甲州街道 花咲宿

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この区間、道は3本に分かれます。赤から青に至るのが旧甲州道中。
緑の道はJR発行の「甲州古道ウォーキングマップ」によるルート。
我々は、もちろん旧道に忠実に進みましたが、やはり青い道は通行不能。
完全装備で藪こぎをも辞さないという覚悟が無ければ通れません。
一方、JRさんのルートは、本当に古道かも知れない日当たりの良い
歩きやすい道、これから歩かれる方は、いずれのルートを選択か。


花咲」の信号を過ぎると、中央自動車道大月ジャンクションから、富士五湖方面へ分岐した高速の
下をぐぐり、国道は進みます。すぐ右側に手打ちうどんの旗が見えてきました。
ここは三軒屋の交差点手前50mの場所。時刻は11時52分。今日の昼食はここにしましょう。

手打ちうどん ふじもと

350円の手打ちうどんなんてと、たかをくくっていた我々は、その美味しさに
脱帽しました。薄味で上品なつゆに浮かんだうどんは腰が強く歯ごたえが
あります。150円のまぜごはんと、フリーのサラダ。どれも素朴ながら、
しっかりとした味で我々を魅了しました。もちろん、我々に欠かせない
ビールもあり、ファミレスに入らなかったことを喜び合いました。


車だったら、とんでもないことになる酒気帯びですが、今日はウォーキング、
大月警察署前も、臆することなく堂々と進みます。市街地から外れ、もう両側は
山が迫る国道沿いにホテルと見間違うような立派な建物が警察署です。


更に、右の山の上に眼を転じると妙な建物が見えます。丸みを帯びた宇宙船の
ような建物にはNECと書いてあります。これは山梨日本電気株式会社の工場で
1986年に NEC伝送通信事業部直轄の世界初、通信用デバイス専用工場として
操業開始を開始しました。光デバイスが得意で、海底光ケーブルの中継器や
小型光電気ハイブリット製品を作っています。また社屋には携帯電話用のアンテナが
設置され、中央自動車道大月インター近辺をカバーし我々の利便にも貢献しています。



97.8kmポストには左へ進むトンネルがあり、JRの線路をくぐる小径があります。
どのガイドブックや、サイトを調べても、ここへ入った記録はありません。
実はここが旧甲州道中で、笹子川の右岸を初狩まで進んでいたようです。
めざせ登山隊の我々は、丹沢の沢登りでの藪こぎに精通しているので
きっと通り抜けることが出来ると確信し、この旧道へ入って行きました。


トンネルをくぐると、道は右に曲がり線路に沿って、ぐちゃぐちゃにぬかるんだ道を進みます。


そんな道は笹子川を渡るJRの鉄橋付近まで200m程続きました。
ここを走り慣れた電車の運転手さんは、普段人がいない場所に
三人の大人が歩いているものだから、唖然とした顔をして通過して行きました。


笹子川にぶつかると、道は山の上へ登って行きます。
急な坂を100m程登ると、平らになります。その周辺をよく見ると、我々が登ってきた
道と直角に昔道だった空間が延びていました。中山道の和田峠でも感じた
あの空間は、その広さと言い、縁に石が並んでいることと言い、間違いなく
旧道です。もちろん踏み跡もない笹原の空間ですが、その道を初狩方向へ
100m程進んでみました。左の山から下りてきた大きな沢が、その道が
分断し対岸に渡るには、垂直にそびえる3m程の崖を登らなければならない
状況となり進むことを断念し、結局もとのトンネルへ戻ることにしました。


再び国道へ戻った我々は、現代の甲州街道に架かる
真木橋を渡り、難なく笹子川を越えます。
20分間の冒険でしたが、これが無ければ旧道歩きは楽しくありません。泥だらけになった靴で
笹子川の左岸に沿った国道20号線を進みます。みなさんは決して入らないことをお勧めします。


1300mの迂回路には
真木の集落があり、甲府へ37km、勝沼へ22kmの道路標識。
橋を渡った所には
いなだや食堂があり、これまた賑わっています。タイミングが合った方は
ここで昼食というのも良いかもしれません。


食堂を過ぎ国道を真っ直ぐ400m進むと、左側に橋が見えてきます。
この
橋を渡ると、先ほど崩壊した旧道が左からやって来るので、右へ進みましょう。
橋を渡りきって大きな道に沿って右に登って行くと採石場へ入ってしまうので
渡ったらすぐ
右の小径を下ってください。


線路に沿った、こんな道が600m続きます。舗装こそされていませんが、
さっきの藪こぎと比べたら快適な道です。時々電車も通りのんびりとした雰囲気があります。


いよいよ街道は甲府採石初狩鉱業所の中へ入って行きました。
これは企業内の講道と勘違いしてしまいそうに設備が頭上を占領しています。
臆することなくどんどん進んでください。やがて舗装路となり右に駐車場を持った
事務所の前を通過したら鉱業所ともお別れです。


やがて街道は
第七甲州街道踏切を渡り初狩の町へと進みます。
すぐ右側の川の畔に石碑がありました。案内板には
聖護院道興歌碑
あり、碑面の歌を紹介してあります。

今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里

文明十九年(1487)、諸国を行脚した道興がこの地を通ったときに詠んだ歌で
雁が帰るのを初狩の狩にかけたものです。道興は天台宗寺門派修験宗の
総本山聖護院の座主で、日本各地を廻り回国雑記を著しました。

もちろん踏切や鉱業所もなかった当時はきっと寂しい場所で、雁が帰るのを
眺めているうちに、自身も帰りたくなってしまったのでしょうか。


踏切を越えると225mで国道へ戻ります。戻った場所には日本橋から
100k2の標識が、
つまり、旧甲州街道を歩いてきた我々は国道の100kmポストにはお目にかかれなかった
と言うことになります。ここで200m戻っても意味がないので先に進みます。