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大月市の面積は280.3km2、人口は31、217人。人口密度は111人/km2。
これを平たく言えば、大月市民1人当たりが占有する土地は、2,730坪と言うことになります。
これを東京特別区(23区)に当てはめてみると、22坪になってしまいます。
もちろん、2,730坪の中には、市民が使えない山林が含まれていますが、
何となく、気持ちが豊かになるのではないでしょうか。
向こうから歩いてくる親子連れとすれ違って、そんな余裕を感じてしまいました。
ここは、JR大月駅前の
さつき通商店街。駅を中心に国道と平行して500m程
続いている甲州街道が、そのまま商店街となった道です。


写真左は、甲州道中と駅からの道が交差する場所。右の角には
濱野屋があります。
濱野屋は、明治三十三年創業の旅館・食堂で、ここから富士山へ向かった冨士講の
宿泊場所となり、当時はたいそう賑わいました。そんな写真館が濱野屋のサイトにありました。
続いて、鍾馗様が看板を守っている
木村屋菓子舗がその古さを感じさせます。
市役所に近い、
大月二丁目の信号で国道20号へ合流します。

 明治大帝は王政維新後民情安定に大御心を注がれ
 給ひ明治十三年六月十六日宮城御發輦二品伏見宮
 貞愛親王を始め太政大臣三條實美参議寺島宗則仝
 伊藤博文仝山田顕義宮内卿徳大寺實則文部卿河野  
 敏謙内務卿松方正義侍従長米田虎雄山口正之陸軍
 中将三浦梧樓宮内少輔土方又元太政少書記官伊東
 巳代治等百官有司供奉し峻坂難路の甲州街道を降
 らせられ小佛の険を越へ鳳輦親しく我縣に臨み一
 週日間に亘り縣下の民風土情を宸察あらせらる此
 の砌仝十八日大月町字大月先々代溝口五左ヱ門宅
 に御駐輦あらせられた由緒深き尊き御遺跡なり

国道を少し進むと、明治天皇御召換所址という石碑があります。
脇の碑文を読むと、明治十三年に一週間かけ山梨県視察した折り、ここにあった脇本陣溝口邸で
お召し替えされたとあります。明治天皇の山梨行幸はこの一回のみで当時の様子が
書かれたこの碑文は貴重な資料と言えるでしょう。現代のフォントに無い文字が
使われているため、若干、原文との相違があることをお詫びいたします。


やがて国道は、富士急上大月駅を左下に見ながら大月橋の東詰へやって来ます。
ここは
富士道との追分けで、眼下には桂川がその行く手を遮っています。現代では
大月橋によって、簡単に対岸の花咲へ行かれますが、当時はここから右に折れ
急な坂道を桂川まで下って進みました。我々も40m戻って富士急の線路沿いに
右へ入り、JRの跨線橋を渡った所で左折し要害の地にある城塞のような
大月東中学校の前を通って対岸に向かいました。


特急スーパーあずさを見送るおじいちゃんに抱かれた孫の姿が印象的でした。
本来の甲州道中は、この下流の橋と大月橋の間にあったと思われますが、
より、川面に近いこの小さな橋を渡って街道を進むことにしました。


国道に合流し、すぐ左側に下花咲一里塚跡があります。ここは平成七年に付近に
あった石仏を集め整備されましたが、一里塚という面影は全くなく少々残念です。
道路右側には大月市酪農組合
花咲集乳所という建物があります。大月市で酪農?
調べると七保町奈良子字用沢という所に二軒だけ有るようですが、ここからは遠く
この施設がいったい何なのか分かりません。どなたか教えてください。


  
星野家は、甲州街道・大月宿の西隣にある花咲宿の名主を務めていた旧家です。
 下花咲宿の本陣であり、幕末には薬の商いも行っていたほか、農地解放前には、
 二十五町歩ほどの田畑を所有し、養蚕では百貫ほどの収穫があったと伝えられ
 ています。江戸時代には、甲州勤番をはじめ大名や幕府の役人らが宿泊しましたが、
 天保六年(1835)の火災で焼失し、その後、再建されました。
  再建の年月を示す資料は未発見ですが、嘉永五年(1852)に記された家相図によると、
 間取りと規模が現在の母家と一致しており、天保末からこの間にかけて再建されたと
 考えられています。
  現在の母家は、焼失以前のものと比べると、規模は少し小さくなりましたが、間取りと
 部屋数は変えず、街道により近づいて建てられました。
  明治十三年(1880)六月十八日には、明治天皇が京都へ御巡幸の際に小休所に
 あてられました。江戸時代から続く荘厳なたたずまいは、由緒ある歴史を今に伝えます。 

                            大月市教育委員会パンフレットより


下花咲本陣星野家は、ファミリーレストランすかいらーくと藍屋挟まれていますが、
その風格から二つのレストランに負けていません。すかいらーくの看板の向こうに
見える旧家がそれですが、まるで洒落た和風レストランと見間違える程です。

2015年10月、甲州道中を歩く村田さんからの情報です。
すかいらーくはガストに代わりました。



主家・籾蔵・味噌蔵・文庫蔵が昭和五十一年、文部大臣により
重要文化財に指定されました。
それらの位置を示した間取り図が大月市教育委員会のパンフ
レットにありますので、左のマウスをクリックしてみてください。
通用口土間より長戸、玄関の間
説明を聞きます 上段の間
明治天皇レリーフ
後年、お礼に賜ったという
徳川家へ祐筆として使えて
いた者が退官のおり、拝領した
打ち掛けと帯
大名用手洗い

甲州道中に残る本陣は、日野・小原とこの下花咲の三ヶ所のみ、
こうしてその三ヶ所を見られたことは、甲州道中ウォーカーにとって幸いでした。


本陣から360m、中央自動車道大月インターにはデニーズがあるので
昼食にはもってこいです。しかしおじさん軍団の我々は、そば屋を探して進みます。
JR発行の甲州古道ウォーキングパンフレットによると、本陣から200m進んだ西方寺橋を
渡り笹子川の対岸を進むことになりますが、我々は本来の甲州道中(国道20号)を進み
本陣から500mの地点で右の写真の
面白い風景に遭遇しました。
ここはセレモホールはなさきさとう葬祭の40m先の場所で、国道から右へ入る道が
往時の甲州道中を思わせます。廿三夜碑が右側にあり、左には数十基の石碑が並び、
ここが甲州道中だとアピールしているようです。
しかしこの道は40m程で行き止まりになってしまいます。


2015年10月、旅人村田さん情報では、大月インターのデニーズは閉店。