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小学生の頃、夏休みに田舎である信越線横川駅へ向かう途中、列車は松井田で
スイッチバックを使い、麦畑の中をあえぎながら登っていったことを覚えています。
ここ
初狩駅でも昭和43年までは、スイッチバック式の駅で、今でも当時の引き込み線が
上の地図上にも残っています。これは初狩鉱業所からの積み出しに使うため残されました。
付近には滝子山や高川山があり休日にはハイカーで賑わう駅も今日は静かです。
そんな初狩駅入口には立派な
ローソンが立っています。鶴ヶ島屋山に源を発する宮川
渡れば初狩宿はもうそこです。


国道は初
狩小学校東というちょっと広い交差点に差し掛かります。
左側を見ると、立派な道が山の方へ延び、跨線橋の上を特急が走ってきました。
この下をくぐって490m行くとリニア実験線がトンネルとトンネルの間から顔を出します。
中央新幹線と呼ばれるリニアモーターカーは、初狩駅がスイッチバックをやめた
5年後の昭和48年に計画され、ここを通って甲府、諏訪、名古屋、奈良を経て
大阪に至るコースが決まっており、時速500kmで走ることから東京〜大阪間を
1時間で走ってしまうことになります。江戸時代の人が知ったらどう思うでしょうか。

やがて右側には
初狩小学校が見えてきました。この写真の校舎も昭和48年に
建てられました。しかし学校の歴史は古く、明治6年福聚院初狩学校として
始まりました。この学校の校歌には面白い話が秘められております。
時間の許す方は、是非小学校のサイトへ寄ってご覧下さい。

2015年10月、甲州道中を歩いた村田さん情報では
初狩小学校の向かいにあっセブンイレブンは閉店しました。

学校から少し進むと何の
変哲もない場所に突然
明治天皇御小休遺跡という
石碑が現れました。
ここが小林本陣跡になります。

正面の山に、中央自動車道を守るための円筒のコンクリート防護が見える
カーブを曲がると、小さな
唐沢橋を渡ります。そのたもとには首塚の案内板が
これは武田勝頼の逆臣であった
小山田信茂の首塚であると言われています。
信茂は、織田に追いつめられ新府城で苦戦いている勝頼を、自らの城である
岩殿城に招き入れようとし途中で裏切り、笹子峠から郡内には入れず
武田家を滅亡に追いやった人物で、後に主君を裏切ったとし、織田に甲斐善光寺で
処刑された人物です。甲斐善光寺の北方にも首塚がありますが、そちらは
胴塚で、三条でさらされた首はこの初狩にあるというのが有力な説となっています。

そんな国道脇にはビックリするような古い
煉瓦造りの蔵がありました。


小林電装大月倉庫の前を過ぎると視界が開け、正面に峰の山(911.2m)がそびえます。
これより5分笹一酒造の看板はもちろん車向けで、正面のカーブには笹子川を渡る
船石橋が見えてきました。谷は狭まり、左に中央本線、右に中央自動車道が迫ります。


船石橋を渡ったら左側の草むらに注意してください。そこには石碑があり
御船石所在地とあります。船石とは船を繋ぐ石で、ここが川湊で船溜まりが
有ったと言われていますが、定かではありません。

立河原の集落を抜けると、北方川と滝子川に挟まれ半島のようにつきだした
尾根を中央本線が
トンネルで貫いてゆきます。国道は笹子川沿いに
この半島を迂回しますが、旧甲州道中はこの半島を越えてゆきました。
我々はもちろん、国道沿いに進むのですが、歩道もなくとても危険です。


尾根を回り込むと、案内板の甲府ではなく、右への小径へ入ります。
ここから590mの間が
白野宿となります。国道がバイパスを
通っているので静かなカイドウ歩きが楽しめます。この宿のポイントは
この写真でセンターラインの延長上に見える
大イチョウでしょう。


街道の楽しみはこんな風景にもあります。実際に歩いているときには
気が付かない大イチョウですが、右の写真にもしっかり写っていました。
柿も熟し、周りはすっかり晩秋になってしまいました。


大イチョウの正体は宝林寺に有りました。そばで見上げるととてつもなく
大きなイチョウです。まだ青々とした葉ですが、これが黄金色に染まったら
きっと見事だと思います。ふっと中山道醒ヶ井宿の御葉附銀杏を思い出します。

宿場の出口に近い場所右側には
今泉本陣跡があります。何の案内板も無いので
わかりにくいのですが、柏の木があるこの家がそうです。今は別の方がお住まいで
本陣の面影は全くありませんが、その佇まいには風格が有りました。
本陣の裏にもやはり宝林寺の大イチョウが頭を出しています。
きっと江戸時代からこの風景は変わっていまいと感じました。


ヤマザキYショップの前で、再び国道20号線と合流です。