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新田沢を渡ると道は大きく右にカーブし、右下に風景が広がります。 そこには逆光に映える楓がその美しい葉を、淡い黄色に輝かせていました。 もう一度、今度は大きく左にカーブを曲がります。 |
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更に県道の舗装路は右のカーブを切ってゆきますが、この写真のポイントに 笹子峠自然遊歩道の案内板を見つけることが出来るでしょう。 ここからは、青い矢印に沿ってUターンするように山の中へ入って行きます。 |
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下を向いて歩いていない限り、この大きな二つの案内板を見落とす事はありません。 左に遊歩道の地図、右に矢立のスギまで800mと書かれた案内板があります。 マウスをクリックすると大きな地図が現れます現れますので参照にしてください。 道は落ち葉の山道となり、真っ赤なモミジが黄色い絨毯に点々と彩ります。 |
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| 枯れた沢や、木の橋が架かる沢を渡って 登って行くと、右手に開けた空き地が現れます。 ここは三軒茶屋跡で、明治天皇御野立所跡 にもなっています。ベンチもあるので、是非休憩して 碑の銘文や、解説が書かれた案内板を ご覧下さい。右が、その解説です。 明治天皇も通った天下の国道であったこの道も 時代と共に、通る人もなく寂れていった 様子がよく表現されています。街道には このような場所が多く、哀愁を感じるところです。 |
顕彰の記 過ぐる明治十三年六月十九日大帝本縣御巡幸に際し 畏れ多くも此の地天野治兵衛家に御野立あらせられ 聖蹟を永久に残させ給へりと雖も時代の変遷と文化の 発達による中央線の開通は此の地を過ぐる者をして 絶無ならしめ為めに聖蹟も又口碑に傅ふるに過ぎざりき 聖蹟の主 天野治兵衛氏 之を慨嘆する事多年其の効空しからず 陸軍大将 菱刈閣下の御揮毫を得て記念碑を建立し以て之を 永久に傅へんとす 昭和十二年十一月七日 ※明治天皇御野立所跡記念碑除幕式における 笹子村長天野五六様祝辞より抜粋 |
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三軒茶屋跡の石垣の上に、こんな素晴らしい野仏を見つけることが出来ました。 子供を抱いたお母さんに、上の子がしがみついているように見えるのですが みなさんの目にはどのように写ることでしょう。 |
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追分の集落から山道に入ってちょうど40分で、矢立のスギに着きました。 登ってくると下ばかり見ながら歩いてくるので、気が付かず、見上げて 目の前にこのスギが現れたときには、その大きさに圧倒されました。 |
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中山道で一番大きかったスギは、大湫神明社のスギで、目通りが11.0m、樹高60mなので このスギより大きいことになりますが、このスギも負けていません。中に入れて、空が見える のもこのスギの特徴で、ここに来た街道ウォーカーは必ず、この写真を撮るようです。 このスギの大きさは、近くより、上から見て分かります。他の樹木の頭から飛び出した このスギは、かなり遠くからも分かるほど、樹齢が紹介されていませんでしたが、 大湫の杉が1200年なので、おそらくそのくらいは生きているのでしょう。 1200年前と言うことは平安京が築かれて間もない頃です。武士達が矢を立てた戦国時代 には樹齢800年になっていたはず、その頃は空洞もなく元気なスギだったかもしれません。 |
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注意! 矢立のスギから数十メートル登ると、甲州街道の案内板があり、矢印には笹子峠トンネルニと 書いてあり、道は二手に分かれます。ここが悩みどころで、100m程赤い左のコースを調べ 真下が、川や石垣に阻まれ、行かれないと判断し、黄色の道を県道へ向かいました。 右の写真は、県道に出たところ、駐車スペースもあり、車でスギを見に来た人に 便宜を図っているようす、ここから県道を歩いて峠に向かったのですが、その先で 赤い道の出口を発見。どうやら赤い道が正解で、多少難儀するかも知れませんが 案内板の通り行かれるようですので、みなさんは赤い道を進んでください。 |
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