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上の地図を見ても分かるように、釜無川をはさんで東と西では地形が大きく変わっています。
西は等高線が均等に広がった山岳地形、しかし東は河岸段丘のように七里岩が続き、
その上はなだらかな台地になっています。この七里岩は韮崎を先端に、蔦木付近まで28kmも
続いており、台地の更に東側の塩川沿いにも断崖が見られます。この七里岩を形成しているのは
韮崎岩屑流といって、今から20万年ほど前に富士山ほどの高さがあった八ヶ岳が噴火し
その土石流が韮崎に向かって下り、甲府盆地を埋め尽くし御坂山塊にぶつかって止まりました。
この岩屑流は厚いところでは200mもあり、韮崎から甲府を埋め尽くしましたが、その後
釜無川や塩川に侵食され、延々と断崖が続く七里岩を形成しました。
祖母石では、旧道の向こう、田んぼの先に、この七里岩をよく観察できます。時間が
あれば近づいてみたいものです。20万年前の自然の力を垣間見た気がする道でした。
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集落に入ったところが下祖母石です。昭和22年には城前寺を仮校舎として
韮崎小学校祖母石分校が開校し、賑わいを見せた集落でしたが、今は歩く人も無く
ひっそりとした佇まい。右の路傍には3条の用水が流れていました。それぞれ
流れるスピードが違い、各駅・急行・特急といった用水路には驚きました。
もっと凄いのは、この用水路の上にぶらさげられたプロパンボンベ。
こういう置き方をみたのは、長いこと街道を歩いてきましたが初めてです。
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下今井、塩崎に続き再び蔵のある街道となりました。祖母石の集落は1800mほど
続きますが、ところどころにこのような蔵屋敷があり、静かで風情がある通りです。
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この祖母石では珍しい藁葺きの門があります。これは三十代も続く宮方家で、
幾たびの水難にも負けず、先祖代々この地を守ってきた家。豪雪に耐え切れず
集落ごと温暖の地に移った我が祖先が少しだけ恥ずかしく思う瞬間です。
まもなく、七里岩をバックに南無阿弥陀仏の石碑が、田んぼの袂に忽然と現れます。
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395.0mの水準点は小さな蔵の前にありました。その先に「和食処佳幸」の看板が、
この街道から、右七里岩へ向かって300m行くとこの店はあるようですが、
ここにこんな店があることをリサーチできなかった我々は、コンビに弁当を購入して
しまったため、お昼時と言う良い時間なのですが、無念の通過となりました。
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上祖母石へ入り更に進むと、とうとう国道20号線と合流して、その先は釜無川と
なってしまう。昔はここで釜無川を渡り対岸の折居へ街道は向かったのであろうが
現在の街道はここから渡ることは出来ません。その場所には5基の神々が祀られて
いました。九頭竜大神を筆頭に石碑が並びます。九頭竜と言えば福井の九頭竜川が
有名ですが、全国にあるクズ神信仰から来たものと言えます。
クズとは、国津・国巣・来栖・栗栖・楠・久須などと表現される国から認められなかった
流民たちのことで、特に水を支配できたことから、土民たちに崇められた感があり
この上祖母石においても、幾度とない水害から生活を守るために九頭竜信仰が
始まったものと推測されます。ここのクズ神は、武田晴信なのかもしれません。
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冒頭で驚いた3条の用水路の分水井がここにありました。1条は雨水を排水するためのもので
残りの2条がここから分水した用水と言うことになります。この先、徳島堰をご紹介しますが
この辺りの治水には感心させられるものがありました。
やがて道は国道と合流しますが、そのまま進まず国道をUターンしましょう。
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国道を戻ること430m、信号「桐沢橋東詰」で右折し釜無川を渡ります。
正面の深い谷が桐沢で、急峻な山肌が沢に迫っていますが、よく見るとその頂は
平坦になっています。そこにはいくつかの池塘があり、その向こうには鳳凰三山へ
続く青木鉱泉があります。橋の長さは290m、左手に歩いてきた韮崎からの
道を望み、幅50mほどの流れの中には大きな石が多く見られることから
この川の暴れん坊ぶりを垣間見ることが出来ます。
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橋を渡りきると正面に青木鉱泉の案内板があり、これを見ながら、右へと進みます。
左に大きな地図が見えてきました。また正面にはあの音の正体が!
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大きな地図は清哲町の案内図でした。どうやら今いる場所が青木で、甲州街道は
折居へと向かっていることが良く分かりました。街道は県立韮崎射撃場の門に
突き当たり、左へと折れます。「あの音」とは、この射撃場のショットガンの音だったのです。
上祖母石に入ってから、ず〜っと七里岩からパ〜ンパ〜ンという音がし続けていました。
国道に出て、橋を渡るにつれ音は小さくなっていったのですが、その発生源は
この射撃場でした。もちろん中へ入ることは出来ませんが、街道からも、発射された
クレーに向かって散弾銃を打つ人が良く見えます。驚いたことに銃は七里岩へ向かって
撃っているではありませんか。釜無川へ向かって撃っていますが対岸の一番近い
民家までの距離は338m。散弾銃の射程距離を知らない私は恐怖を感じました。
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甲州街道は、殆ど国道20号を歩くものと思っていた筆者にとって、これからの道は
想定外でした。新しい道路の下をくぐり、左上に原山神社を見ると道は二手に分かれます。
我々が向かうのは円野・折居方面。路傍の犬?の彫刻に見送られ右へと進みます。
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すぐ渡るのが一級河川の高川南沢川。道は緩い登りになりY字路となります。
ここで真っ直ぐ右へ行ってもいいのですが、旧道にこだわる我々は左の折居集落
へと入ってゆきます。傍らには顔も判別出来ないほど苔むした道祖神が出迎えます。
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折居の集落は520mほどの小さな集落ですが、蔵と松、風情のある集落です。
抜けると先ほど右へと去った道と合流し田園風景の中へと進みます。
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田んぼの向こうには釜無川と国道20号が走っているのですが、この風景からは
想像することが出来ません。七里岩を望むこの風景はきっと江戸時代と変わらないでしょう。
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合流してから130m、街道は再びY字路に襲われます。旧街道に慣れた人なら
きっと右の道を選ぶでしょう。しかし右は清哲団地のため新たに作られた道と踏んで
我々は真っ直ぐ左の道を選択しました。土地の人がこのサイトをご覧になっていたら
どちらが旧甲州道中がご教授願えませんでしょうか。
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時刻は正午を8分ほど過ぎたところ、水難供養塔裏のセブンイレブンでお弁当を
購入した我々には、この田園風景の中での昼食が至福のときと言えます。
遠くに見える家並みが街道、そこから130mほど山側へ登り街道を見下ろす
田んぼの畦が、絶好のポジション。ビール片手にいただきます。
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30分程休憩し街道に戻ると、緩い坂を登り下ったところに唐沢川があります。
この先は入戸野地区、ここで我々は思いもかけない集団と遭遇することになります。
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