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県道に出て、再び舗装路を登って行くと、遥か上空にある
送電線を二回くぐります。
この送電鉄塔は高さ110mはあり、8導体なので100万ボルトの幹線です。
細い電線のようですが、1本の電線は直径が34cmもあって、鋼線7本、アルミ線54本を
束ね、1m当たりの重さが2.32kgあります。それが8本集まって、この写真では1本に
見えます。それが6本あるので、電線の本数は48本になります。
この上空は800mの延長があるので、電線の総重量は2.32kg×800m×48本=
89tになります。
こんな山の中に、そんな重いものをどうやって作るのだろうと感心してしまいました。
地図でこの送電線を追いかけてみたら、信州峠や川上村を越え佐久の方まで延びていました。
日本の経済力はたいしたものだと、山の中で納得させられてしまいました。


気をとりなし、トンネルまで1kmの看板を過ぎたところで、矢立の杉から分岐した
旧道の出口を発見。沢伝いに進む道は、細くて急な尾根を登り、ここへ降りてきます。
その尾根を少し戻ってみたら、しっかりした道が続いていたので、矢立の杉から
案内板どおりに旧道を進むことをお勧めいたします。


やっと到着した笹子隧道は、国道20号と分かれたコンビニから1時間20分。
案内板にもあるような洋風建築的な柱が印象的です。トンネルをくぐって行けば
3分足らずの行程を、旧道を登って越えると30分ほどかかりました。
右へ赤い矢印に沿って旧峠へ登って行きましょう。

 
 笹子隧道について

  四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。  
 その甲州街道にあって一番の難所といわれたのが笹子峠です。
  この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から十三年まで国庫補助を入れて
 二八万六千七百円の工費を投入し、昭和十三年三月に完成しました。抗門の左右に
 ある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的であります。
  昭和三三年、新笹子トンネルが開通するまでこの隧道は、山梨、遠くは長野辺りから....
 東京までの幹線道路として甲州街道の交通を支えていました。南大菩薩嶺を越える
 大月市笹子町追分(旧笹子村)より大和村日影(旧日影村)までの笹子峠越えは、
 距離十数キロメートル、幅員が狭くつづら折りカーブも大変多いためまさしく難所で、
 遥か東の東京はまだまだ遠い都だったでしょう。
  昭和前期の大役を終え静寂の中にあるこの隧道は,平成十一年、登録有形文化財
 に指定されました。
                                        大月土木事務所
  


なるほどトンネルの奥に出口が見えます。まっすぐ行きたいという誘惑に
負けず、右へ登ります。右に
笹子雁が腹摺山への道標、右に峠周辺の案内図を
見て間を登り始めます。
案内図は赤丸のクリックすると拡大します。


登ること4分ほどで狭い笹子峠に到着。両側がかなり切り立っていること、反対側からの
地形を考慮すると、江戸時代にはもっと上空に街道はあったように思えます。
後期に入って、開削し通りやすく改良したのでしょう。
笹子峠は、標高1096m、江戸と下諏訪のほぼ中間です。昭和13年に笹子隧道が完成するまでは
この狭い峠を多くの人が通って行きました。その笹子隧道も昭和33年に開通した新笹子トンネルに
人々の足をバトンタッチ。今はハイカーや街道ウォーカーだけが往時をしのびます。


峠は交差点になっていて、右へ登ると雁ヶ腹摺山へ1時間10分。左へ登るとカヤノキビラノ頭へ
1時間30分。真っ直ぐ下ると大和村日影
かいやまと駅2時間30分。手前が笹子駅2時間。
となっています。私たちも2時間半後にかいやまと駅の蕎麦屋にいましたので、
このコースタイムはかなり正確のようです。
峠を少し下った場所には、
天神宮がありました。昔ここを通った旅人たちが旅の安全を
祈願した場所です。私たちも、無事諏訪へ着けることを祈らずにはいられません。


峠道を下って行くと、トンネルの出口よりかなり甲府よりの県道へ出ます。
旧甲州街道は、
県道を横断し、そのままガードレールの間から、再び山道に
入るのが正解です。右の写真は振り返って降りてきた小径を写したもの、
甲府から登ってきた人は、ここから峠へ向かいましょう。


県道へ出たらちょっと寄り道して県道を100mほど下ってみましょう。東屋のある
展望スペースがあり、ごらんのように八ヶ岳連峰の赤岳、横岳が良く見えます。


再び、峠からの下降点に戻り、
ガードレールの切れ間から甲州街道を下ります。
ここを行けば県道で行くより500m短くなり、100mで次の県道出ます。


下に県道が見えてきました。県道へ出る小径もありますが、ここはガードレールの
外側に沿って真っ直ぐ進みましょう。剣道から見やすい位置に
甘酒茶屋跡の標柱が
立っていますが、甲州街道はその後ろを進むので注意してください。
次に県道と出会うのは、このページの最後、清水橋になります。


緑色の「
甲州街道峠道」という標識を目標に、どんどん下って行きます。
ここで、小径は林道に出ました。この林道は、県道から派生し山奥へ入るもので
県道と勘違いしてしまう恐れがあるので注意しましょう。ここでは
林道を左に
進みます。少し行くと右側に壊れかけた道標「・・・道峠道」があり、ここを
右の谷に向かって下ります。かなり道が細くなりますが、ご心配なく。


植林された若い杉林の中の平らな道をいくつかの小さな沢を渡りながら進みます。
花粉が飛ぶ季節に着たら、まるで山火事の煙と勘違いするほど花粉が飛び
木漏れ日にはっきり見えるほどの濃度となりますが、幸い今は初冬、安心して進みましょう。


眼下に笹子沢川の支流が立ちはだかります。この先本当に進めるのか不安になる
場所です。しかし高度を下げたあと沢に沿って下って行くと丸木橋が現れます。


この
丸木橋で笹子沢川を渡れば、清水橋はすぐそこ、しかし橋から水面までの
高さは人の背丈ほど、周りの谷はV字谷となってかなり狭い場所なので
鉄砲水には十分注意が必要です。水かさが増し危険を感じたら、無理して
渡らず、県道に引き返すことをお勧めするポイントです。
しだいに道は穏やかになり、右に
古い石垣を見ながら進みます。
やがて左手には
馬頭観世音菩薩の標柱が現れ、すぐに緑の看板がある
分岐点に出ます。左に行くと
自害沢天明水とあります。自害沢なんて
何となく恐ろしいネーミングで、勝頼の家臣たちが自害した場所かと想像が膨らみます。
右の緑の道標は、振り返って撮影したもの、峠から降りてくると裏がみえます。


明るくなった草地の道を、ジグザグに下って行くと清水橋はすぐそこです。


峠道(登山道)の終点がここ
清水橋です。ここで県道へ出て、左へ曲がれば清水橋。
ここからは、国道まで県道の舗装路4kmほどを下って行きます。
ここには笹子峠唄を紹介した案内板がありましたので、ご紹介いたしましょう。


 
  笹子峠

  徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)
 を開通させました。笹子峠はほぼその中間で江戸から約二十七里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を
 結ぶ標高壱千五十六米、上下三里の難所でした。
  峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていました。
 峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等が
ありました。
 また、この峠を往来した当時の旅人を偲んで昭和六十一年二月十二日、次のような唄が作られ
 発表されました。

                
甲州峠唄
                                              作詞 金田一春彦
                                              作曲 西岡 文朗

    
あれに白いは  コブシの花か   峠三里は  春がすみ
  うしろ見返りゃ  今来た道は   林の中を  見え隠れ
  高くさえずる   妻恋雲雀    おれも歌おうか あの歌を
  ここは何処だと  馬子衆に問えば ここは甲州  笹子道


  この唄の発表によって旧道を復元しようという気運が高まり昭和六十二年五月、清水橋から
 峠まで地域推進の一環として、日影区民一同と大和村文化協会の協力によって荒れていた
 旧道を整備して歩行の出来る状態にしました。
                                              佐藤 達明 文