向かうのが甲州道中です。
ここが
上三吹の交差点で、この先の集落が上三吹になります。


集落へと入ってゆくと見越しの松が立派なお宅が右側にあります。
その土塀の上には例の
魔よけの神様が、どこかで見た神様。
東海道では亀山、中山道では今須と、かなり関西圏に入ってから出現した
神様を、こんなところでお目にかかれるとは思いませんでした。
魔除けといえば、沖縄のシーサーが有名ですが、世界中にある風習で、
ペルーでは牛が屋根に乗って家を守っていますし、イタリアはピナクルです。
中国から伝わった石敢當なども、同じ魔よけですが、日本では鬼瓦が
一般的、この瓦は
立波というので、水害から家を守るためにあるのでしょうか。


何度も出てくる、武川米の水田と七里岩ですが、絵になる
日本の風景です。


集落を抜けると風景が広がり、やがて釜無川と尾白川が合流する場所へ出てきます。
その合流地点が良く見える場所に
パーゴラのあるベンチがあったので休憩しました。
川の向こうには台ヶ原へ登ってゆく国道20号が良く見えます。ここから眺めると、何故
台ヶ原というのかが分かるような気がします。2本の川に挟まれた台地が迫ってきます。


ベンチの先はすぐ国道ですが、その手前右側の路傍に七里塚跡の碑があります。
先の国道を見ながら歩いていると見過ごしてしまうので注意してください。国道へ出たら
尾白川を越える
尾白川橋を渡りましょう。尾白川は、甲斐駒ケ岳の北を流れ、美しい
渓谷美を見せる川で、特に紅葉の時期は人気があります。上流には日向ビーチと
呼ばれる白砂の頂を持つ日向山もある、登りたい山の一つです。


橋を渡ると左側に「そばうどんめし」の看板の信玄あぶみ屋があり、その手前に
はらぢみち(横山古道)の入口があります。したがって橋を渡ったら国道を行かず、左の小径に
入って行きましょう。はらぢみちは五街道開設以前の古道で、ここにある馬頭観音の
道標には「右かうふみち」「左はらぢ通」とあるので、五街道の甲州道中は、この道の
バイパスのように国道に沿って作られたのでしょう。我々は喜んで古道を行きます。

2011年10月 伊吹さんの情報です。
「そばうどんめし」の看板の信玄あぶみ屋の看板はあるのですが、その脇に、「売り物件」の看板も。
そのうちに、信玄あぶみ屋の看板が何か他のものに変わってしまうかもしれません。



後に泊まった台ヶ原の梅屋旅館の女将に聞いたところ、この道の存在を知りませんでした。
地元でも忘れられてしまった道を、土地の人たちが復活させたようです。もちろん勅使川原さんも
この道に入ったことはいうまでもありません。ところどころに
石仏もあり、林の中へと進みます。


3分ほど入ったところで、道は分かれます。右手に続いてきた小川を渡り坂を登ってゆくのが
はらぢみちです。すぐに
古道の道標があるので、目印になります。現在NHKでは風林火山を
放映し、同じNHKの街道てくてく旅では甲州街道。真新しい道標を見ると、古道の復活にも
力が入ったものと思わず苦笑してしまいました。10年、20年先でもこの古道が歩けることを祈ります。


坂の途中の観音様には嘉永三年とあります。それは1850年、157年間旅人を見守って
来たのでしょう、我々は何人目の旅人かな。やがて1段目の台地へ登ると周りはブドウ畑、
そして左側に
尾白川が現れます。右には遠く国道も見えてきました。


草の道が終わる頃、尾白川を渡る真新しい橋が現れましたが、その下流には古い橋の
橋脚が無残に横たわっていました。いまは穏やかな尾白川ですが、一度暴れると
橋をも流す激流となるのでしょう。舗装路になると再び登り、国見坂と呼ばれる坂を登れば
台ヶ原の台地に到着です。


坂の頂には庚申塚がありました。庚申塚は庚申講を三年、18回行ったあと
建てるといわれています。庚申講は60日に一回やってくる庚申の日に、徹夜で
宴会を行い眠らなかった行事で、眠ると頭と腹と足の中にいる
三尸という虫が
天の神様のところへ行って告げ口を言い、その罪状によっては命が縮まると
いわれていました。それで眠らず過ごしたわけですが、私には60日に一回
宴会ができる良いチャンスだったのではないかと思えて仕方ありません。
このはらぢみちは、国道を突っ切って台ヶ原宿へと入ってゆきますが、その国道
の入口には逆から来た人のための
古道入口とかかれた石碑があります。
また、ここは
道祖神跡で江戸時代には、ここで虎頭の舞が奉納されたとあります。


 
 台ヶ原宿の歴史と由来

  台ヶ原宿の起源は明らかでありませんが、甲斐国志に「甲州道中の宿場なり、古道は
 辺見筋の渋沢より此に次ぐ・・・」とあり、台ヶ原は甲州街道の設定以前から交通集落と
 しての機能を果たしていたと考えられます。
  元和四年(1618年)に甲州街道に宿請が申し渡されたので、この頃台ヶ原宿も宿場とし
 て整備拡充されていったと考えるのが一般的です。
  台ヶ原宿は江戸への里程四十三里十町余、韮崎宿へ四里、隣の教来石宿へ一里十四
 町、江戸より数えて四十番目、宿内の町並みは東西九町半の位置になり、天保十四年の  
 宿村大概帳によれば、人口六百七十人、家数百五十三(加宿共)とされています。

                             白州町 台ヶ原宿景観形成推進委員会



国道を
台ヶ原下交差点で渡ると、唯一江戸時代の原型を留める台ヶ原宿が始まります。
釜無川と尾白川に挟まれた
本当の台地の上に形成された宿場は、国道の建設から免れ
静かに時の流れを重ねてきました。わくわくするような気持ちで宿場内へと入ります。
最初に現れたのが
道祖神、番号は17とあります。宿場の中心になる案内板に対応した
番号がふられているというわけで、絵地図を見ながら宿場を楽しめる仕掛けになっています。


なまこ壁の信濃屋酒店を過ぎると、国道台ヶ原中交差点に通じる太い道が左へ通じます。
そこで少し左に入ったところに案内板はありました。マウスをクリックすると大きな絵地図が
みられます。その交差点向かいには
秋葉大権現常夜石灯篭があり、そこが本陣跡です。
少し進んだ左側には郷倉跡、高札場跡の説明版があります。


台ヶ原宿で一番の楽しみはこの
七賢という酒蔵です。ここではゆっくり寄り道します。


七賢とは、三国志の時代末期、中国河内郡山陽の竹林で、酒を酌み交わしながら清談を行った、
嵆康(けいこう)、阮籍(げんせき)、阮咸(げんかん)、向秀(しょうしゅう)、劉伶(りゅうれい)、
山濤(さんとう)、王戎(おうじゅう)の七人で、天保六年この酒蔵の母屋を新築の折、高遠城主
内藤駿河の守から竹林の七賢人の欄間をいただき、その後七賢の銘柄を冠しました。


ここ七賢では、試飲が可能で、七賢人全てをいただき、特に気に入った
劉伶を購入しました。
きれいなお姉さんに注いでもらったお酒は、どれもとても美味です。


七賢の向かいは、金精軒という和菓子屋です。ここは有名は信玄餅の元祖
作る店で、極上蕨餅も捨てがたいものがありました。店内には勅使川原郁恵さんのサインも。


登記所跡

この登記所は明治二十四年二月甲府区裁判所
若神子出張所の管轄のうち、菅原村外十ヶ村を
分離し、管轄するために開庁された。
はじめは、龍福寺の庫裡を借りて庁舎としたが
その後、民間の個人宅を借りて業務を行ってきた。
しかし、大正元年十二月に庁舎が新築落成し、
以来業務を行ってきた。その後の機構改革に
より大正十年七月より現在の白州町と武川村を
その管轄としたが、昭和五十年三月韮崎出張所に
統合され廃所になった。     台ヶ原区

日本の道100選は、1986年、道の日制定を
記念して旧建設省が日本の特徴ある優れた
道104を選定したもので、東海道では瀬田の
大橋、中山道は安中の杉並木などありました。
甲州街道ではここ台ヶ原の宿場町が選ばれて
います。奈良井宿もかなり良いと思うのですが
台ヶ原宿も、その素晴らしさは町並みだけでは
なく、甲斐駒ヶ岳などの風景にあります。
宿場の外れにあるこの碑、ちょっと見落とし
そうな場所に在るので気をつけてください。

やがて、宿場外れに差し掛かり、右側には
荒尾神社と田中神社、そこにはお茶壺道中
由来があります。将軍家光の時代、京都宇治からの新茶は、中山道から下諏訪にいたり、
甲州道中に入ってこの田中神社(写真左)で1泊し、江戸に向かったそうです。この道中の
格式は高く、御三家の大名でさえ道を譲るほどと伝えられています。その先には
修験智拳寺跡(写真中)があります。修験道は山岳宗教と仏教が習合された信仰的宗教で
明治の神仏分離令により廃寺となりましたが、今でも甲斐駒ケ岳で山伏たちが修行している
ところから、この地方でも盛んだったことが伺えます。
一里塚跡(写真右)で、宿場は終わります。


甲州道中で、初めての1泊は、この台ヶ原宿の梅屋旅館です。この日は町内の運動会があり、
宿泊に応じてくれたのはこの宿だけでした。しかし、こじんまりした中にも大きな部屋を
いただきゆっくり足を伸ばすことができました。特に食事はなかなかのもので、土地の
名産を集めた心憎い献立です。驚いたのはご飯、こんなに
美味しいご飯は日本中を旅した
私ですが、初めてでした。聞くところによると武川米とのこと、これを水道から出る
南アルプスの天然水で焚くと、こんなに美味しいご飯ができるそうです、早速、帰宅後
ネットで注文して、ペットボトルの南アルプスの天然水で炊いてみました。
うまい!!!