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おそらく、甲州道中で登山靴を履くのは、この小仏越えと笹子越えの二箇所。
東海道では箱根と鈴鹿峠が、中山道では、碓氷峠、和田峠、鳥居峠が山登り。
山好きな我々が、楽しみにしていた小仏峠越えは、雨こそ降りてこなかったけど
深山幽谷の面もちで、迎えてくれました。

街道の左下が開けて大きな池が現れました。
ここは浅川国際マス釣場で、5人の釣り人がフライでの釣りを楽しんでいます。
特に右上の赤いジャケットを着たお母さんは上手で、見ている間に、釣りあげたのは
彼女一人です。実は我々も釣り好きで、黒部下廊下へ行ったときなど、
眼下に流れる黒部川が大型のイワナで黒くなったときなど、竿を持たない辛さを
痛感しました。普段は神奈川県の釣り船で東京湾や相模湾へ出かけます。
この辺りに来ると、谷もグッと狭くなり甲州街道からJR中央本線の線路まで20m、中央高速まで
40mしかありません。3本の幅は88mと裏高尾で
一番狭い場所といえます。マス釣場を過ぎると
浅川は幅を拡げ小さな淵を形成します。その先は右からの尾根の張り出しを迂回する道となり
その頂点の場所に
森の図書館の看板があります。これは関東森林管理局高尾森林センター
設置した施設で、日影沢キャンプ場内にある多目的ホール「ウッディハウス愛林」内の図書館のことで
森林や林業に関する図書や児童書などがあり、閲覧が出来ます。
また、このセンターにはHPがあり、歩いたこの時間の気象が後から分かります。
この時間の
気温は17度、湿度100%、感雨26%とありました。感雨にパーセントが
あるとは知りませんでした。ONかOFFだけかと思い、調べたらこの日は8%〜79%まで
変化してます。確かに雨は一粒も落ちてこなかったのに、どうなっているのでしょう?
尾根を回り込み終えたところに、JR中央本線をくぐるトンネルがあります
中央本線の八王子、上野原間が開通したのは、明治三十四年(1901)八月一日
なので、このトンネルはきっとそのとき作られたものでしょう。大小の煉瓦を組み合わせた
立派なトンネルで複線の幅にしっかり作られて増設の跡は無いことから、開通当時から
複線を見込んで造られたものかも知れません。
この区間の複線化は、実に63年後の昭和三十九年になるからです。
二箇所目の東京都水道局増圧ポンプ場を左に見て、ほとんど沢になってしまった
浅川の向こうに走っている中央本線が
小仏トンネルに入る場所へやって来ました。
右側の上り専用が明治三十四年に出来た小仏トンネルで、左側の下り専用が
昭和三十九年開通の
新小仏トンネルです。ともに、我々が向かう甲州街道の
小仏峠の真下を貫き、約2,600m先の千木良で地上に顔を出します。

   少し進むと右側にはJRの高尾変電所が現れますが、
トンネル上部には不思議な形をしたコンクリート構造物が
あり、どうやらその形から昔はここへ導水管を載せていた
ように思われます。つまり、変電所は昔水力発電所ではな
かったのでしょうか。
東京山奥のピーさんより正解の情報が届きました。
「JR小仏トンネル東京側で上部構造物はトンネル開通時は
SLで運行していたため排気装置の建屋があり、その基礎
(ファンの?)との記録があります。」
自身のHP飴色金魚の中で紹介されています。
2012年12月2日
高尾駅北口、高01系統小仏行き京王バスの終点がここ小仏バス停留所です。
バスで来れば220円、15分ほどの行程を、我々は1時間34分かけ歩いてきました。
平日は1時間に1本程度のこのバスも、休日には1時間に3本出ています。
しかし何故かこの日は、増発と書いたバスを従え2台のバスが何度も行き来する
ではないですか。往復とも人はほとんど乗っていないバスが二台連ねて運行する
には何か訳がありそうなのですが、小仏まで来てもその理由は分かりませんでした。
陣馬山や高尾山から小仏峠経由で下山するハイカーは、このバス停まで
降りてこなくてはなりません。この先もまだまだ舗装路や林道は続きます。
とうとう南浅川も、その上流端まで来てしまいました。ここには浅川神社
臨済宗南禅寺派小佛山
寶珠寺があります。お寺の入口には小佛のカゴノキの碑が
あります。ガゴノキは鹿子の木と書き、鹿の子供のまだら模様に樹皮が似ているから
付けられた名前です。しかし大樹が多いので、どれがその木かよく分かりませんでした。

寺を離れ、更に登ってゆくと、右に中央自動車道の小仏トンネル入口が見えます。
左側は小仏製作所という会社で、その前には
最後の自動販売機があります。
道は、
急なS字を描いて登ってゆきます。写真は第1コーナーを曲がって上から来た道を
見下ろしたところ、よく見ると路面に
青い滑り止めがあり、とても綺麗な道に見えます。
車道の終点にはちょっとした駐車場があり、ハイカー達の拠点となっていました。
左へ登る道は
奥宮道場への道、甲州街道は真っ直ぐ駐車場の方へ進みましょう。
車止めを過ぎると、今度は右へ登る道がありますが、それは
景信山への直登ルート
甲州街道は道幅の広い左の
林道になります。
上の3枚の写真は520m続く林道部分で、ちょうど真ん中当たりには水場があります。
下3枚は、いよいよ
登山道で、これも同じく525mですが、最初は結構勾配がきついので
ゆっくり行くことをお勧めします。勾配が緩くなったら、峠はもうすぐそこです。
我々は、
林道11分、登山道11分の22分間で峠へ着きました。
やったー! ここが小仏峠

昔は大勢にハイカーで賑わったのでしょう、大きな茶屋が二軒、今では無人で廃墟の様相です。
道はその廃墟の中を進む、出ると左側には二つの石碑、右が明治天皇の通行を記念して
建てられた
明治天皇聖蹟碑、左は三条実美が高尾山薬王院を訪れた時に詠んだ和歌の碑です。

来てみれば こかひはた織 いとまなし 甲斐のたび路の 野のべやまのべ

「こかひはた織」は、蚕飼い機織りのことで、養蚕が盛んだったことが窺える歌です。
三条というと、平安時代かと思いますが、幕末から明治にかけて活躍したちょっと変わった
公家さんでした。その父は、あの桜田門の井伊直弼が行った安政の大獄で処分され
本人も京都から長州へ逃げたり、太宰府に幽閉されたりしたが、王政復古で政界に復帰し
征韓論では西郷と岩倉の板挟みになりながらも、温厚な性格から調停に奔走し
明治22年には臨時の総理大臣までなった人物である。さて、そんな公家さんが
いつ高尾山にやって来て、こんな歌を詠んでいったのだろう。

そんなことを考えていたらお腹も空いてきた。時間もちょうど正午になろうとしているので
高尾駅前のコンビニで買ってきた
お弁当を広げることにしよう。朽ちかけた小屋だが、
おじいさんが一人いて、
竹製のベンチを補修している。そんなおじいさんが作ってくれた
ベンチの一つを占領してご満悦の筆者である。
小仏峠は登山道の交差点、上の地図を参考に相模湖へと下ろう。
相模湖観光案内図や、
甲州古道小原宿への道標に沿って進めばやがて
道は杉林の中を行く下り坂になります。峠から20分も下ると、目の前に
突然
鉄塔が現れます。もう底沢はすぐそこです!