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柏尾を過ぎると、周りに山が無くなり眼下に盆地が広がります。
高尾以来70kmぶりの平地です。ここから笛吹川まで
街道は下り坂になり、ドンドン降りてゆきます。


4ヶ月ぶりに甲州街道へ戻ってきました。おじさんたちには寒さはこたえるので
暖かくなるのを待っていたのです。今日は平成18年度も終わりの3月31日。
平成19年4月23日には、あの
勅使川原さんが日本橋を出発します。
彼女が下諏訪にゴールする日が5月25日。途中で抜かれるのを楽しみに
今年の甲州道中はスタートします。

本日のスタートは上行寺前、高尾8時1分の普通列車で勝沼ぶどう郷へは9時10分到着。
そこからタクシーで街道へ、9時24分に歩き出しました。上行寺には日蓮聖人投宿之地碑が
あり、この地にも日蓮が足を運んだ形跡があります。そもそも上行寺は日蓮宗の寺で
日蓮そのものが法華経に登場する四菩薩の筆頭、
上行菩薩の再来となぞらえたことに
始まります。さて、いつごろ、何の目的でこの地を訪れたのでしょう。

スタートして130mで上町の交差点ですが、その手前勝沼タクシーの向かい右側に
写真左の
勝沼宿脇本陣跡があります。跡と言っても碑だけで面影はありません。
上町の交差点には、古くからの商いを思わせる
三森商店が頑張っていました。


上町交差点を過ぎてすぐ右側にあるのが
勝沼本陣跡になります。
ここには
槍掛けの松があるのでよい目印になりますが、この辺りは、どこの家にも
立派な松があるので槍過ごさぬよう注意してください。


左は勝沼宿仲松屋という江戸時代からの商家です。当時から葡萄で栄え
この辺りには
三階建ての蔵も目立ち、その裕福さが偲ばれます。


 勝沼宿仲松屋

 
勝沼宿仲町の仲松屋住宅は、江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治時代の
 建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築から成る。東屋敷の主屋は北西隅に帳場
 を置く田の字型を基本とした、板葺、二階建建築で、通り土間を挟み明治後期に一階を
 座敷として建てられて脇蔵(通り蔵)、坪庭、風呂、厠、味噌蔵から構成されている。西
 屋敷は帳場と居間を別棟とした主屋と坪庭、会所、蔵屋敷などから構成されている。
 東西両屋敷群は江戸時代後期から、明治時代の勝沼宿の建築を知る上で貴重である。
                                      勝沼町 教育委員会





   旧田中銀行社屋
                                     国登録有形文化財

  藤村式建築の流れをくむ建物。明治三〇年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられた
 伝承をもつ入母屋造り、瓦葺、二階屋の建物で、大正九年より昭和七年ごろまで山梨
 田中銀行の社屋として利用された。
  外壁の砂漆喰を用いた石積み意匠、玄関の柱や菱組天井、二階のベランダ、引き上げ窓、
 彩色木目扉、階段などに凝洋風建築の名残があります。また、建物の背後には銀行時代に
 建てられた、扉に「山梨田中銀行」の名が鮮やかに残るレンガ外装の土蔵があります。

                                   勝沼町 教育委員会



まだ、歩きだして5分しか経っていないのに素晴らしい建物があり驚きました。
早速、中へお邪魔します。ここには町から委託を受けているボランティアの案内
おじさんがいて、詳しい説明を聞くことができます。1階の床には銀行当時の
カウンター跡が残り、手すりや柱に時代を感じます。


驚いたのは、この
蓄音機。もちろん電気など使わずゼンマイを回して音を出すのですが
その速度とボリュームは新品と見間違うほどの迫力です。下のキャビネットには数十枚に
およぶレコード盤が収められ、懐かしすぎて分からない曲がたくさんありました。
昭和20年代に青春を送られた諸氏には最高の思い出となること請け合いです。
隣には、銀行時代のどっしりとした机がありました。
タイガー計算機といっても
若い方には分かりませんが、そろばんと電卓の間を埋める貴重な機械式計算機が
黒光りして、その机の上に鎮座していました。


備品のいたるところに現代との違いを感じます。桐の箪笥には
葵の御紋
トトロに出てきた
電話機、扉の蝶番も凝っていて蝶が羽を広げたようなデザインです。


二階の
ベランダに通ずる扉も開けていただき、眺望を楽しめました。
昔は、街道の向こうに人家は無く延々と広がるブドウ畑を見下ろせたそうです。


第二次世界大戦中には、
北白川宮が疎開し、この建物には関係者の水戸部孚が住まいとして
使用していました。二階にはその名残の部屋があり、調度品も疎開当時のままに
保存されています。建物の裏にはレンガ造りの蔵があり、扉には
株式会社山梨田中銀行
文字が鮮やかに認められます。当時は唯一の株式会社だったそうです。


田中銀行から175m、道は驚くほど急な下りとなります。ここは勝沼で最も急な坂、
ようあん坂です。下ってゆくと勝沼小学校入口になり、明治天皇勝沼行在所跡の石柱が立ち
その下には
勝沼学校の碑がありました。勝沼学校は明治六年、南部下山大工の松木輝殷が
建てた藤村式学校建築で、明治十三年六月の明治天皇御巡幸の折に行在所となりました。
その後、明治村にある東山梨郡役所などの庁舎建築に大きな影響を与えました。


日川に沿って、笛吹川に向かい街道はドンドン下ってゆきます。
途中の民家の軒下に瓢箪を見つけました。


勝沼には、およそ
130軒のぶどう園があり、そのひとつが街道沿いの百果園です。
ここは祖父四代100年続くぶどう園で、二十数種類の品種を手がけています。
残念ながらこの季節のぶどう棚は空がよく見える状態。ハイシーズンに来ましょう。


やがて街道は
等々力の交差点。ここで国道411号と合流します。国道を右へ
進めば、塩山を経由し柳沢峠越え奥多摩へ、雁坂トンネルを抜け奥秩父へと続きます。
もちろん甲州道中は真っ直ぐ進みましょう。町のいたるところには勝沼町の看板が、
クラシカルな版画風デザインで葡萄作りを伝えています。
実はこの二人、明治時代にフランスへ渡り修業の後、この地にワイン造りを伝えた
高野正誠と
土屋竜憲です。右側の土屋のワイナリーはまるき葡萄酒として
現代へもその技を伝えていました。街道からは離れていますが余裕のある方は是非!
まるき葡萄酒訪問ページへ


等々力の交差点から250m、ローソンの向かいにひっそりと文政の常夜灯があります。
その手前に妙な石の碑があり、近所の奥方に問いたところ、これがお地蔵様なのだそうです。
また北に伸びる萬福寺参道の入口には
杉御坊の大きな石碑があります。これは親鸞聖人が
逗留したときに箸を地面に刺して念仏を唱えたところ杉の大木になったことから命名去れました。

親鸞聖人は浄土真宗の開祖で法然に学んだ。その後越後へ流され、許された後関東を中心に
布教を行い、二十四輩と呼ばれる高弟に布教を托したのち京へ戻った。その高弟の一人
第十八番入信は八田にいたと考えられるので、この地を訪れても不思議は無い。



今日の楽しみの一つはこの
白百合醸造での試飲です。工場見学もそこそこに
試飲会場へ急いだ、おじさんたちです。


ワイナリーの入口にはワインを造るときに使う道具の数々があります。
また、左側にはブリキでできたロボットやトンボが客を迎えてくれました。


このグラスを使って5種類のワインを試飲することができます。


季節限定
さくらのワインと、辛口の赤セラーマスターベリーA、そして桃のワイン
マイルドピーチをいただきました。おつまみも、らっきょうのワイン漬けやにんにくの
ワイン漬けをいただき、とてもご機嫌になったおじさんたちです。
もちろん帰りには、さくらのワインをママのために買った事は言うまでもありません。


試飲会場の奥にはトンネルカーヴを思わせるワイン蔵があり、
ここで腰を落ち着けて飲んだら最高の気分と言えるでしょう。
しかし、旅の途中のおじさんたちには、ちょっと時間が足りません。