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中央自動車道を東京から長野へ向かって走行する諸氏は多い、
双葉サービスエリアを過ぎ上空に架かる橋を次々と眺めていると
妙な名前の橋があることにお気づきであろうか。その橋の名前は
「学校橋」と「スポーツ橋」この地図を作成していて気がついた。
スポーツ公園への道が中央自動車道を渡っているからスポーツ橋
なんだ。では学校橋は?。付近にそれらしい学校も無くまた謎は深まった。

  泣石

 下今井字鳴石のJR中央線と県道との間にあり、 
 現在地より約100m南東にあった。高さ約3.8m、
 幅約2.7m、奥行き約3.7mで中央部から水が流れ
 出ていたが、鉄道の開通により水脈が断たれて
 しまった。
 天正10年(1582)3月2日、高遠城が落城すると
 武田勝頼一行は完成したばかりの新府韮崎城に
 自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ちのびて行った。
 その途中、勝頼夫人はこの地で燃える新府韮崎
 城を振り返り涙を流したという言い伝えがある。
                甲斐市教育委員会

人は石垣、人は城といって国を固めた信玄だったが、勝頼には国人衆の心を
つかむことはできなかった。新府から天目山へ、この道をどんな気持ちで
落ちていったのか、この
泣石の伝説により垣間見たような気がしました。


泣石から小川を渡って190m。JR中央本線塩崎駅の入口です。
遥か遠くに見えていた甲斐駒ケ岳もだんだん近づいてきます。


駅を過ぎ、小川を渡って程なく進むと、右側に用水路が合流してきます。
その場所に立つのが、
三界萬霊塔その先街道左側には蔵屋敷が続きます。
この辺りの蔵は、まるで防火壁のように屋敷を取り囲み、街道からは中にある
大きな屋敷を見ることができません。今までに無い、面白い造りです。


用水路が左へ去ってゆくと、
双葉西小学校バス停前にも立派な蔵が、
その後ろは校庭になっており、写生する子供たちが、強烈な日差しを避け
朝礼台の下にもぐりこむ姿は、昔も今も変わらないんだと感心しました。
おじさんたちは、この日差しの中頑張って歩いています。


これが船形神社の石鳥居です。学校から150m進んだ右側に神社へ向かう
参道がありその入り口にこの鳥居はあります。手前に大きな木がありちょっと
見落としそうですが、隣のJA梨北塩崎ガソリンスタンドが目印です。
この鳥居はどっしりとした横幅の割りに高さがなく、妙に小さな造りとなっています。
造られた年代は室町時代というから驚きです。まだ足利義満が生きていた時代です。
我々も頭をぶつけないようにしてくぐってみました。やはり変です。


左にセブンイレブンが出てきたら、その先で六反川を渡りますがその手前、
双葉電気の手前を右に入ると、六反川に架かるピンクの橋があり、そこに
芭蕉の句碑がありました。

ひ る 見 れ は 首 す し 赤 き 螢 か な

芭蕉の時代、この六反川には蛍がたくさんいることを聞いて、この地を
訪れた時間では、光る蛍を見ることができなかった芭蕉の残念な顔が浮かぶ句です。


六反川から185m、
田畑の交差点で旧街道は右へと入ります。
間違って真っ直ぐ進んでも、同じ塩川橋ですが、ここは旧道を
金剛地の集落へ向かいましょう。やがてY字路に突き当たります。
その真ん中には2基の
二十三夜塔が、右へ進めばJR中央本線の線路。
甲州街道は左へと曲がってゆきます。


金剛地では旧街道らしい家並みが400mほど続きます。横に広がるようになった
鳳凰三山をバックに、美しい蔵や、土塀が旅人の目を楽しませます。
急な坂を短く下ると、先ほど田畑で別れた県道に合流します。


空が大きくなると塩川を渡る
塩川橋にでます。この川の上流には、観光客で賑わう
清里・野辺山や、山好きな人が喜ぶ瑞牆山があります。また、今日のゴール韮崎まで
あと2kmです。ここからは単調な車道歩きですが、頑張りましょう。


ここ塩川橋で振り返れば、手前の山から大きく出た
富士山が綺麗に見えます。
川の上流側にはJR中央本線の鉄橋が架かり、ちょうど列車がやってきました。


橋の上から下を覗くと、古い塩川橋の橋脚が残っていました。
この辺りの流れは穏やかで、鴨の親子も泳ぎの練習です、


橋を渡れば韮崎市、甲州街道は塩川橋西詰の交差点で右折し線路沿いの道を行きます。
ここから韮崎駅のある中心部へは1.2kmの長い直線道路が待ってます。
ちょうど真ん中くらいのところにデイリーヤマザキ韮崎本町店がありますので、
電車を眺めながら一休みすると良いでしょう。


韮崎市街に入り、下宿の交差点を過ぎると、電信柱を廃した美しい町並みになります。
正面の丘には
平和観音が街を見下ろしています。時刻は15時を少し回ったというのに
人も車もなく、静かさが妙に気になりました。今の地方都市はどこも同じようです。
土地の安い郊外に大型の複合ショッピングセンターが出現し、車が生活の中心となった
庶民は、みなそちらへ流れ、旧市街は活気がなくなりつつあります。
旅人には歩きやすき良いのですが、寂しいものもあります。


道端の道標には
鰍沢横丁とありました。この下宿はみのぶ道との追分となっており
釜無川の鰍沢河岸への通行で賑わったところでした。駄菓子屋や馬方茶屋などが
軒を連ねていましたが、明治36年の鉄道開通によりその役目は終わりました。
隣の釣具店にはつり情報が掲載されています。
アマゴやイワナが4匹〜14匹も
釣れているようで、渓流釣りが好きなおじさんたちは、街道歩きに竿持参になりそうです。


下宿から本町交差点まで600m、その途中には
韮崎宿本陣跡もありました。
今日のゴールは
本町交差点で、そこを右に入ると490mで韮崎駅です。
勅使川原さんの路上にある馬繋ぎ石を取材されていましたが、
疲れた我々の目には止まりませんでした。皆さんは是非探してください。