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神奈川県に住む我々は、甲州道中旅の基点として中央本線の高尾駅を選んでいます。
南武線経由で立川から来る人、横浜線経由で八王子から来る人、京王線で来る人と
バラバラにやってきた人が、甲府方面に向かうには高尾始発の各駅停車の電車が便利なんです。
8時01分発普通列車甲府行に乗り、藤野8時21分、鳥沢8時38分、初狩8時52分、笹子8時58分
勝沼ぶどう郷9時10分、石和温泉9時33分、そして甲府9時46分。
高尾駅には7時30分に到着し、駅を出たところにあるマクドナルドで朝食と言うのが定番です。
この列車に乗るのは最後の日となった今日は少し寂しいものがありました。甲府で普通列車
長野行きに乗り換え韮崎到着は10時01分です。
また今回は、初めて1泊しての2日間行程。一番心配した天気も、今日は雨上がりの曇天
でしたが、快方に向かい、明日は暑いくらいの陽気となることなど分からない我々は
時折落ちてくる雨に少々おびえながらの出発となりました。
韮崎駅から本日の出発地点「本町交差点」までは500m。雨にぬれた歩道を出発です。
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旅のはじめは、本町交差点から50mで右に入り窟観音のある雲岸寺へ寄ってみましょう。
須玉に海岸寺と言う寺か標高1000mの場所に在り、昔二つのお寺の命名の書を京都から
持ってきた僧が、間違えて渡してしまったと言う伝説があります。釜無川の畔にあるのが
海岸寺、1000mの雲の上にあるのが雲岸寺がというのが本当だと言うお話です。
目新しい本堂を左に見ながら奥へ進むと、崖にへばりつくように観音堂が見えます。
それでは、急な階段を登って観音堂へと行って見ましょう。
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この感じ、どこかで見たことありませんか? 清水寺・・・? そうではなく
鳥取県三朝町の国宝三徳山投入堂に少し似ているような気がします。
投入堂は、麓からかなり登った奥のまた奥にあり、中に入ることはできませんが
この観音堂は、入口の扉を自分で開けて中に入ることができます。
お堂の上部には丈夫な屋根があり、雨風からお堂を守っていますが、こんな
雨が降った後には、上空から水滴がボタボタと落ちて、ぬれるの覚悟で入ります。
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崖に掘られた穴の中に、それぞれの仏様が安置され、それを崖に貼り付けたお堂が
覆っているという感じです。まずはじめに小さな千体仏が並んだ穴があります。続いて
ご本尊は真ん中の写真窟観音本尊聖観世音菩薩。 石仏なのですが冠だけが金属のようです。
右側は828年に弘法大師が作ったと言われる弘法大師御尊像。上を向いてちょっと笑った感じです。
お賽銭を投げ、旅の達人弘法大師に、旅の無事を祈願してお堂を後にしました。
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お堂のとなりには、なにやら奥へと続く洞穴が口を開けていたので、思わず中へ
進んでみました。天井は低く、上り坂になりますが50mほど進むと崖の反対側へ出ます。
中には無数の石仏が並び、ちょっと良い雰囲気です。
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中を抜けると右の写真の韮崎駅側の入口となりました。となりは韮崎市民館で、
そのまま降りると駅に戻ってしまうので、洞窟を再び戻ります。
観音堂へ戻ると、市内を見下ろすように雄大な景色が広がりました。
遠くの山々は雨にかすんでいましたが、晴れていればアルプスが綺麗だったでしょう。
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本堂へ戻れば、二匹のネコと二人の少女が遊んでいます。来た道を街道へと戻り、
右へ曲がって再び甲州道中を進みます。100mほど進むと左側の樹木の中に
小林一三翁生家跡の碑がひっそりとありました。この地の商家で生まれた一三(いちぞう)は
生まれてすぐに母を亡くし、父とも生き別れ、おじ夫婦に育てられました。その後上京し
慶応大学を卒業、三井銀行に入行。縁あって大阪へ行き、箕面有馬電気鉄道を買収し
専務となる。その後は華々しく、電車+分譲地という、今では当たり前になったビジネス
モデルを作り、阪急電車と社名を変えてからの活躍は素晴らしいものがありました。
阪急ブレーブス、宝塚歌劇団などの創始者としても有名です。
この街道の小さな場所から、そんな大人物が育ったと思うと不思議な気がします。
生家の前には豊嶋屋酒店があり、福徳長という清酒の菰樽があります。
このお酒、灘で生まれ、久留米で育ち、そして韮崎に工場を持つ面白い酒です。
辛口で飲み応えのある酒とのこと、次の機会には是非・・・。
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市役所東交差点には、崖に寄り添うように大きなビルが建っています。
ここにもホテルルートインがありました。駅にも近いし街道沿いなので、街道ウォーカー
には良い宿でしょう。その先武田橋への交差点にあるのは白髭神社。
ここには漂泊の俳人金井志雪の句碑がありました。
暮おしむ 枝から明ける 桜かな
この句は白髭神社境内にある花の大きさでは日本一といわれる桜を詠んだものです。
これは是非、桜の季節に訪れて鑑賞したいものです。
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高さ40mはあろうか、恐ろしいほどの崖が街道に近づきます。
下の家、怖くないのかなぁとみんな。しかしこの上には富士見が丘という住宅地が・・・。
やがて村松石材店の観音様を右に見て、右へ登って行く青坂が見えてきました。
この道は中央本線に沿って小淵沢を抜け原村方面へと伸びている県道17号です。
甲州街道は、この坂を登らず左へと新しい道を進んでゆきます。
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程なく出た道は国道20号と国道141号の交差点一ツ谷です。
交差点にはラーメン珍珍珍もあり昼食に良いでしょう。この先は
山すその道となるので、食堂など無いので腹ごしらえしましょう。
国道141号は、ここから青坂の下を、トンネルでくぐり、
清里・野辺山を越え上田市まで伸びています。現在はここが
基点ですが、本来は韮崎市内の本町が基点でした。本町から駅まで
の道は言わば旧道となってしまったのです。甲州街道も元は
私たちが歩いてきた道ですが、現在は国道20号になり、
中央自動車道になり、流通はどんどん新たな街道へ移ってしまいます。
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一ッ谷から350m行くと左側が開け、甘利山方面が良く見えます。
1軒屋の向こうには幅300mの釜無川が横たわっていますが、
ここからは見ることができません。その向こうに広がる集落は
武田信義館跡のある神山町武田です。
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国道の反対側には十六石の史跡があります。信玄がまだ若かった頃の治水跡で
現在の韮崎を作った石といっても過言ではありません。
十六石
武田信玄公が治水に力を入れたのは有名だが、
まだ晴信といわれた天文十二・三年頃年々荒れ
釜無川の水害から河原部村(現韮崎町)を守る
ため、今の一ッ谷に治水工事を行った。
その堤防の根固めに並べ据えた巨大な石が
十六石で、その後徳川時代になって今の上宿
から下宿まで人家が次第に集まり韮崎は宿場町
として栄えるようになったといわれている。
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傍らには大きな石が鎮座しておりましたが、大きさは人の半分程なので
これが十六石のひとつとは思えません。この大きさですと水を堰き止める
など無理で、逆に釜無川がら流れてきた石ではないかと推測しました。
それでは、本物の十六石は何処へ・・・?
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農協に山梨トヨペット、中華風居酒屋の吉祥楼やトヨタカローラ山梨にネッツトヨタ甲斐などが
立ち並ぶ国道20号を行くと、やがて右側に滝田建材韮崎生コン工場が現れます。
この構内へ少し入って左側には3基の石祠がありました。かなり古そうな祠と石門が
歴史を感じさせますが、説明板も無く何の祠か不明なのが残念です。
おそらく、興味深いいわれがあるのではないかと想像するのみです。
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滝田建材生コン工場の先で道はY字路となり、右へと旧道が分かれてゆきます。
その間にはJOMOのガソリンスタンドがあり、頂点のところに石碑がありました。
石碑には水難供養塔とありますが、これにも説明板がないので、誰がいつ、どうして
水難に遭ったのか分かりませんでした。先ほどの石祠とあわせ興味深いところです。
時間があれば、地元の家に押しかけて聞き出してみたいものなのですが、今日は歩を進めます。
ガソリンスタンドの向こう側には、この先10kmは出現しないコンビニ、セブンイレブンが
ありますので、途中の小径などでお弁当を広げたい方は、是非ここで買い物をお勧めします。
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