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犬目宿は、中央本線から遠く離れた扇山の麓に位置します。
中央本線が標高280
mの位置を走っているのですが、この宿は標高510m
230mも高い場所にあります。最寄りの駅は梁川ですが深い峡谷となった
桂川は人の手など寄せ付けず、街道をこのような高所へ追いやりました。
宿場は300m足らずと短く、その入口には
犬目の兵助の墓があり、
野菜の無人販売所には近所の子供達が群がっていました。


集落の中心には
犬目宿直売所があります。ここは水曜・土曜・日曜・祝日の
午後2時〜5時の間だけの営業となるので、午後1時37分現在の今は閉まっていました。
我々が甲州道中を
歩くきっかけとなったのは、実はこの直売所です。2005年6月25日。
ハイキング好きな私たちのグループは、この日、大月ゴルフ場裏から扇山へ登り、
君恋温泉へ下山し、この直売所裏の公民館でビールを飲みながらバスを待ったのです。
そのとき、初めてここが旧甲州街道だと知り
是非歩いてみたいと思ったのでした。
みなさんも直売所でビールを買って、裏の公民館で中央本線方面の良い景色を
見ながら休んでください。また、ここには犬目宿の案内地図があります。
アップで見たい人は、地図を見たい方は
案内板をクリックしてください。


 義民『犬目の兵助』の生家

  
天保四年(1833)の飢饉から立ち直ることができないのに、天保七年(1836)の大飢饉がやって来ました。
  その年は、春からの天候不順に加え、台風の襲来などにより、穀物はほとんど実らず、餓死者が続出
 する悲惨な状況となりました。
  各村の代表者は救済を代官所に願い出ても、聞き届けてもらえず、米穀商に穀借りの交渉をしても
 効き目はないので、犬目村の兵助と下和田村(大月市)の武七を頭取とした一団が、熊野堂村(東山梨郡
 春日居町)の米穀商、小川奥右衛門に対して実力行使に出ました。称して、『甲州一揆』と言われています。  
  このとき兵助は四十歳で、妻や幼児を残して参加しましたが、この一揆の首謀者は、当然死罪です。
 家族に類が及ぶのを防ぐための『書き置きの事』や、妻への『離縁状』などが、この生家である『水田屋』に
 残されています。
  一揆後、兵助は逃亡の旅に出ますが、その『逃亡日誌』を見ると、埼玉の秩父に向かい、巡礼姿になって
 長野を経由して、新潟から日本海側を西に向かい、瀬戸内に出て、広島から山口県の岩国までも足を
 伸ばし、四国に渡り、更に伊勢を経ていますが、人々の善意の宿や、野宿を重ねた一年余りの苦しい旅の
 ようすが伺えます。
  晩年は、こっそり犬目村に帰り、役人の目を逃れて隠れ住み、慶応三年に七十一歳で没しています。

   平成十一年十一月吉日                        上野原町教育委員会


左の写真の家が兵助の生家「水田屋」です。我々には想像すらできない悲惨な状況に
捨て身で立ち向かった兵助は、どんな思いで旅を続けたのだろうと痛み入ります。
ボクたちと歩いた中山道にも、そんな天保の飢饉の影が色濃くありました。
天保の大飢饉は、天保四年から天保十年まで続いた江戸三大飢饉の一つで
洪水や冷害のため奥州を中心に70万人の救済者を出しました。
三宅坂のページで紹介した
渡辺崋山も、この時「凶荒心得書」を著し、役人は倹約し
民衆の救済を第一に行うべしと藩主に説き実行し成果を上げました。
真ん中の写真は
明治天皇御小休所址の碑で、うっかりすると見過ごしてしまいそうな
民家の草むらの中にひっそりとたたずんでいます。
右は宿場外れの左側の民家で、この裏一帯に
本陣があったと案内板にあります。


宿場の外れは枡形になっており、街道は直角に右折します。その直後にあるのが
龍澤山寶勝寺で、ここには直径1mほどの石のボールにと書かれた不思議な
オブジェがありました。その先、防火用水の手前から寺に向かう車道を登ると
梢の向こうに富士が顔を覗かせます。我々はこの木陰で休憩しました。


枡形から二回カーブを過ぎると右側に不動明王らしき石像があり、その先には白馬不動尊
鳥居があります。その先のカーブの上には茅葺きの農家のような建物が現れました。
これは
瀧松苑という蕎麦を食べさせる店で、完全予約制となっております。
是非、食べてみたい方は
0554-66-3132へ電話して予約してみてください。


更に五ッカーブを曲がってゆくと君恋温泉です。三人も入ればいっぱいになってしまう
小さな家族風呂が一つの可愛い温泉宿で、扇山からの下山ルートにあり、山でかいた汗を
流すにはもってこいのロケーションといえます。もちろん宿泊もできますが、我々は眺めるだけ。

君恋温泉から道は下り坂となり、最初の左カーブには
扇山〜犬目宿の道標があり、その脇に不動明王の
石碑もあります。そのカーブを曲がり終えると
正面に見えてくるのが、
恋塚の一里塚です。
日本橋から二十一里、20番目の一里塚は、正面から
見ると健在で立派な塚ですが、裏に回って見ると、
沢に向かって崩壊し、復旧工事が待たれるところです。

一つカーブを曲がると、今度は馬宿の集落が現れます。たった170mの集落で、
家も数軒しかありません、右の写真がその入口で入るところには
山神社があります。

この馬宿には甲州街道では珍しい現存する
石畳がありました。その距離40m程ですが、
確かに
江戸時代の石畳そのものです。
まるで中山道の落合の石畳を歩いている
ようです。東海道ではその上に舗装を施して
しまった場所もあったのですが、やはり
石畳は当時のまま保存して欲しいと思うのは
きっと旅人だけなんでしょうね。
そうこうしているうちに、すぐまた舗装路に
出てしまいました。ここから800mは山の中を
進んで、山谷のバス停に向かいます。

馬宿〜山谷間では、開けた場所があり富士山がきれいに見えました。
ここから頂上までは
直線で39km、以外と近いものです。
左が高畑山、右が九鬼山、正面富士の下が忍野村の杓子山1597mです。
この辺りで甲州街道は上野原市に別れを告げ、
大月市に入ります。
日本橋からの距離も84kmを越えました。


山谷の集落は大月カントリークラブへの入口となっており、明るく開けた集落で
バス停もあります。ここで道はS字を描いてカーブしますが、ゴルフ場の方へは
行かず、そのまま下って行きましょう。すぐに左の写真の場所に案内板があり、
「エコノ里徒歩4分えき近道」とありますが、甲州街道は少し先の右の写真の場所、
鳥沢小学校通学路と看板のある細い急な下り坂を降りて行きます。


再び県道30号に合流して、どんどん舗装路を下って行くと13分ほどで
小さな川を渡る
中野の集落へ到着します。下から来た旅人は、この集落を
真っ直ぐ進まず、君恋温泉の案内板にしたがって右折し橋を渡りましょう。
この中野の集落の南を走る中央自動車道は、東京に向かって大きな
トンネルに入ります。それが渋滞で有名になった
中野トンネルで、その名は
この集落に由来してます。


思わずレンズを向けたのは、美しい日本の秋の風景とも言えるショット。
こんな蔵のある美しい風景が、まだまだ街道にはあるものです。
やがて甲州街道は中野トンネルに入る直前の
中央自動車道の高架をくぐります。
その先には大きな道路標識が国道20号が近いことを知らせてくれます。


街道は古久屋生花店に突き当たるように国道へ飛び出します。
右の写真は国道から振り返った街道への入口、
大月カントリークラブ
大きな看板が目印です。ここからはしばらく国道20号を行くことになります。


鳥沢宿にある国道標識は87kmを指しています。鳥沢駅までは750m程、そこが本日のゴールです。
途中の民家では
ウコンの花を売っていました。こんなきれいな白い花が咲くとは
思いもよりませんでした。コンビニヤマザキショップの信号が
鳥沢駅入口です。

2015年10月、旅人村田さんの情報によりますと、コンビニヤマザキショップは
地酒・米の近江屋商店に代わっております。