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いよいよ甲府市街が近づき、頭上に身延線が見えてくると善光寺入口です。 甲州街道からは一直線に760m。往復で1.5kmにもなるので、寄り道は諦めました。 この善光寺は武田信玄が川中島の戦いの折、信濃の善光寺が消失することを恐れ この地に移したと言われ、信濃と区別し甲斐善光寺と呼ばれます。そういえば 東海道を歩くと石部に新善光寺というのもありましたが、飯田市の元善光寺が その起源といわれ時代は推古天皇の西暦602年にさかのぼります。 甲州街道はこの善光寺入口の先で最初の枡形になり、身延線をくぐって左、40m程で こんどは右に直角に折れて進みます。時間の許す方は760mに挑戦してください。 |
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勅使川原郁恵さんも感心していた古い建物が現れると、国道は城東通りと名を替え 次の枡形へ向かって940mの直線となります。途中左側には甲府市立図書館の 立派な建物がチラッと見えます。 |
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次の枡形はガソリンスタンドのENEOS城東店に突き当たる格好で左折します。 この枡形は先ほどのものより大きく、中145mで、右折となります。途中左には 国産馬刺し有限会社山住畜産があり、思わずお土産に欲しくなりました。 茅野へ着いたら、いただこうと思っていましたが、甲府にもあるとは・・・。 |
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いきなり公衆浴場の写真が出てきました。街道歩きの終わりにはその町の公衆浴場に 入って汗を流し、その町の居酒屋でその日の無事に乾杯するのですが、それはその日の 行程を終了してからのこと。しかしこの甲府には駅周辺で適当な銭湯が見つからず、 本日の行程を終了する前に汗を流すこととなりました。この公衆浴場は竹の湯といって 枡形を抜け270m進んだ中央東交差点を左に60m入ったところにあります。 本日のゴール相生歩道橋まで、まだ1100mありますが、あとはのんびり行きましょう。 |
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NHK街道てくてくの勅使川原郁恵さんが、その日のゴールとしたのは この印傳博物館でした。印傳とは印伝のことでインデンと読み、印度伝来から 印伝となりました。その印伝とは、羊や鹿の皮をなめしたものをいい、 細いシボがたくさん有り、染色した皮に漆で模様を描いたものです。 東大寺の正倉院には印伝の足袋が残されているといいます。 印傳屋上原勇七は、皮や漆の産地だった甲州に独自の手法で印伝を 伝え甲州印伝と呼ばれます。昔は武具の一部として使われましたが 現在では手提げ・バッグ・ポーチなどにその技が活きています。 |
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印傳屋から200m、NTT甲府支店西の交差点で甲州街道は直角に左折し 甲府柳町に入ってゆきます。このNTTの前には新聞発祥之地碑があります。 現存する我が国最古の新聞は山梨日日新聞で、峡中新聞として明治5年7月1日 この地で創刊しました。創刊百周年を記念して昭和47年にこの碑は建てられました。 |
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今では、甲府ワシントンホテルプラザが大きくそびえている柳町ですが、 ここが当時の甲府宿の中心地でした。ホテルの向かい柳町大神宮が ある辺りに、本陣藤井屋庄太郎と脇本陣佐渡屋幸三郎がありましたが、 その場所を特定するような案内板はありませんでした。 |
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東海道・岡崎の二十七曲がりほどではないですが、甲府宿も4回ほど曲がります。 先ほどのNTTが1回目、2回目はアーケードを横切った問屋街入口交差点で これを右折します。左側に大きく冶作鮨のビルが見えたら正解です。 |
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うなぎの若荒井桜町店に突き当たったら、左折しましょう。60mで大通りの 桜町南に出ます。今度は右折で大通りを進みます。左手の立派なビルは甲府商工会議所。 |
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そのまま大通りを350m行くと国道52号と358号の交差点であり、甲府駅への道でもある 相生歩道橋交差点に出ます。ここが本日のゴール。日銀、警察署、市役所、県庁を 右に見ながら1000mでJR甲府駅に着きます。酒折のほうが駅が近くて良いのですが 居酒屋で乾杯し、特急で新宿へ帰る我々には何としても甲府駅へ行きたかったのです。 |
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学生時代、駅の正面にあった信玄像がどうしたことか西側の交番前に移動してました。 しばらくこなかったうちに、甲府駅周辺もずいぶん賑やかになったものです。 |
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