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中央自動車道上り線の上空から見た下り線談合坂SA

野田尻宿より犬目宿へ向かう道は、少しややこしいので地図で
紹介いたしましょう。図中のアルファベットの場所と下の写真が
リンクするように配置しました。

犬嶋神社を出ると、宿場は終わり道は緩やかに
左に曲がります。すぐに現れるポイントAは、
右へ太い道が分岐しているT字路。
これは鶴川宿と野田尻宿を結ぶ県道30号線で、
右へ行くと鶴川へ戻ってしまいますので、
ここは
真っ直ぐ進んでください。
100m進むと西光寺の正面に出ます。
ミラーの隣には
甲州街道ぶらり旅
看板があり、ここは寺の裏に回り込む
右への道へ行きましょう。
ここはちょうど西光寺の裏手になり
登り坂が始まります。
竹林の前には墓地に行く人のための
小さな駐車場があり、坂は続きます。
明るくなると、道は中央自動車道
沿って進みます。そして左に橋が見えてきます。
この橋は中央自動車道をまたぐ橋で、
左を見ると
談合坂SAが良く見えます。
橋を渡ると突然舗装が切れ
山の中の砂利道を歩くようになります。
左には人間だから喜怒哀楽なんて
看板が転がっていました。
橋を渡ってから120m進むと林の道も
終わり、犬目に向かう
県道30号線
合流します。

県道と合流した場所には、
道標があり右へ進むと犬目宿ということが分かります。
また、甲府方面から来た人も、旧甲州街道と書かれた小径へ進むよい目標となります。
ここで
初めて富士山が顔を覗かせました。今日は本当に天気がよく適度に風もあるので
こんな時刻(12時57分)になっても霞もせず見えたことに驚きました。
県道に出て150m右カーブを曲がると萩野集落ですが、その手前の右、石垣の上に
萩野一里塚がありました。これは日本橋から20里、19番目の一里塚です。
通常一里塚にはエノキやケヤキが植えられるのですが、ここは松だったようです。


萩野の集落は中央自動車道に分断され、その南側に位置する旧甲州街道は
長さ700mほど集落の中を進みます。その途中で前を歩いていた
同好の士
追い越しました。男性二人のチームで、気持ちよさそうにのんびり歩いていました。
中央自動車道の
防音壁が現れ、それに沿って進んでゆくと中央自動車道を
今度は
右へ渡る橋が現れます。渡りきったところは小さな十字路になっていて
右端には上野原市指定文化財である
棚頭の仁王像への道しるべがありますが、
700m先とのことで、ちょっと遠く今回は諦めました。この仁王像は江戸時代後期
宮大工・日光三左衛門による作と言われていますが、傷みが激しかったため
平成13年から2年がかりで修復され、高さ2.3m赤く彩色された力強い仁王像が復活しました。
橋を渡ったら、真っ直ぐ進みますが、黄色い矢印の小径が甲州街道なので
注意してください。手前右には
大乗妙典日本廻国供養塔があります。


 
上野原町指定文化財
 矢坪坂の古戦場跡
 
所在地 上野原町大野矢坪一帯
  指 定 昭和52年(1975)12月22日


 
説 明  長峰の古道を西に進み大目地区矢坪に出て、さらに坂を上ると新田に出る。
 この矢坪と新田の間の坂を矢坪坂と言い昔戦場となったところである。
  享禄三年(1530)四月二十三日相模国の北条氏縄の軍勢が甲斐に攻めこみ矢坪
 坂に進んだ。一方、小山田越中守の手勢が坂の上で待ちかまえ、両者は坂をはさんで
 対峙し、やがて激戦が展開された。
  同所一帯は南西に切り立った崖と北面に山腹を臨み道が入り組んでいる要害の地
 である。この戦いは多勢に無勢、ついに小山田氏は敗退となり、富士吉田方面に逃げた。
  現在、つわものどもが夢の跡をしのぶ影もない。ただ、たまに矢じりなどが掘り出される  
 ことがあったという。また付近に五輪塔四基、宝篋印塔一基があるが、この戦の関係の
 ものかどうか定かでない。

                               
上野原町教育委員会


黄色矢印の場所は、左の写真のように、県道とは別れ急な小径を登って行きます。
その入口にあるのが上の
矢坪坂古戦場跡の案内板です。また、ここが座頭転がしへの
道なので間違えないように。道は細く急で、途中スリップ止めを刻んだ舗装路が左から
登ってきますが、そのまま小径を進んでください。


やがて武甕槌(たけみかづち)神社入口の鳥居前を通過します。神社はかなり上の
ようなので、ここでも寄らずに甲州街道を進みます。最後の民家には
白い大きな犬がいて
珍しい旅人に大きな声で吠えかかります。民家の庭と見間違える道を行くと、
いよいよ森の中へと甲州街道は進んで行きます。


左側に手すりのある暗い森の中を進むと、先ほどの案内板にあった宝篋印塔一基
過ぎた頃から明るいフェンスに守られた道になります。そこで再び道は分岐します。
真っ直ぐ行くと県道に降りてしまうので、ここはひとつ勇気を出して上へ向かう草の道へ
入ってください。進むほどに道は急になり草が生い茂った
藪こぎの道となります
入口には矢坪金比羅神社参道道標が寂しそうに建っていました。

県道より20mは高いでしょうか、柵がなかったらかなり怖い道です。
もちろん昔は柵など無かったでしょうから座頭も落ちてしまったのでしょう。
県道を作るため山肌をカットしたため急になったとはいえ、地形から
昔の道が想像でき、やはり南面は急だったjことが伺えます。


柵がフェンスに変わった森の中に突然座頭転がしは現れました。
鎌倉時代、盲人の座(組合)として当道座がありました。これは平家物語を
語る琵琶法師の集団で、その中に階級として検校、別当、勾当、座頭があり、
一般の人々が按摩や、琵琶法師を呼ぶとき座頭と言うことが多かったようです。
しかし我々には勝新太郎の座頭市のイメージが座頭のイメージと繋がっています。
きっとあの座頭市がここを通り、石につまずいて崖下へ転落下のではないかと
想像してしまいました。きっとみなさんも同じイメージをもたれると思います。
ここを過ぎれば道は再び登りとなり、草の上を気持ちよく進みます。


突然民家が現れ、
新田の集落へ入って行きます。正面に高い鉄塔を
見ながら、300m行くと集落を抜け、県道に合流します。


座頭転がし付近を歩いているときに、下の県道を行く甲州街道ウォーカーらしき
集団を見つけましたが、甲府方面から来た人は
高い鉄塔が見えたら
斜め左の道へ登って行きましょう。さもないと中央自動車道の橋まで県道を歩く羽目になります。
県道と合流した場所には
大野貯水池への道標があり、バス停もあります。
少し進むと正面に威圧するような大きなビルが現れました。こんな山の中に突然
現れたのでかなり驚きました。このビルは石垣エンジニアリングのビルで、
地方の結婚式場を思わせます。